第24話 龍を起こす
1550年9月。
宇都宮城の城下東区。家臣の親族が移り住んで暮らしているこの工業区も少し手狭になってきた。警備を厳重にしてあるから隠居した老人なんかには評判なようだ。なぜなら隠居していても命を奪われるようなことはこの時代、日常茶飯事であったから。
そして今日も伊勢寿丸を中心に、木炭高炉の前で、日本最先端の化学実験が行われていた。
「今度はどうでしょうか?」
「どうだろう。今度はいけると思うが」
俺たちは今、砂を溶解する工程に再挑戦していた。前回は炉の温度が足らずに失敗。この木炭高炉は銑鉄ができる1500度まではいけることを確認済みだったが、砂を溶かす1700度には届いていなかったようで、砂は溶けなかった。
砂を溶かそうとしている理由はもちろんガラスの製造だ。ガラスがあれば色々できる。楽しみで仕方ない。
お雪には.....ソーダ灰を入れ忘れたなんて口が裂けても言えないな。砂は1700度で溶けるがソーダ灰を入れれば1000度と少しくらいで溶けるようになる。完全に失念していた。
俺もたまにはボケる。許して欲しい。
肝心のソーダ灰は、炭酸ナトリウムだ。ナトリウムを多く含む植物の灰で代用できる。海に漂う海洋植物、海藻や海苔を他国から調達して得ることができた。
高定に調達を頼むと、また食いものですか.....と嘆かれたが、食べ物と思ってもらった方が都合が良い。下手に戦略物資だと思われるのも好ましくないからな。
それにしてもこんなものすら栃木県では調達ができないとは。本当に何もなくてしんどすぎる。これでは量産など夢物語。早く海を獲らねば。
「あ、出てきました!」
高炉からどろりとした赤いガラスが溶け出てきた。平面にした容器で受け止め、平たい板になるように引き伸ばしていく。
「はい」
「若様、これは一体なんなんですか?」
信芳も最近は作るものがなくなり、ソーダ灰作りに協力してくれていた。化学棟に籠っていた彼も最近はこっちの物作りにも興味を示している。どうやら虎挟あたりを作っていた頃から気になっていたらしい。
「ガラスさ。板ガラス」
「へぇ......武器ではなさそうですね」
「まあな。しかし武器より役に立つこともあるかもしれんぞ」
「はぁ.....」
透明な板ガラスができると、感嘆の声が上がった。厚みに少しムラがあるが1作目にしては上出来だ。よし、これから改良していこう。
*****
春日山城の客間で待たされていた岡本宗慶は、毛の一本も生えていない頭を手ぬぐいで拭って静かに息を吐いた。
越後の10月なぞ寒かろうと思っていたが、緊張で汗が噴き出てくる。なぜこのような大役を任され、なぜ長尾家へ遣わされたのかいまいち腑に落ちていなかったからだ。
───長尾家と誼を結びたい。宗慶、頼めるな?
伊勢寿丸の言葉を思い出した宗慶。政には自信があり、高定の下で芳賀家の手助けはしていたが、主君より直々に声が掛かるとは。その重責は計り知れないものがあった。
暫く待つと、すすと音がして、襖を開ける下男が見えた。目をあげると、美丈夫と言えばいいか....それは端正な顔付きの青年が立っていた。
「この度、御目通り叶いまして誠に無常の喜びに感じておりまする。某は宇都宮家家臣、岡本宗慶にございまする」
「書状は読ませて頂いた。遠路よりはるばるご苦労であった。長尾景虎である」
もちろん後の軍神・上杉謙信である。
「誼を結びたいとのことだが、どのようなおつもりかな?ここ越後とは上野を挟んでいるし、よもや......」
「い、いえ。滅相もございませぬ。某がこうして参ったは、過日に越後国守護となられました景虎様への純粋なお祝いにございまする。栃尾や黒滝における景虎様の鮮やかな手腕、関東にも轟いておりますれば誼を結びたいというのは自然なことでございましょう」
「であるか。祝いの品々....下野など関東の片隅、田舎の田舎と侮っておったがなかなか良いものが揃っているようだな。無理をして宇都宮家の懐は大丈夫か?」
故郷をバカにされて思うところもあったが、ぐっ.....と宗慶は堪えた。恐らくは本心ではなく、こちらを試しているのだろう。悟られてはならぬと。
「左様にございまする。宇都宮家は下野国の大部分を治めておりますが、京には程遠く、良き品々はあまり入手できませぬ。田舎の小領主からの献上品と思って温かい御心で受け取っていただけますと幸甚にございます」
目録に目を落としていた景虎が、視線だけあげて宗慶をチラリと見た。この時、宗慶はやはり試されていたかと冷や汗をかいた。武勇に優れ、政の能力も高そうだ、なるほど伊勢寿丸様が誼を結びたいというのも頷ける、と思った。
再び目録を落とす景虎。しばらくして動きが止まった。
「この、かめらというのはなんだ?」
食いついたか。いや、食いついてくれて安心した。
「そちらの品は、刹那の風景や人物を精巧に描き写す道具にございます」
「なんだと?そんなものは知らぬ。嘘ではないだろうな」
───景虎に直接、この銀盤写真を見せてこい
伊勢寿丸の言葉を思い返しながら、宗慶は傍に置いておいた手荷物の中から1枚の板を取り出した。銅のような鈍い発色の板のうえに、銀のような輝く膜が張られ、透明な蓋がしてある、それはなんとも重い板だった。
「こちらをご覧くだされ」
「ぬう.....まるで生き写し.....なんと面妖な」
板に映っていたのは元服もしていないであろう1人の少年の姿であった。伊勢寿丸、その人である。
「それは宇都宮家の当主、伊勢寿丸様にごさいます。このカメラも伊勢寿丸様がお作りになられました」
「ふむ....」
突然黙り込む長尾景虎、その沈黙は長かった。
宗慶はどうして良いのか分からなくなった。カメラの仕組みを理解しようとしているのだろうか、あるいは、当主が作ったと言うことに疑いを持っているのだろうか。宗慶は必死にぐるぐると思考を巡らせた。
「なるほどな。合点がいった」
「は.....合点ですか?」
「岡本殿、貴殿は先の世が見えたことがあるか?」
「先の世....でございますか?いえ、まったく.....」
「あるいは、ふとした折に直感的に先が見え、思い通りに事が進むということは?」
「我が意のように事が進むことはもちろんございますが、凡庸の身なれば、事前に確信したことはございませんな」
景虎は茶を少し含み、喉を鳴らした。
「俺はある。おぼろげながら....ある戦場で采配を振るう姿や、敵の陣形、罠。それらを見た事がある。そして現実その通りになったことも。稀代の英雄とはそのようなものだと解している。恐らく宇都宮家の当主もそのような類いであろう」
「左様でございますか」
どう考えても冗句。入寺し、仏に仕えていたこともある宗慶には冗談としか思えなかった。先の世が見えれば、かように荒れた世にはなっておらんだろうと。
そうであれば、伊勢寿丸を褒め称えて同時に自分も持ち上げる、景虎の手管であろうと思った。簡単に言えば世辞、頭の中でそんな風に処理をした。
このことを伊勢寿丸に伝えていれば大きな反応を示したかもしれないが、残念ながらそうなることはなかった。
景虎は座を正し、早慶に向き合った。
「先程は田舎者などと失礼をした。長尾家は宇都宮家と是非、良い関係を結びたいと伝えください」
「はは!!恐れ入ります!!」
上手くいった.....のだよな?
つつがなく終了した面会。何を要求するでもない面会だったため、宗慶にはこの一連の策になんの意味があるのか全く分かっていなかった。
しかし伊勢寿丸には分かっていた。
いずれ長尾景虎が関東管領を相続して関東に足を踏み入れ、蝗害のように田畑を食い荒らすことも、絵画に熱心で自画像をよく描いていたことも、岡本宗慶が宇都宮家中の親上杉派として上杉家と誼を結んでいたことも、全ては後世に残る話なのだから。
そして長尾景虎には分かっていた。
伊勢寿丸が先を読む神力を持っていることを。先の世が見え、このような道具を作ったのだと。その天運に恵まれた男が誼を結びたいと言うのであれば無碍にするつもりはない。
これが何かの計略でない限りは───と。
関東見取図





