プロローグ
亜里沙姉さんの嫁ぎ先が決まったのは、5月末のことだった。6月となった今、もう既に挙式は終わっている。
錬金術の名門、天離家は、魑魅魍魎の跋扈する利益至上主義の魔境。そんな中で、俺の唯一の心の拠り所は、いつも優しい亜里沙姉さんだった。
兄弟姉妹、両親、親戚も、俺の錬金術は【利益を生まない、投資対効果の悪い】能力だと誹った。この家に、居場所などなかった。
だが、亜里沙姉さんだけは、俺を励ましてくれた。学校でのいじめからも守ってくれた。独りで泣くしかない夜に、そっと寄り添ってくれた。
しかし、そんな拠り所も、今日で失われる。魔術界の頂点に君臨する華麗なる一族、ローゼンハイム家。そこへ姉さんは嫁入りしてしまうのだ。
あからさまな政略結婚。だが、【権威】のローゼンハイムと、【財力】の天離が手を結べば、現代異能界の覇権を握る同盟が生まれる。両家ともそれを狙ってのことだった。
朝の7時。別れを惜しむ間もなく、俺と亜里沙姉さんは今生の別れを迎えようとしていた。
家族総出で見送る段となり、俺も外に出た。
「ローゼンハイム家への嫁入りが決まった今、我が一族も異能界の頂点に列することができる。良き妻であってくれ、亜里沙」
父の悠翠は、野望を隠そうともせず、そんな身も蓋もない言葉をかけた。
「心得ております」
姉さんは、笑みを浮かべて恭しく答えた。和装の姉さんは、さながら芍薬の花のように美しい。さすがは俺の姉さんだ。もう、あと何度かしか会えないだろうけど。
「俊司。こちらへ」
「はい、姉様」
他の家族への挨拶を済ませた姉さんは、玄関口で俺を呼び寄せ、抱き留めた。
「私を助け出そうだなんて、考えなくていいからね? あなたはあなたの人生を生きなさい、俊司」
「はい、承知しております。姉様も、末永くお元気で」
俺はそんな紋切り型の挨拶をし、姉さんの顔を目に焼き付けた。
焼き付け……ようとした。
その双眸には、さながら魔王のように凶暴な野心の炎が灯っていた。獲物を狩ろうとする捕食者の眼のようでもある。
あー、なるほど。姉さんの次のカモは、ローゼンハイム家なのか。
これでは確かに、俺が助け出す必要はない。
俺は、姉さんの夫となる人物を、とても可哀想に思った。




