17:井戸の周りでおちゃわん欠いたのだあれ
DDたちの目撃情報があった下町へ、ジンはカジカとやってきていた。本当にいるかどうかわからなかったけれど、確認をもう人任せにしておく気持ちにはなれなかった。よく晴れた冬の日で、風もほとんどない。日差しの温かさが、ありがたかった。
「本当にこんなところにいるのかな?彼らには伝手はないはずだよね?」
首都のはずれ。この界隈はジンにも縁がなかったが、カジカも同じだった。道が狭くて、近くまで馬で来た二人はそのままでは中に入れず、近くにあった食料品店に頼んで馬を置いてきた。小さな家が、お互いに寄りかかるようにして建っているごちゃごちゃとした一角。狭い路地の、その奥にはもっと狭い路地が張り巡らされ、そこを子どもたちが駆け回っていた。
ジンも思う。本当にこんな場所にDDたちがいるのだろうか。疑う気持ちが強かったが進むしかない。空振りだったとしても手をこまぬいていることはできなかった。
わあわあと何事か叫びながら通り過ぎて行った子どもの一人が、はたと足を止めて振り返ると、ととと、と数歩戻ってきた。
「お兄ちゃんたち、どこから来たの?」
五歳くらいだろうか。着ているものは古く、靴も古ぼけていたが、男の子はこざっぱりしている。
「人を探してるんだ」
ジンは少し腰をかがめて答えた。
「外国人だよ。一人は女の子で一人は男の子。知ってる?」
「コーラとDDを探してるの?」
無邪気に言い放たれた名前に、ジンは自分の耳を疑った。
「知ってるのか!?」
食い気味に身を乗り出すジンを、カジカが押しとどめる。
「ジン、びっくりさせちゃうよ。落ち着いて」
言ってからカジカはしゃがみ込んで子どもと目線を合わせた。
「僕たちコーラとDDに会いに来たんだ。どこにいるか教えてくれる?」
ジンの血相に、子どもは警戒したようで、少し身を引いた。
「コーラだったらさっき井戸のところにいたけど」
上目遣いに言う子供に、カジカは人当たりの良さ全開で言う。
「井戸があるの?」
「うん、あっち」
ジンは子どもの指さした方向に身をひるがえした。カジカは子どもにお礼を言ってから後を追った。
気持ちが焦る。入り組んだ路地をきょろきょろと井戸を探しながらジンは心の中で祈っていた。自分の将来がかかっているという打算も、外国から来た学生二人が無事でいるかどうか早く確かめたいという責任感も、初めて抱いた年下の男に対する執着も、すべてがないまぜになってジンを突き動かす。
迷路みたいな路地に翻弄されて、額に汗がにじみ始めた時、視界に鮮やかな色彩が飛び込んできた。ニーレの衣装。井戸端に立つ今日のコーラは、薄い水色とピンクに近い白の布を組み合わせていた。
吐く息が白く見える。
大股に近づいてくるジンに気付いたコーラは、驚いた様子は見せなかった。大きな瞳をジンに向ける。
「初めまして。ジン・ルファスと申します」
冷たい空気の中、つっと汗が頬を流れた。
「コーラ・ラスターさんですね。お元気ですか」
言ってから間が抜けていると思ったが、コーラは瞬きもせずジンを見ている。
「この度は大変申し訳ないことをしました」
頭を下げながら頭に渦巻く疑問を意識する。本当にいたという驚き、どうしてここにいるのか、どういう経緯でここにたどり着いたのか。聞きたいことは山ほどあったが、まずは謝罪だ。
「あなたの部屋に入り込んだ男たちは捕まえました。嫌がらせを主導していた学生はすでに退学になっています。周りの学生たちも、自分たちの行動がいかに子どもっぽく、愚かなことだったか自覚しています。それにもまして、我々の配慮が足りなかったばかりに、あなたを傷つけてしまった。許していただけないかもしれませんが、この通りです。申し訳ありませんでした」
さきほどより一層深く頭を下げる。隣でカジカも同じように首を垂れた。
大きな体を縮めるようにして謝罪するジンの言葉を右から左に聞き流しながら、コーラはアールから届いた手紙の内容を思い浮かべる。『目撃情報を流したから数日中にはそちらに人が行くはずだ。うまくやってくれ』。なるほど、責任者がじきじきにやってきたというわけね。
コーラは無垢という名の猫をかぶる。謝罪を受け入れることも拒否することもしないでいれば、相手はとにかく居心地の悪い思いをする。それくらいは甘んじて受けてもらおう。
そう思って黙っていると、しばらくしてジンとカジカがゆっくりと頭を上げる。顎をひいたまま様子をうかがうジンの目に映ったのは、たおやかな女性が、自分の体を抱くようにして瞼を伏せている姿だった。コーラはちょっと寒いなと身を縮めただけだったのだが、その心細い風情に、自分に対する情けなさと申し訳なさ、不甲斐なさがどっと押し寄せてきて頭がかっと熱くなる。
反省はした。今までの己を省みて、改善するべき点については把握したつもりだった。けれども実際にコーラ・ラスターを目の当たりにしたときの罪悪感は想像以上だった。ジンはもう一度頭を下げる。ぎゅっと目をつぶると、目の裏が赤く染まる。
「あの、ここにはコーラさんだけですか?DD・トーメさんは…」
後ろからカジカが控えめに問いかけると、コーラのか細い声が答えた。
「DDはいません」
ジンの肩がびくりと動き、コーラはおや?と思う。カノメ・カジカをうかがうと、こちらは疲れたようにそっと息を吐きだしていた。
「別行動ということでしょうか。それともどちらかへ行かれたのでしょうか」
切羽詰まったジンの表情に、コーラはもう少し様子を見ることにした。
「さきほど私には何も言わずに出ていきました。どこかから呼び出しがあったみたいなんですけど、DDはいつも私には心配をかけまいと思っているみたいで細かいことは言わないので」
実際DDは呼び出されてはいるが、ご近所さんの力仕事の手伝いに行っているだけだ。そんな事情をもちろん知らないジンは眉根を寄せた。
「呼び出し…」
寺の息子は無関係だったはずだ。では誰に呼び出されたのだ?ジンが考えているとカジカが言った。
「あの、どうしてお二人はこんなところに…」
コーラがかすかに顔をしかめたのを見て、カジカは慌てて取り繕う。
「いえ、お二人にはタイカンにはお知り合いはいなかったのではないかと思いまして」
「ええ、いません」
コーラが軽く首をふると、柔らかな茶色の巻き毛がふるりと動き、日の光を受けて赤っぽく光った。
「ではどうしてこちらに…」
「DDがすべて用意してくれました。私には彼がどのような手段でここを見つけたのかわかりませんが」
うつむくとやわらかな巻き毛が顔を隠す。袖で口元を覆いながら、コーラは二人から顔をそむけると薄く笑った。
「彼はいつも私のために」
「あの」
遮る声に、コーラは目の端でジンの様子をうかがう。
「DDはどこにいるか、心当たりはありませんか?」
ジンは自分がDDの名前を呼び捨てにしたことに気付かなかった。妄想の中ではすでに何度も名前を呼び、距離を縮めた気でいたからだ。
隠せない必死な形相に、コーラは思う。この人、おもしろい。顔をうつむけさらに笑みを深くして、なんと答えたらさらに混乱させられるか心ときめかせていると、名前を呼ばれた。
「コーラ」
路地の向こうから、DDがやってくる。戻るタイミングがちょっと早いと内心舌打ちしつつ、コーラは小走りで近づくと、体を添わせるようにDDに寄り添った。
「さっき現れた」
小声で報告し、わざとらしく見上げる。二人にはそれほど身長差がないので、見ている人間がどきっとするほどの顔の近さだ。
「待ってたのよ、DD。どこに行ってたの?」
数メートル先のジンとカジカにも聞こえるような声で言い、うるうると瞳を揺るがす演技派コーラの意図はわからなかったが、DDは調子を合わせることにする。
「何かあったのか?」
右手をコーラの腰に回す。
「トーメさん!」
すぐにカジカが走り寄ってきた。
「ご無事で何よりです。どちらに行かれたのかわかりませんでしたのでお探ししていました。この度は大変申し訳ございませんでした」
膝に手をつき、カジカはがばっと頭を下げた。
「何をしに来たんですか」
木で鼻をくくるように答えたDDの目に、涙を滲ませるカジカが映った。コーラのと違い、本物の涙だ。無精ひげと相俟って、不憫さはひとしおだった。
「とにかく謝罪に。大変申し訳ありませんでした。私たちの管理不行き届きです」
そう言ってまたキノコ頭を下げる。カジカはDDがやっと見つかって、心底ほっとしていた。で、不覚にも涙が出てしまったのだった。
「私に謝罪いただく必要はありません。謝罪ならコーラに」
冷たく言われ、はっとして、今度はコーラのほうに角度を変えて頭を下げる。
「おっしゃる通りです。コーラさん、本当にごめんなさい!」
さっきも聞いたけど、ごめんなさいって言われてもねえ。応える言葉を持たないコーラは素直に黙っている。すると、カジカの後ろから近づいてきたジンが言った。
「DDさん、申し訳ありませんでした」
深く頭を下げる。
「今私たちには、謝罪しかできることがありません。狼藉を働いた男たちは裁判にかけます。問題を起こした学生たちには反省を促しています。そして、私も、このカノメも、心から申し訳なかったと思っています。これからの生活が快適なものになるように精いっぱい尽力しますので、戻ってきてはいただけませんか」
こちらの男の謝罪もどうやら本物のようだとDDは思った。それにしてもこの堅さ。どっかずれてんだよね、この人。
「なぜ戻る必要が?」
コーラを抱えたDDが言うと、ジンは奥歯を噛みしめた。そして言った。
「必要はありません。必要ということではありません。ですが、許していただけるなら、改善された『第七』をご自身の目で見ていただきたい」
言葉を切って、一呼吸置く。その目が躊躇するように動くのをコーラは見逃さなかった。
「…それに、お二人を心配してお国の方が見えているのです」
ぴったりとくっつくDDとコーラの姿に心乱されながらジンは言う。
「誰が来ているのですか」
DDに問われ、答える。
「セイン・ジャメックスという方です」
その名前を聞いた途端、DDの体温が急上昇したのをコーラは感じた。
「セインが!?」
隠しきれない興奮が滲む声に、ジンの眉間が一瞬ひそめられる。一部始終を注意深く、ピンポンのラリーを見るように視線を行き来させていたコーラは、自分の勘が正しいことを確信した。
やあだ、おもしろくなりそうじゃないの。
「DD、セインですって」
芝居がかった仕草でコーラはDDのシャツを握りしめる。
「きっとDDが心配で来てくれたのよ」
DDが少し顔を傾けてにっこりと笑った。ちらっとジンをうかがうと、見た目は非の打ち所がない男はぐっと唇を噛んでいた。二人の表情のコントラストに、コーラは胸の高まりを抑えることができなかった。そのかたわらで、DDとコーラが揃ったことに安堵したカジカは、ハンカチで目元をぬぐうと、小さく鼻をすすり上げた。冷たい空気が鼻孔を刺激して、カジカの目には新たな涙が浮かんだ。。




