政治
一
ノーラと別れて三人だけになると、ヒロコが珍しく迷いを口にした。
「果たしてこれでよかったのか」
「何が?」
「ノーラがここに留まれば、無用な争いに巻き込まれる可能性がある」
戦争という話題をこの村で何度も耳にしてきた。具体的にどうなるのか俺にはわかっていない。
「グラナダが攻めて来るっていうのか」
「いや、グラナダの矛先はニーベルンデンだ」
獣人が治める北の大地。噂程度だが血の気が多いと聞く。
「三ヶ月前、グラナダと囚人のことで揉めただろう?」
「あ、ああ」
俺は正に当事者で、ショータと共に急場を凌いだ。ビッチの暗躍があったことも忘れちゃいけないことだ。
「あの囚人が持つ機密を持ち逃げした冒険者がいるらしい。心当たりはあるか」
すぐにエチカのことに思い至った。橋渡ししたのは俺だから。ぎくりとしたが、ヒロコは深く訊いてこない。
「表向きはニーベルンデンに逃げ込んだその人物の保護が目的らしいが、それだけで軍隊を動かすだろうか」
グラナダはニ週間前、ニーベルンデンの国境で大規模な軍事演習を行ったらしい。まるで挑発するみたいに。その演習にはヒトコロス教団メンバーの姿もあったという。オンブズマンである冒険者連盟はこの教団の活動を非難したが、国政に介入をしているギルドは教団だけではないので効果は薄いようだ。
「でも何でグラナダとニーベルンデンの争いにハテナイが関係してくるんだよ。関わりませんって言えばいいだろ」
「一応同盟関係は継続しているからな。平時なら叔父上がうまくかわしていただろうし、漁夫の利を得ることもできたかもしれない。だが今は時期が悪い」
ヒロコが気を揉むのも無理はない。ハテナイの電力施設は完全に停止し、未だ復旧していない。イリスはあの場所で発見されたもののハテナイは彼女から情報を引き出せていないようだ。電力施設の仕組みはグラナダの技術が使われており、国最高の頭脳、研究所所長のユーリでも解明できずに手をこまねているのが現状なのだとヒロコは教えてくれた。
イリスは指をしゃぶりながらうとうと首を傾けている。
「グラナダは施設の復旧と引き替えに軍を派兵しろと言ってきた。断れば貿易障壁も設けると。そうなったらハテナイは、もう……」
いくら援軍といったって、ニーベルンデンにしたらハテナイも敵なのだ。戦火が飛び火する可能性はありそうである。
俺はヒロコとの距離を感じていた。ヒロコは真剣に国の行く末を考えている。俺は木っ端冒険者に過ぎない。大ギルドに所属しているわけでもなければ、勇者でもない。そんな俺からヒロコにかけてやれる言葉なんてなかった。
「グラナダってビッチがいるだろ。話とかできないのか? おまえ等仲良かったみたいじゃん」
「軍を指揮しているのはアテナだ」
質問の体をなしていないことは俺にもわかっていた。ビッチはこうなるように以前から画策していたのだ。捉えどころがなくてもどこかであの女の良心を俺たちは信じていた。無条件に脳天気に。だがそれは裏切られ、どうにもならない地点に行き着こうとしている。
「あいつ……、どうしようもねえな」
「僕はそれでもあの人をどこかで信じているんだ。政治に良いも悪いもない。信念があるだけだからな」
現在の状況がはっきりしてくると、ヒロコの動向に疑問視せざるを得ない。
「ヒロコ、お前こんな所にいる場合じゃねえだろ。叔父さん困ってるんじゃねえの」
「僕は花嫁修業中の身だ。叔父上も僕の手は借りるまい。旅は続ける」
強がっているが、すぐにでも国に帰りたいに違いない。それでもここに居るのはイリスを戦争に巻き込まないための配慮かもしれなかった。
「ビッチは何を企んでるんだろう」
「さあな。わかっているのはグラナダはニーベルンデンを本気で滅ぼそうと考えているということだ。今は考えても仕方ない。ノーラにはやはり早く避難するように言って先を急ごう」
タマは冒険者を元の世界に送る力があるとヒロコは言っていた。イリスと離ればなれになるのは避けられそうにないが、俺にできるのは二人をタマの所に連れていくことだけだ。
ニ
村を出た俺たちは林道を歩いたが、イリスは蝶を追いかけて道をそれたりして、予定より川にたどり着くのに時間がかかった。
目的の場所は川というよりは湖といった趣で、紺青の水が高い山並みの間を浪々と流れていた。
岸辺に流木や、生活ゴミがごろごろしており、何とも言えない悪臭を放っている。
ゴミをよけた先の岸辺に木の小舟が置いてあり、麦わら帽子を被った男がへりに腰掛けてタバコをふかしていた。足下に何本も落ちているからだいぶ長い時間待ちぼうけていたのだろう。
「って、え、ジョエルじゃん。何でこんな所にいるんだよ」
麦わら帽子の男は、ハテナイにいるはずのジョエルだった。こいつが追っ手なのか。俺は動揺してイリスをかばうのを忘れて棒立ちしていた。
ジョエルは全くいつもの砕けた調子で、話始める。
「やあ、待ちくたびれたよ。この先に行きたいんだろ」
「貴様は誰だ。こいつの知り合いのようだが」
ヒロコは油断なくジョエルの正体を探る。イリスは足下に隠れてぶるぶる震えていた。ジョエルはイリスににっこりほほえみ、急に俺を指さした。
「先週のパーティーで。って、殿下からしたら大したパーティーじゃないですが、そいつの送迎会で会ってるんだけどなあ。僕ってそんなに印象薄いですか。ジョエルといいます」
「失礼、ジョエル。恥ずかしながら酒を飲み過ぎてあまり覚えていない。もう忘れないよ、特徴的な顔をしている」
「なかなかいい飲みっぷりでしたからねえ……、どうです、一本」
ジョエルが差し出したタバコは真ん中あたりできれいに切断されていた。ヒロコがナイフを振るって切り裂いたのだ。距離はあるのにどうやったのだろう。
「せっかくだが、子供の前で平気で紫煙をくゆらすような輩にもらうものなど何もない。君がするべきはその小舟を我々に渡すか、川に沈められるかどちらか一つだ」
ヒロコの決意に揺るぎはない。予め刺客が来るのを知っていたからって、ビビらないのはさすがの度胸というか。よく見ると、下げた左手が震えていた。イリスがのその手に触れて勇気づけている。
「勇ましいですね。でも僕は女と戦うのが嫌いときてる。特に美人は苦手なもので、少し大人しくしててください」
ヒロコは膝をつきうつ伏せに倒れた。病気の再発を疑ったが、突然のことで対処のしようがない。
「何も僕は殺し合いに来たわけじゃないんです。殿下には無傷でハテナイに戻って頂かないと」
ジョエルが何かしたのだけはわかったが、俺はぼーっと立ったままだ。イリスが泣きながらヒロコを揺さぶっている。
「……、らしくねえ」
何がらしくないのかわからないまま俺は口に出していた。
「らしくねえのはどっちだよ、タロウ。今何でそこにいるのかわかってんのか、てめえ」
ジョエルはヒロコに対するのとは打って変わって、当たりが強い口調になった。
「イリスを助けるためだよ。文句あんのか、てめえ」
俺も負けじと、張り合うとジョエルは、頬を緩ませた。固そうな髭が黒い山のように動いた。
「よく言った。それでこそ友だ」
「たりめえだ」
俺は眠っているヒロコとイリスを小舟に乗せてから、ジョエルと岸に移動した。
「でも友だからこそ止めなきゃいけないこともあるんだよね」
「あんた、男だな。ずっと男だったんだな」
「そうだ。俺たちは男なんだよ。忘れちゃいけない」
ジョエルの拳が俺の顔をぶちのめす。イリスの泣き声が高く響きわたった。




