招かれざる客
来客か。
普通なら喜ぶ所なんだけど、嫌な予感しかしない。
俺の知り合いといえば、このハテナイで僅かだ。
真っ先に思い浮かぶのは、あいつしかいない。
「ターロウ、アテナのために死んで♡」
私利私欲のために平気で俺を犠牲にする恐るべきビッチの幻聴が、俺を怯ませた。
「ね、ねえ、早く行ってよ。待たせてるんだから」
汗ばんだ顔のアンジェラが、俺の腕を必死に掴んで現実に引き戻した。
そうだ。俺が立ち向かわないと。あのビッチに負けてたまるか。ヨーシたっぷりもてなしてやるぞ。
手をもみ合わせながら奮起し、風を切って店に入る。アンジェラは一歩後ろからついてきた。
普段施術を行う部屋の奥に狭い客間があって、そこに客がいるらしい。俺は無意識に手櫛で髪を整えていた。粗相があっちゃまずいからな。
ところが仕切りのカーテンを抜けた先で目に飛び込んできたのは、意外な人物だった。
「断りもなしに職場を離れるのは感心しないな」
挨拶もなしに、そいつは俺の職務怠慢をなじった。ハスキーな声もやけによそよそしく響く。
椅子に座っていたのは、こんな場末のむさ苦しい所に似つかわしくない美少年だ。
艶っぽい黒髪を一本に束ね、仕立ての上等そうな黒のスーツを来てるからか俺より年上に見える。
切れ長の琥珀色の瞳が非難がましく俺を見つめていた。 えーと、こいつ誰だっけ。どっかで見たことがある気がするんだけど。初対面にしては態度でけえな。
「タロウ=オオツダで間違いないか?」
「あ、はい」
まずはお前が名乗りやがれ。俺はそう言いたいのを腹の底に飲み込む。
「神官殿の代理で来た。それだけ言えばわかるか?」
俺は思わず身を乗り出していた。それを侮蔑するようにそいつは流暢に続ける。
「随分嬉しそうだね。飼い主を恋しがる犬に似ている」
「ああ?」
遠慮ない皮肉に俺はつい感情を押さえきれなくなり、木のテーブルに拳を叩きつける。
「失礼ですけど! お宅さんとは初対面ですよね?」
俺がすごむと、冷たいだけだった客の顔が驚きに変わる。
「そうか。覚えていなくても無理ないな。君とは何度か会っているんだが。神官殿を迎えに行った時と、役場で」
俺の記憶が解れてきた。
そうだ、こいつ。
「ア、アテナと、キスしてた野郎か」
こいつは正解と言わんばかりに鼻で笑う。
「面接を受けていたのは知っていたけど、本当に冒険者になるとは思わなかった。会えて嬉しいよ、タロウ=オオツダ君」
女みたいに生白い手で握手を求められた。俺は手を出さなかった。こいつが、俺を馬鹿にしていることに気づいていたからだ。
「僕は単なる代理だからね。伝えることを伝えたら帰るよ。全く忌々しい……」
客は愚痴りながら腕を下ろした。
「アテナは、俺に何と?」
我慢ならなくなり、俺は訊ねた。
「意志確認が必要だ。まず話を聞くか否か」
「だから聞くって言ってんだろうが! もったいぶってんじゃねえぞ、気障野郎」
俺は興奮し、客の襟を掴んでいた。客は白々しく顔を背ける。
「粗暴だな。冒険者など所詮この程度か」
「わりいか? いいから早くしろ」
「その前に手を離してくれないか。息が苦しい」
俺は締めあげるのを止めた。
「さて、まずは僕に対する非礼を詫びろ」
「は?」
客は襟を正し、俺を見据える。謝んないと話してくれないんだろうな。どこにでもいるよなー、こういう理屈っぽい奴は。
「……、すみませんでした」
「僕に気安く触るな。次やったら殺すぞ」
静かな怒気は、俺の意気をくじく気満々だ。でもうまくやり過ごすことも必要だろう。俺は渋々頭を下げた。
何でこんな女みたいな優男に頭下げなきゃならないんだ。さっさと話を聞いてこいつを追い返さなくちゃ。
「誠意が足りないが、まあいいだろう。頭を下げたまま聞け」
こいつ、人を見下すのに慣れてやがるな。確か王様と話していたし、貴族か何かなのかなとうっすら思った。
「今宵の九時、競馬場の貴賓室に来るように。以上だ」 俺が頭を下げている間に、こいつは部屋の入り口まで移動していた。
一言でいい。訊かなきゃいけないことがある。
失敗だったのは、気が急くあまり、こいつのほっそりした肩を掴んでしまったことだ。
「忠告はしたはずだが?」
俺の景色が一回転し、背中に激痛を感じるまで投げ飛ばされたことに気づかなかった。
埃が舞う。扉が閉まる音、遠ざかる足音。
ああ、俺……何やってんだろ。
それからしばらくして、アンジェラがおろおろと部屋にやってきた。
「何やったの! 粗相でもしたんでしょ。このバカバカ……」
悪態をつく声が、心なしか弱々しい。
アンジェラはタオルを冷たい水濡らし、俺の額に乗せてくれた。こいつのきゃんきゃん声を聞きたくないから、黙っていた。背中は痛かったけど、折れてはないだろう。頭も打ってないし、ただ悔しかった。あんな弱そうな奴に簡単に伸されちゃうなんて。
「ねえ、平気?」
十分くらいして体を起こすと、アンジェラが顔を近づけてくる。こいつの目ってがこんなに穏やかだったことがあっただろうか。これまであんまりじっくり見たことなかったから、新鮮だった。
「さっきは俺が悪かった。お前が仕事に誇りを持っているのは知ってるよ」
「はあ? 今その話蒸し返すわけ? 体は大丈夫かって訊いたの」
「これからも俺の至らない所が目につくと思う。兄弟子として指導よろしくな」
「怪しい……」
俺があまりに露骨に話をそらそうとするので、アンジェラは疑い始めた。
「ねえ、まさかお店の認可を取り消されたわけじゃないわよね?」
ぱふぱふは、医療行為に該当するため国の認可が必要になる。ブタゴラスは、ハテナイで認可を受けた由緒正しい店なのだ。
嘆かわしいことに無認可の店では、ぱふぱふを性風俗のように扱い営業している。そういった店の存在が、ぱふぱふのイメージを低下させる一つの要因だな。
「安心してくれ。そんな話は出なかった」
「あそ。じゃああんたの個人的な問題か。じゃあどうでもいいや」
やっぱりこいつは俺のことが嫌いらしい。急に熱が冷めたみたいに素っ気ない対応をする。
「全くヒロ様を怒らせるなんて何したんだか」
「ヒロ様ぁ?」
「さっきまでここにいらした方よ。素敵よね。お茶を出そうとしたら、お構いなく。ですって。きゃー、お声がけされちゃった」
何だ、この女。ミーハーか。黄色い声上げるな、頭痛がしてきた。
「あいつは、何か。偉い奴なのか」
「あんた、なんにも知らないのねえ。冒険者ってこれだから。少しはヒロ様を見習いなさい」
タオルで俺の頬を叩く。屈辱的だが、喧嘩する気力も湧かない。
「元気ないわね。そんなにショックだったの」
「別に」
俺は頭を一度振ってから、店の方に足を向ける。アンジェラが呼び止める。
「もしかして、あんた、この街を出ていくの?」
「そうだとしても、お前には関係ないだろ」
アンジェラは顔を真っ赤にし、タオルを投げつけてきやがった。
「そうよ! あんたなんかいない方がせいせいするわ、タロウ。今すぐ出て行ってもいいのよ」
売り言葉に買い言葉で、俺もかっかしてきた。
それから大将が帰るまで、俺たちはつかみ合い、押し合い不毛な争いをしていた。腕をひっかかれて、少し涙が出た。
こいつは俺に対してどうしてこんなに感情的になるんだろう。女ってよくわからん。
2
ハテナイの競馬場の話をする時が来たようだな。
競馬場は、国の中にあるわけじゃない。国を囲う外壁から、三キロ離れた場所にある。直通の馬車に揺られること、盆地に巨大な白い二枚貝に似た建築物があるのが視野に入る。
最大収容人数三万人、一攫千金を目当てに国外からも客が訪れる。現在、ハテナイの税収と、外貨獲得手段のほとんどは、この競馬場の収益に依存している。これをよく思ってない人も多いそうだけど、農業にしても魔物のせいで使える土地は限られているし、生きていくには手段は選んでいられないっていうのは理解できた。それに、この競馬場は頑丈で有事の際の避難所にもなっているのだ。さすがシャルル王、先々のことを考えている。
競馬場の停車場で降りると、蛍にも似た光が飛び交っている。蒸し暑い夜を、一時忘れた。
バグと呼ばれる拳大の機械虫が光源を担うのは知っていたが、その動力が何なのかこれまで知らなかった。でもランカちゃんの店にバグのような機械も売られていたんだ。動力はマテリアかもしれない。冒険者の技術って、どのくらいこの世界食い込んでいるんだろう。
競馬場まで花畑や噴水などが、来客を音便に誘導する役目を果たす。夜も更けてるから人気はほとんどないな。
煉瓦づくりの道をとぼとぼ行くと、貝の入り口付近に人影を見た。
「おや、タロウじゃないか」
先に俺に気づいたのは、鎧を纏ったとくとうの男だ。警備の仕事をしている俺の同僚、ダコタさん。独身。
「お疲れさまっす」
「今夜シフトだったか? お前」
「いえ、お呼ばれしちゃって。貴賓室ってどっちですか?」
ダコタさんは俺の全身をくまなく眺めてから、吹き出した。
「何だあ、そのナリは?」
俺は大将から借りた少し大きめのジャケットとスラックスでキメてきたんだ。これからの野戦に備えてね。
「せめて馬子にも衣装って言ってくださいよ」
「バーカ、肩幅合ってねえんだよ。そんなん自分の稼ぎができてから着ろ」
「ひでー、俺これからデートなんですから一応」
「へえ……、奥手なお前がデートねえ。商売女ならやめといた方がいい。金もないくせに」
「そんなんじゃないですって。あ、俺行かないと」
ダコタさんも貴賓室には行ったことがないらしい。競馬場のスタッフや客は貴賓室には入ることはおろか、貴賓室のあるフロアーにすら入れない。俺たちが普段使う入場口とは、別の場所に貴賓室の入り口があるんだろう。
「入場ゲートはとっくに閉まってるからな。あとは……」
「お偉いさん方っていつもどっから入るんですか?」
俺の質問にダコタさんは、唇をかすかに歪める。
「残念だが、VIPは馬車ごと競馬場に入れるんだ。その入り口も当然閉まってる」
何か自慢げに話すんだよなこの人。俺が女と会うのがおもしろくないんだろう。まあ、俺もここに来る前はリア充には煮え湯を飲まされる立場だったわけだしな。気持ちはわかる。
「ちょっと周りを歩いてきます」
「ああ、気が済んだら戻ってこいよ。俺ももう少ししたら上がりだから。飲みに連れてってやるよ」
やりー、食費うくじゃん。って、入り口見つかんなきゃ馬車代払ってここまで来た意味ないんですけど。
俺は青々とした植え込みに沿って、歩いていく。植物には詳しくないけど、ツツジに似てる気がする。蛍もいて元いた世界への郷愁が湧く。
「でもVAFに来たいと願ったのは、タロウでしょ」
「そうだっけか。でももういいよ、どっちだって」
俺は足を止め、確信めいた声のする方向に振り返る。
頭から足先までを覆い隠す黒いローブ姿の何者かが、数メートルの距離を置いて背後にいたのだった。
「ついてきて」
言われなくてもそいつの後に黙ってついていくつもりだった。ちくしょう、奴が歩くたびにスリットからのぞく白いふくらはぎが眩しいぜ。
競馬場の側面で立ち止まる不審者。そいつが手のひらをかざすと、黒い壁だったところが横にスライドし、人工の明かりが漏れる。
中は、大理石の床でできた冷たい空間であった。奥にある階段が燭台の明かりに揺れている。
階段を上りきると黒い扉があり、そこを開くと、正面がガラス張りの部屋に通じていた。
「ねえ、すごいでしょ! 大陸技術の全てを結集したんだよ。この建物」
熱気に水を差すように、俺は淡々と答える。
「嘘つけ。冒険者の誰かの入知恵だろうが」
俺は暗がりに浮かぶ、競馬場の広大なコースに目を落とす。昼間は馬蹄の音が鳴りやまないけど、今夜は当然静かだ。
「どっちでもいいじゃない。VAFにある全てものは、アテナのものだもん」
ローブが床に脱ぎ捨てられ、かすかな衣擦れが起こる。
「つまり、俺もお前のオモチャってことか? クソビッチ」
ヒールが床を叩く音が近づくや、俺は押し倒されていた。タロウ選手、本日二度目のダウン。
鼻先に当たる甘さを煮詰めたような髪の香りに、酔ったみたいにくらくらする。
「タロウ、会いたかった。アテナを助けて欲しいの」
涙声混じりに、吐息を漏らす、女。
球形の重みが俺の肋骨を圧迫している。殺されてもいい。本来のぱふぱふはこうあるべきじゃないか。大将、すんません。
しかし蓋を開けてみたら、予想どおりの結果だ。
気づいた時には後の祭り、しかしそれが国家の思惑に関係するとはこの時、思っていなかった。




