目の届く場所
あの日以降、旦那様は少し過保護になった。
以前なら、私は屋敷の中でひとり自由に過ごしていた。
図書室で読書をしたり。
庭で刺繍をしたり。
好きな場所でのんびりしていた。
けれど今は違う。
常に侍女が一人以上ついている。
最初は驚いた。
「大丈夫ですよ?」
と伝えてみたのだけれど。
「見守りも仕事ですので」
にこやかに返されてしまった。
旦那様にも、
「そこまで心配なさらなくても」
と言ったのだが。
「心配する」
真顔だった。
旦那様は最近、本当に忙しそうだ。
以前よりさらに仕事が増えている気がする。
それなのに。
朝食は必ず一緒。
夕食も一緒。
そして夜になると、部屋まで送ってくれる。
「旦那様、お仕事へ戻らなくて大丈夫なのですか?」
何度聞いても。
「問題ない」
そう返される。
その代わりなのか、旦那様が屋敷にいる時は、なるべく同じ部屋で過ごすようになった。
旦那様は仕事。
私は読書。
静かな時間。
でも、仕事中に同じ部屋にいるのは迷惑ではないのだろうか。
そう思って執事へ相談すると、執事は優雅に微笑んだ。
「その逆でございます」
「逆?」
「閣下は、奥様が目の届く場所にいてくださる方が安心なさるのです」
「……そうなのですか?」
「はい。ぜひ安心させて差し上げてください」
そんなものかしら。
不思議に思いながらも、リリアーナは最近よく旦那様の近くで本を読んでいる。
仕事をしている横顔は格好良い。
集中して書類へ目を通している時は特に。
たまに視線を感じて顔を上げると、旦那様と目が合う。
すると何故か少し安心したような顔をされるのだ。
◇◇◇
三日目。
「陛下からサインをもらった」
旦那様がそう告げた。
それを聞いた瞬間、執事も、使用人たちも少し安堵した顔をした。
片付けが終わったらしい。
……何を片付けていたのかしら。
気にはなったけれど、仕事のことであれば深くは聞けない。
「もう王女も邪魔な貴族も関わってくることはない」
旦那様は静かに言った。
「待たせてすまない。明日、一緒に孤児院へ行こう」
「ありがとうございます!」
嬉しくて、ぱっと表情が明るくなる。
すると旦那様が少しだけ目を細めた。
◇◇◇
その夜も、寝る前に部屋まで送ってもらった。
そして翌朝。
一緒に朝食を食べて、孤児院へのお詫びの品を持って馬車へ乗り込む。
そこでリリアーナは不思議なことに気づいた。
旦那様が離れた位置へ座っている。
……なぜかしら。
不思議そうに見ていると、旦那様が少し視線を逸らした。
「あんな事があったんだ」
低い声。
「男と同じ馬車なんて怖いだろう」
「え?」
リリアーナは瞬きをする。
「旦那様に対して怖いなんて思うことありません」
むしろ。
「安心します」
そう言うと、旦那様がぴたりと止まった。
しばらくして。
こちらを伺うように、少しずつ近づいてくる。
そして。
「……手に触れても?」
そんな確認をされた。
「もちろんです」
旦那様はそっと手を握ってくれる。
大きくて、少し硬い手。
まだ心配しているのだろう。
だから安心させたくて、リリアーナは小さく笑った。
「旦那様にされて嫌なことなんてありません」
その瞬間。
旦那様が片手で顔を覆った。
「……可愛すぎることを言わないでくれ」
「え」
どきり、と胸が跳ねる。
旦那様から“可愛い”なんて滅多に言われない。
急に恥ずかしくなってしまった。
馬車の中なのに、顔が熱い。
旦那様はそれ以上何も言わなかったけれど、ずっと手を握ったままだった。
◇◇◇
孤児院へ到着すると、子供たちが駆け寄ってきた。
「リリアーナ様ー!」
「大丈夫だった!?」
「もう来ないかと思った!」
どうやらかなり心配されていたらしい。
「心配をおかけしました」
リリアーナは謝りながら、一人ずつ話をする。
本の話をして。
お菓子の話をして。
少しだけ遊んで。
穏やかな時間を過ごした。
その間、旦那様は孤児院の女性職員と話をしていた。
「しばらく妻は直接来られない」
「寄付品や必要物資は今後も使用人へ届けさせる」
静かな声だったけれど、有無を言わせない雰囲気がある。
やっぱり、かなり心配されているみたいだ。
少し寂しい気持ちはある。
でも、ここまで心配してくれる人がいるのは、幸せなことなのかもしれない。
帰る前、子供たちへ挨拶をした。
「また本を読みましょうね」
「うん!」
「待ってる!」
手を振る子供たちへ笑い返して、馬車へ乗り込む。
そしてその日は。
旦那様も完全に休みだったらしい。
家へ帰ってからも、ずっと一緒に過ごした。
私は読書。
旦那様も読書を。
時々お茶をして。
時々会話して。
静かで穏やかな時間。
最近、こういう日が増えた気がする。
「……幸せ」
ぽつりと零した言葉に。
旦那様が、とても優しい顔でこちらを見ていた。




