長靴を猫に履かせたら
この日、私がこの世界にやって来て、初めての雨が降っていた。
空から転げ落ちるように、地面に落ちる。
私が、いつも夢の中で眠っていた草原。
初めてレイルに出会った場所。
草花がクッションになり、体にさほど痛みを感じない。
海希「レイル?!」
すぐさま起き上がり、苦しむように悶える彼に駆け寄る。
海希「レイル!!レイル、しっかりして!」
レイルの頬から、じわじわと侵食するように、黒い文字が浮かび上がっている。
雨のせいではない。
これは、呪いだ。
ドロシー「アマキ!ピーターが!」
ドロシーの声と、雨の音が混ざる。
頭が混乱し、そして酷く痛む。
どうしてこんな事になったのだろうか。
こんな酷い展開は、誰も望んでいなかった。
海希「....公演?」
レイルから渡される一枚のチケット。
そこに描かれている絵は、可愛らしい猫の絵だった。
立派な帽子をかぶり、長靴を履いている猫の絵。
レイル「そう!あんたは、こう言うの好きかなって思って」
嫌いではない。
映画やミュージカルなど、こういったものは好きだ。
レイル「猫の世界では、こいつはどの猫からも尊敬される猫なんだ!すっげー、いかすんだぜ!!!?」
猫が....
猫が猫を推している。
やはり、レイルも猫だ。
猫には猫にしか分からないソウルというものがあるのだろう。
なんだか、猫とばかり言っているせいでややこしくなってくる。
レイル「自分が役立たずだと思った飼い主を、奴は靴と袋を対価に、立派な貴族にしたてあげたんだ!それも、嘘や脅しを繰り返して、自分が泥を被ったんだ!なんて想いやりのある猫なんだ....同じ猫としては、考えられない!!!」
目がキラキラしている。
眩しい。
こんなレイルは見た事がない。
とても驚きだ。
海希「そう...それは飼い主も、さぞ可愛がったでしょうね」
レイル「もちろんアンチだっている。それは猫に対しての虐待だとか、猫らしくないとか。もともと俺も好きじゃなかったんだ。でも今は、断然シャトール派だ!とくに、あんたと出会ってからはな!」
海希「はぁ....」
と、レイルの熱に少し引いてしまった。
確かに猫らしくはない。
ついでに言えば、レイルだって私の知っている猫らしさはない。
私の知っている猫は、人間の姿をしていないからだ。
けれど、そんな事は言えない。
眩しい。
とくにかく眩しいのだ。
海希「でも、大丈夫なの?会場は城下町なんでしょ?」
問題はそこだ。
チケットの裏に、公演会場の場所が記されている。
ついでに、サイン会も行うらしい。
こんな目立つところにレイルのような猫耳の青年がいたら、すぐに見付かってしまうに決まっている。
私1人ならなんとかお忍びで行けそうだが、2人で行くとなると、更に目立つのではないだろうか。
レイル「大丈夫だって!あんな奴らには捕まらない!むしろ、俺はアマキの方が心配だ」
海希「どうして私なの?」
私は追われているかもしれないが、処刑になどならない。
セリウスも言ったように、私はレイルの情報源。
ただ、それだけだ。
レイル「あいつらと俺がやり合ってたら、あんたが怪我するかもしれないだろ?まぁ、俺が守るから、そんなに心配する事でもないか」
海希「心配だわ!」
巻き込まれる事前提だ。
嫌だ、巻き込まれたくない。
危険は回避しなければならない。
海希「嫌よ!1人で行ってよね」
と、冷たい事を言ってしまう。
するとレイルは、えぇ?!っと声を張り上げた。
レイル「男1人で行って何が楽しいんだよ?俺はあんたの為に、このチケットを手に入れたんだぜ?」
本当にそうだろうか。
本当は、自分が行きたいだけ。
自分の好きなものに、私を誘っているだけだ。
海希「その長靴を履いた猫が、得意気に美談を語るだけでしょ?男1人で行ったって、何も思われないわよ」
レイル「シャトール」
妙に手厳しい。
名前を念押された。
けれど、私には興味がない。
レイル「頼むから、行こうぜ!俺を1人で行かせて、向こうで拗ねさせるつもり?シャトールの公演は毎回カップルが多いんだ、俺だけ寂しくて死にそうになるって」
何を言っているんだ、この馬鹿猫は。
大袈裟すぎる。
レイル「お願いだって....そんなに拒否するなら、少し乱暴にでも連れてってやっても良いんだぜ」
出た、出ました!
この手の脅しは、もう飽き飽きだ。
海希「乱暴にしたら、嫌いになるからね」
冷たく言い放つ。
こんなコロは嫌だ。
私だって、脅してやる。
目には目を、歯には歯をだ。
レイル「酷い....あんまりだ。俺はあんたと一緒に出掛けたいだけなのに....酷い」
黄色と青色の瞳が、微かに潤んでいる。
猫耳がシュンっと下がり、甘い声を出してくる。
うぅっ....
そんな目で見るな...
レイル「アマキの事、大好きなのに....俺とお出掛けするの、嫌?」
ウルウルと上目遣いを使いこなす。
そんな目で見るなって言ってるの!
などと、心の中で叫ぶ。
かっ...かかかか...可愛い!
ズルい。
前にも思ったが、猫はズルい生き物だ。
私は、どんなに口の上手いホストに言い寄られても、拒絶出来る自信があった。
ホストでなくとも、どんなに貢がれても、どんなにのせられても、簡単になびいたりしない。
そんな自信が簡単に崩れていく。
悪魔だ。
まさしく、これが悪魔の囁き。
お祓いの仕方も分からない一般市民の私が、悪魔に勝てる訳がない。
海希「分かったわよ!行けば良いんでしょ、行けば!」
折れてしまった。
すると、レイルの表情がパァっと明るくなる。
とても嬉しそうに、私に擦り寄って来た。
レイル「あんたなら、そう言ってくれると思った!じゃぁ、早速行こう!」
正確に言えば、言わされたのだ。
....悪魔め。
手を引っ張られつつ、思う。
でも、私と行く為にわざわざ二枚も手に入れてくれたのだ。
その好意は受け取っておこう。
レイルが銃を取り出す。
こういう時、実に役に立つ能力だ。
銃声と共に、青い光が円を描く。
そこに飛び込むと、目の前は人集りだった。
噴水前に作られた簡易的な舞台。
たくさんの人が集まっている。
そこにいる人達を見て、私は目を疑った。
全員、猫耳が生えている。
尻尾がヒョロヒョロとする動きが、まだかまだかと何かを待ちわびているように見える。
レイル「なっ?これで、カモフラージュになるだろ?」
言われてみれば、こんなに猫耳の生えた生き物がいるのだから、パッと見ではレイルがいるかどうかなんて見分けが付かない。
レイル「来たぜ!シャトールのお出ましだ!」
海希「!」
一斉に拍手が巻き起こった。
舞台に上がって来た、1匹の猫。
それも、二足歩行の猫だ。
レイルのように、人型でもなんでもない。
ただの猫が、二足歩行で立派な帽子をかぶり、ブーツを履いて腰には小さなサーベルをぶら下げている。
とても不思議な光景だった。
シャトール「あ、あ、あーっ。んっ!うんっ!テステス。マイクテス....」
どうやら、マイクの確認をしているらしい。
小さな体に合わせられたマイクスタンド。
丸い手で、器用にマイクを握っている。
シャトール「どうも皆さん、我輩の為にお集まり頂いてくれてありがとう!我輩は長靴を履いた猫、シャトール・トータ・スシェル。初めての方も、そうでもない方も、どうぞよろしくお願いしますにゃ」
.....!!!
語尾に....にゃ。
まるで猫だ。
いや、猫なんだろうけど。
とても衝撃的だ。
シャトール「我輩は、我輩のご主人である男に忠誠を誓った。これは、家族もしくは友達としての絆があって....」
周りにいる全員が、熱い眼差しを彼に向けている。
隣にいるレイルに至っては、見た事もない真面目な表情で見つめていた。
....なんだ、この猫ミサは。
明らかに、私は場違いだ。
シャトール「皆さんにも大事な人が存在すると思いますが、家族、友人、恋人。誰でも良い、ただその人を想うだけで、我輩達、猫にでも、できる事があるにゃ。その事を忘れないで欲しいにゃ」
また語尾に...にゃ。
気になる。
猫だから、仕方がないのかもしれないが、やり過ぎだ。
猫を押し出し過ぎている。
海希「....ねぇ、レイル。私、その辺でお茶して待ってるから....」
レイル「しっ〜!!今良いとこだから、もうちょっと待って!」
この猫、人の話を聞いていない。
私の事に目を向けず、ひたすら猫の話に耳を傾けてる。
言うまでもないが、私は猫ではない。
彼の話に共感も出来ない。
シャトール「しかし、見返りを求めてはいけない。何故なら、それは忠実とは言えないからにゃ。見返りをお互いに求め合えば、それはいつか壊れてしまう。お互いが、お互いを信じ合う事が大事な訳で....」
そろそろ飽きてきた。
なんだか、猫の話と言うより人間関係の大切さを教えられている気がする。
そんな事は、猫に教わる事ではない。
それは、学校生活や社会の生活の中で学ぶべきだ。
レイル「....なるほど、俺は見返りを求めるからいけないのか...いや、でも俺もアマキからあんな事もこんな事もして欲しいし...やっぱり難しいんだな....」
何をさせるつもりだ、こいつは。
ブツブツと呟いているレイル。
私は大きく溜息を吐いた。
黙って去ろう。
物静かに消えれば、きっとレイルだって気が付かない。
と、私が動き出そうとした時だ。
ドンッ!!!
銃声が響く。
弾はシャトールが握るマイクに当たったのか、マイクは大きく弾け飛び、地面に落ちた。
マイクから、プスプスと煙を上げている。
いくつもの悲鳴が重なり、銃弾が宙を走る。
それから逃げるように、大勢の人(猫)達が、散り散りになって人集りが崩壊する。
レイル「ちっ、アンチのお出ましか!」
何故かレイルも撃っている。
その白黒銃が、たくさんの魔法陣を作り出した。
海希「なになになになに?!!」
腕を引っ張られ、何故か舞台に上がる。
レイルが私の盾になるように、前に立って撃ち続けている。
シャトール「若者よ!我輩に助太刀はいらにゃいぞ!」
私の横で、サーベルを無差別に振り回している猫。
海希「あんた、危ないでしょ!」
ヒュンヒュンと、風を切る音。
私に当たりそうだ。
シャトール「にゃんと!娘、我輩の剣を見くびって貰っては困る!」
ヒュンヒュンと音を立てながら、彼は振り回している。
危ないものは危ない。
だいたい、銃相手にそれは役に立たない。
レイル「俺はあんたを尊敬してる!ここで死んで貰っちゃ困るからな!」
なんて猫想いなんだ。
だが、猫ではない私を巻き込まないで欲しい。
シャトール「我輩は死なない!何故なら、我輩には愛ある主人が我輩の帰りを....」
海希「煩いっ!!!!」
そんな話はもう聞きたくない。
今は命の方が大事だ。
レイル「こっちだ!」
私の手を引くレイル。
私は咄嗟に、シャトールを抱き上げた。
シャトール「な、何をする、娘!?」
私の腕の中で、猫らしく収まっている。
まるで、人形のようだ。
レイル「...って!!!?」
レイルの持っていた銃が弾け飛ぶ。
どうやら、手元を狙われたようだ。
レイルはすかさず、もう一丁の拳銃を取り出した。
目の前の店の壁に現れる魔法陣。
そこに迷わず飛び込む。
店内をくぐり抜け、また外へ出る。
角を曲がり、その壁に隠れつつ、レイルは相手の出方を見ていた。
その後ろで、私はシャトールを抱きしめながら小さくなっていた。
海希「あんた、尊敬されてるんでしょ?なんで命狙われてんのよ!」
シャトール「どんな有名人でも、アンチはいる。それに、我輩は嘘を付いて他所の土地を奪ったにゃ。そこに住む奴らに恨まれるのは同然の事」
ドヤ顔。
どうしてそんな事に胸を張れるのか。
とても恐ろしい猫だ。
兵士「動くな」
海希「....!!?」
強い力で引っ張れた体。
突きつけられた剣に、私は動けなくなった。
レイル「アマキ!!!」
レイルは振り向き、私を捕まえた兵士に銃を向ける。
ここは城下町。
すぐそこには大きなお城があり、兵士達がうようよいる。
後ろから忍び寄っていた相手に気が付かなかった。
兵士「武器を捨てろ。さもなければ、この女の命はない」
私が人質にされている。
その剣の威圧に、シャトールを抱きしめる腕に思わず力が入った。
シャトール「くっ....苦しい...!!!」
レイルと兵士の睨み合い。
ゴクリと息をのむ。
もしもレイルが言う事を聞かなければ、私は天国へ行かなくてはならない。
レイル「....分かった」
指で、クリンっと銃をぶら下げる。
そして、ゆっくりと地面に落とした。
その瞬間、他の兵士達が私達を囲む。
指名手配犯が逮捕される瞬間だった。
....ついでに、私もだ。
シャトール「....お主達、何か悪い事でもしたのか?」
訳を把握出来ていない彼が、とても呑気に見えた。
私は苦笑を浮かべながらシャトールを地面に降ろすと、兵士達に従って歩いた。




