プロローグ
十五歳のアルヴェイン・クローディアは、その日すでに疲れていた。
王宮で開かれた春の茶会。
磨き上げられた大理石の床。
咲き誇る花々。
貴婦人たちの笑い声。
そして、その中心にいるのはいつだって“クローディア公爵家の跡継ぎ”だった。
「アルヴェイン様、こちらのお菓子をぜひ」
「まあ、ずるいですわ」
「来月の夜会には参加なさいますか?」
甘い香水の匂いが鼻につく。
十五歳という年齢でありながら、すでに完成された美貌と冷静さを持つ彼は、社交界ではひどく目立っていた。
もっとも本人にとっては迷惑でしかない。
彼女たちが見ているのは、自分ではなく家名だ。
爵位と財産と将来性。
それだけ。
アルヴェインは内心でため息を吐いた。
──早く帰りたい。
適当に会話を流そうとした、その時だった。
「みっともない真似は御やめなさい」
凛、と。
鈴の音のような声が響いた。
令嬢たちが一斉に振り返る。
そこにいたのは、小さな少女だった。
ふわりとした銀色の髪。
大きな青い瞳。
年の頃は五つほどだろうか。
まだ幼いはずなのに、その立ち姿だけ妙に堂々としていた。
「殿方がお困りでしょう」
しん、と空気が静まる。
「はしたない振る舞いは家名を辱めます」
五歳児とは思えぬ正論だった。
令嬢たちの頬が引きつる。
「な、なんですのこの子……!」
「子どものくせに!」
だが少女は怯まない。
不思議そうに首を傾げただけだった。
「間違ったことを申しましたか?」
真っ直ぐすぎる瞳。
悪意も打算もない。
それが余計に痛かったのだろう。
令嬢たちは居心地悪そうに去っていった。
静寂が落ちる。
そして少女は、ようやくアルヴェインを見上げた。
「……大丈夫?」
その言葉だけは年相応だった。
アルヴェインは一瞬、返事を忘れた。
媚びない。
怖がらない。
爵位に浮かれない。
なのに、誰より自然に堂々としている。
──なんて強かな令嬢だ。
そう思った。
「君、名前は?」
問いかけると、少女は小さく首を傾げる。
「リリアーナ」
それだけ答えて、彼女はぺこりと礼をした。
「あまり困った顔をしていたから、助けてあげたの」
まるで当然のように言う。
その瞬間。
アルヴェインは生まれて初めて、心のどこかを強く掴まれた気がした。
「リリアーナ様!?」
慌てた声と共に侍女が駆け寄ってくる。
「また勝手に抜け出して……!」
「お父様のお話、長かったのだもの」
むう、と頬を膨らませる少女に、侍女は青ざめた。
「申し訳ございません、アルヴェイン様!」
アルヴェインは首を横に振る。
「いや、構わない」
すると少し離れた場所から、壮年の男が近づいてきた。
侯爵家当主、エヴァレット侯爵 だった。
「これは失礼を。娘から目を離した私の不徳の致すところです。この子はこういった場が苦手でして」
困ったように笑いながらも、その声音はどこか優しい。
「お父様」
「人と会うことですぐ疲れてしまう。だから本当は、こういう場所に向かんのですよ」
リリアーナはむすっとした顔をする。
だが侯爵は慣れた様子で娘の頭を撫でた。
「本当なら屋敷でのんびり暮らさせてやりたいのですがね」
その言葉を、アルヴェインはなぜか覚えていた。
静かな場所を好む少女。
騒がしい社交を嫌う少女。
なのに、必要な時には真っ直ぐ声を上げられる少女。
「……では失礼します」
去っていく小さな背中を見送りながら。
アルヴェインは、妙に静かな気持ちになっていた。
その日から十年。
彼は一度も、彼女を忘れなかった。




