第14話 貧民窟の夜
「あたしたちの街じゃ、彼女は恒例のカーニバルに欠かせない人気者だったの」
くだんの魔女と同郷だという女性はアンジェリカと名乗った。その名前を褒めると、彼女は謙遜することなく、でしょうと微笑んだ。
彼女は店の裏口へと続く地下通路へと案内する。その手にある燭台の明かりが、わずかにゆらめきながら足元を照らしていた。
「あんたが知りたいの、あの人の魔術に関することでしょ?」
ハークが頷くと、やっぱりねとため息をついた。
「本当にマダムの言っていたように、魔女狩りじゃない?」
「騎士団の任務じゃない。個人的な問題だ。助けたい仲間がいるんだ。もう、あまり時間がない」
「そう、まぁ信じるわ。彼女は魔獣を暴走させて街を半壊させたから、あの街でもうその話はタブーとされてるの。あたしたちも彼女のショーを誇りに思ってたから、ひけ目を感じてるってわけ」
「そうらしいな」
「それで行方不明だった彼女、王都に流れて来てたって知ったの。あたしと同時期くらいに、こっちに移住したみたい」
「マーティアさんはどうやって生計をたててるんだ?」
「民間医療。でも、このへんじゃちょっとしたものよ。それから、もう魔術の類はやってないみたい。だから彼女はあんたを歓迎しないと思うよ」
「そうか。彼女について教えてくれるってことは、きみは彼女を許したってこと?」
「許す許さないなんて、そんなのは利害の絡んでるお商売人さんや、レオセルダの『偉大さ』を妄信してた年寄りのする話」
アンジェリカは、手にしていた鍵束をいらいらと探り、地上への扉を開いた。
いつの間にかあたりは暗くなり、夜風が柑橘の香りを運んできた。
その場所は別の建物の中庭だった。近隣の者が共同で作物を育てているのだという。
「あたしたちは、ただ同郷の者として助けあってるだけ。でも、今はまだこの生活もそう悪くないよ。あたしの場合、酷い差別を受けたレオセルダよりも生きやすい」
「君も、ずいぶん苦労したんだな。それでも明るく振舞っていて、えらいよ」
ハークはそれ以上聞くべきではないと思い、目的地の具体的な場所を聞き、外へ抜けるための戸口へ向かった。
「騎士様。この国のこと、よろしく頼むよ。あんたたちにかかってるんだから。これ以上、この暮らしを悪くしないでほしい」
そこまで言うと、屈託のない笑顔に変わった。
「また来てね、騎士様。うちの店は出入りが激しいから、いろんな情報が入ってくる。きっと役に立つこともあるよ。あと、マダムも悪い人じゃないのよ」
ハークは、あははと困ったように目を逸らした。だが、ハークの胸中を占めるのは、自身が「騎士」と呼ばれることへの違和感だった。
騎士団の名を偽っているわけではないが、どこか騙しているような気分になり、逃げるように簡素な木戸に手をかけた。親切にしてくれた彼女を振り返る。
「助けてくれてありがとう。お礼はきっとする。それから、また困ったことがあれば、君を頼らせてもらうよ」
「困ったときはお互い様よ。それがここらのルール。あと、私は下働きの給仕役だから、お店での指名はできないけどね」
アンジェリカはハークの反応をひとしきり楽しむと、再び地下へ続く扉の向こうへと消えていった。
ハークはその後ろ姿を見送りながら、こみ上げる懐かしさの正体を探っていた。
これは歩き始めて少ししたのちに、解消される。自分が育った孤児院の「家族」たちに似ているのだと気が付いた。
アンジェリカの笑い方は、一番年の近い「妹」であるミルシアのそれに似ているのだ。そして、強烈な印象を残したマダムは、立ち姿が母代わりの二コラに似ていなくもないと思った。そして、すぐに、全然違ったかもなと苦笑した。
孤児院の人たちとは、そんなに長く離れるつもりはなかった。しかし、次から次へと起こる数々の出来事が、その時間の体感を長く長く引き伸ばし続けているように感じ、どうしようもない寂しさを覚えた。
今となっては、ロゼたちと賑やかな旅をしたこともすでに過去のものとなりつつあるのだと思い、その事実がさらに恐ろしかった。
教えられた通りの道を進むと、さらに街の荒廃ぶりが酷くなった。
あらゆる人種のるつぼと聞いていたが、このあたりは、およそ自分のよく知っている世界ではなかった。
どんどん貧民窟の奥地に踏み込んでいる気がして、果たして無事にもとの世界へと帰れるのか不安に陥るほどだった。
たびたび追手の存在も気にかけながら進んだが、もう気配はなかった。マダムとアンジェリカの手引きで、うまい具合に撒くことができたらしい。
道中、不潔な匂いには辟易した。国はこのような不衛生を放置しているのかと思うと、やるせなかった。続いて、いつかの晩の宮殿での馬鹿騒ぎが思い返され、それらを振り切るように、闇夜の通りを颯爽と進んだ。
しばらく行くと、目印の建物を見つけることができた。ずいぶん質素なものだが、屋根に祈りのシンボルを掲げた教会だ。
その裏に回ると、ずらりと続く天幕群があった。傍目に見ると、みるからに怪しげな不法住居地区なのだが、この周辺の暮らしを支えるささやかな商店通り―闇市ともいう―として機能しているらしい。
幸いどれも内から明かりが灯っており、アンジェリカに教わった最も派手な紫の外観だという一角をそのなかから探すのは、それほど苦ではないように思われた。
それぞれの天幕内のやりとりや暮らしぶりの様子は、影となって膨張し、スクリーンと化したちぐはぐの布きれを繋いだ壁にくっきりと浮かび上がっていた。
ハークにとってそれは影絵芝居を見物するかのような奇妙な感覚であった。
しかし、人々の生活を覗き見ていることを自覚し、なんとも気まずい思いに駆られた。




