不躾な人と再会
今日は孤児院へ行く日だ。
完成した刺繍ハンカチは、旦那様たちへ渡したらとても喜んでもらえた。
あんなに喜んでもらえるとは思わなかった。
「大切にする」
「素晴らしい出来です」
「奥様らしい刺繍ですね」
皆が口々に褒めてくれる。
特に旦那様は、かなり嬉しそうだった。
何度もハンカチを見ていたくらいだ。
その姿を見て、少しだけ分かった気がする。
みんなが“欲しいものはないか”と聞いてくれる理由。
プレゼントをして、喜んでもらえると嬉しいのだ。
朝。
旦那様を玄関まで見送る。
「行ってらっしゃいませ」
「ああ。君も気をつけて」
最近は毎朝こうして見送るのが習慣になっていた。
旦那様は少しだけ表情を和らげて馬車へ乗る。
その姿を見送ってから、リリアーナも準備を始めた。
◇◇◇
孤児院へ到着すると、子供たちが一斉に駆け寄ってくる。
「リリアーナ様ー!」
「今日は本読む!?」
「お菓子ある!?」
「ありますよ」
ふふ、と笑う。
だいぶ仲良くなったと思う。
最初は緊張していた子供たちも、今ではすっかり懐いてくれていた。
今日は完成した刺繍ハンカチも持ってきた。
「わぁ……!」
「お花!」
「きれい!」
嬉しそうな顔を見ると、自分まで嬉しくなる。
それから本を読んで。
一緒に遊んで。
平和な時間を過ごしていた、その時だった。
「公爵夫人」
突然声をかけられる。
振り返ると、一人の男が立っていた。
見覚えがある。
先日の王女のお茶会にいた貴族だ。
「ごきげんよう」
とりあえず礼儀正しく挨拶する。
だが男は、子供たちのことなど見えていないようだった。
「またお会いできて嬉しいですよ」
距離が近い。
リリアーナは少しだけ困惑する。
「今日は慈善活動ですか? 素晴らしいですね」
そう言いながら、やたらと話しかけてくる。
子供たちが待っているのに。
これでは孤児院にも迷惑だ。
リリアーナは穏やかに提案した。
「場所を移動いたしましょうか」
男は嬉しそうに頷いた。
「ぜひ」
孤児院から少し離れた場所へ移動する。
すると男は馬車を示した。
「どうぞこちらへ」
「いえ、結構です」
リリアーナは即座に断った。
さすがに二人きりで馬車へ乗るのはまずい。
すると男は少し残念そうにしながらも、馬車の中から箱を取り出した。
「最近流行っている菓子です」
差し出される。
「ぜひ召し上がっていただき、今この場で感想をください」
「感想を?」
受け取った瞬間。
ふわりと、アルコールの匂いがした。
リリアーナはぴたりと止まる。
「あの……」
困った。
アルコールは飲めない。
飲んだことがない。
「家へ持ち帰っていただきます。感想はまた手紙で」
そう言って返そうとしたが。
「今この場で食べてください」
男が妙に強く言った。
「私はアルコールが飲めませんので」
「これくらい平気でしょう」
そして。
男は菓子を手に取ると、そのままリリアーナの口元へ近づけてきた。
「…………」
リリアーナは一歩下がる。
「やめてください」
はっきり拒絶したその瞬間、男の顔が歪む。
「公爵夫人は随分気位が高い」
声音が変わった。
ぞわり、と空気が冷える。
「どうやってあの冷徹公爵へ取り入った?」
リリアーナは静かに距離を取る。
護衛たちも前へ出た。
だが男は止まらない。
「どうせ愛なんてないだろう」
「俺の方が優しくしてやれる」
「公爵なんかより――」
そこで護衛が完全に割って入った。
「お下がりください」
低い声。
男は舌打ちした。
そのまま護衛に守られながら、リリアーナは帰宅することになった。
馬車の中で、リリアーナは膝の上へ手を重ねる。
……孤児院にも迷惑をかけてしまったわ。
途中で帰ってしまった。
子供たちも驚いていた。
帰ったら謝罪の手紙を書こう。
今日は突然帰ってしまって申し訳なかったこと。
また次回、本を読みに行くこと。
そんなことを考えていた。
◇◇◇
屋敷へ戻ると、執事も護衛たちも緊迫した顔をしていた。
「すぐに閣下へご報告を」
「お待ちください」
リリアーナは静かに止める。
「旦那様は本日会議中でしょう?」
「ですが……」
「大切なお仕事中にご迷惑をおかけするのは」
リリアーナは少し申し訳なさそうに眉を下げた。
確かに怖くなかったわけではない。
けれど護衛たちが守ってくれた。
こうして無事帰宅もできている。
だから。
「旦那様がお帰りになってから、お話しします」
執事たちは苦い顔をした。
けれど主人の妻に強くは出られない。
その間にも、屋敷の空気はどこか張り詰めていく。
だが当のリリアーナは、そのことにあまり気づいていなかった。
今はただ旦那様へどう説明しようかと、そればかりを考えていた。




