笑わない猫に
無事にピノキオのゲートを突破し、私達は先へ進んだ。
冷たい雨は未だに降り続けている。
服も髪もびしょびしょだ。
山道を歩いて来たので、靴も泥で塗れていた。
けれど、休む時間などない。
レイルの頬に広がる黒い文字は、不気味な程に侵食を進めている。
すでに、左顏のほとんどが埋め尽くされていた。
ドロシー「ここよ」
一軒家の小さな家だった。
煙突のついた、赤い屋根の可愛らしいお家。
柵を通り越し、ドロシーが力一杯扉を開ける。
私も、なだれ込むように中へ入った。
カーペットの上に、2人を寝かせる。
ドロシーが、部屋の明かりを点けてくれた。
薄暗かった部屋が、明るくなる。
暖炉がある、温かみの感じるリビングだった。
丸いテーブルと、大きなソファがテレビボードを囲んでいる。
ドロシー「タオルを取ってくるわ!」
彼女は足早に部屋の奥へと向かう。
ピーターの姿は、元通りとまではいかないが、顔に色味を取り戻しているようだった。
首や手のシワも、少し薄くなったように見える。
海希「レイル...」
問題はレイルだ。
唇が真っ青で、ギュッと目を閉じている。
先程から、ずっと苦しそうに唸っていた。
ドロシー「アマキ、これ!」
戻ってきたドロシーから、タオルを受け取る。
私は、丁寧にレイルの顔や髪を拭いてあげた。
汗なのか雨なのか分からない。
このままだと風邪をひいてしまいそうだ。
せめてと思い、彼が着ていた上着をめくり上げ、さらに中のシャツのファスナーを下ろし、体を拭いてあげた。
昔、お風呂で濡らしてしまったコロの体を、こうやって優しく拭いてあげていた事を思い出した。
ドロシー「...泣いているの?」
彼女に言われるまで、雨の雫だと思っていた。
ポタポタと落ちる雫が、拭いたレイルの体に落ちる。
私は顔を拭い、またレイルの体を拭いた。
海希「レイルは...コロはね、水に濡れるのが嫌いなの」
なんど拭っても、ポロポロと落ちてしまう。
そんな自分に、嫌気がさした。
海希「ごめんね...冷たかったよね。ごめんね...ごめんね...」
拭っても拭っても消えない呪いの文字。
消えて欲しい。
どうか、レイルを助けて。
こんな事で、彼を死なせないで。
この世界の禁忌が、どんなに重大な事かは分からない。
きっと、何も知らない私は物凄く軽い事だと思っている。
裁判所でイザベラに熱くなって発言した事も、とても軽率だっただろう。
ただ分かるのは、そんな事よりもっと重いものは、レイルの命だ。
可哀想な猫。
私の事をいつも心配してくれていた。
自分の方が、いつだって危ない立場なのに...
彼の体を拭きながら、私は何度も願った。
彼が目を覚ましてくれるように。
また、鬱陶しいくらいベタベタされてもいい。
そうなったらまた耳を引っ張って、それでも懲りないレイルを殴って....
海希「膝枕だって、いくらだってしてあげるのに...」
どんどん涙が溢れてくる。
止まらない。
泣きたくないのに、頬を伝って落ちていく。
こんな顔、レイルには見せられない。
ドロシー「...とりあえず、シャワー浴びてくる?」
ドロシーの優しい声。
私の肩を、優しく撫でてくれる。
ドロシー「...大丈夫。少し頭を冷やして...これからの事を考えましょ?」
私は、もう一度涙を拭った。
今は、悲しんでいる場合ではない。
自分に出来る事。
たとえ小さな事でも、見つけたい。
私は彼女に向かい、静かに頷いた。




