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聖獣の庭、あるいは忘却曲線  作者: 蒼乃モネ
第四章 聖獣の庭、追憶のしらべ
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第15話 誓いの日

 ロゼは記憶の霧を抜けると、のしかかるような疲労感を振り切って歩き続けた。

 混乱する思考を落ち着けるように、アルフレッドとの再会だけを望んだ。

 ―自分の記憶が及ばない過去のことは、今はいい。アルフレッドに会いたい。

 そう強く願ううちに、アルフレッドと召喚の契約を結んだ日のことが思い起こされた。


「君の名前は、アルフレッドよ」

 ロゼはこれから自身の契約獣となる聖獣の瞳をじっと見つめ、その名を言い聞かせた。

 ロゼよりも一回りも二回りも大きな身体をした、青い毛並みのアルフレッドは、静かにその言葉を聞いていた。

 ナイトから教わり、ロゼが手入れした薔薇の咲く庭でのことだ。時間が穏やかに流れる昼下がりだった。

 そばにいたナイトは思わず苦笑した。

「アルフレッドとは。まるで人間につけるような名前じゃないか。主人に呼ばれていることを認識し辛くはないだろうか」

「このこは聡明だから、問題ないわ」

 ロゼは聖獣アルフレッドの艶やかな毛並みを指ですいた。アルフレッドは出会って間もない主人にぎこちなくも寄り添い、静かに座っていた。柔らかな長い毛に包まれた尻尾は、ゆっくりと左右に揺れていた。

 ナイトはその様子に安堵したようだった。


 ナイトは、アルフレッドを「聖獣の庭」から連れ出すと、そのままロゼを住まわせていた屋敷へ導いた。そしてすっかり言葉を覚え、読み書きができるようになったロゼに聖獣との契約を勧めたのだ。

「君は獣使いの素質があるから、私の後継者として聖獣使いになってほしい」と。

 ロゼは承諾した。獣使いとしての才能にあふれるナイトの姿に憧れて続けていたため、自然な成り行きであった。


 その直後に、ナイトは二度と屋敷に帰ってこなくなったのだ。

 ロゼに残されたのは、ふたつ。

 深い森のなかで蔦に隠された庭付きの小さな屋敷と、召喚獣のアルフレッドだった。


 ロゼは悲嘆にくれた。空っぽのまま、何日も庭に咲く薔薇の手入れを続けた。

 ナイトが屋敷に来るたび持ってきてくれた本もすべて読みつくしてしまった。

「私、いつまで待ってたらいいの?」

 ロゼは小さな剪定ばさみで、薔薇をぱちんぱちんとやりながら呟いた。

 アルフレッドはナイトが居なくなって以来、青年の姿でロゼの隣に立つようになった。それについてロゼが驚くことはなかった。聖獣の能力が人間の理解を超えていることについては、ナイトからよく聞かされていたためだ。

 アルフレッドの妙に気品を感じさせる振る舞いは、ナイトの仕草を真似ているようだった。

「ロゼは『寂しい』のですか」

 このころアルフレッドの声には、感情による抑揚がほとんどなかった。それでもロゼの話し相手になりながら、屋敷のなかをついて回った。

 そのときの姿は青年であったり、聖獣であったりと様々だった。アルフレッド自身も変化のコントロールには慣れていないようだった。

 またアルフレッドは言葉を選ぶことに、神経を使っているようだった。しかし、すぐに習得してしまった。今や主よりも口が回るのではないかと、ロゼを心配させている。


「君はナイト様がいなくて、寂しくないの?」

「僕には『寂しい』がわかりません。けれど、このままではロゼが死んでしまいそうです」

「どうしてそう思うの?」

「わかりません。でも、この庭の花がそうだから」

 アルフレッドは、そう言いながら足元に落ちている花のがらを拾った。

「この花があなたの呼び名と同じ言葉だから、そう思うのかもしれません」

 ロゼは改めて、利口な召喚獣だと思った。

 見事な赤い薔薇が咲き誇っていた屋敷の庭は、日に日に色を失っている。

「これは満開の時期が去ったのよ。また時が廻れば咲くの」

「ではロゼはそのあいだ、何をしているのですか?」

 アルフレッドの言葉に、ロゼはどきりとした。


 これまでは薔薇の咲かないあいだ、ナイトからそのぶん多くの勉強を教わっていた。彼が持ち込んだ本を読み、彼の持ち込む食材でロゼが二人分の食事を作った。

 これからは、どうなるというのだろう。

 食については、野草の知識や狩りの心得を教わっているため、生きる程度には心配いらなかった。身体能力の高いアルフレッドがいれば、狩りは容易だった。庭を利用して、作物を育てることだってできるだろう。その気になれば街へ降りることもできる。

 しかし、ロゼにとって問題はそこではなかった。


「私、何もないのよ」

 ロゼがぽつりと言ったのを、アルフレッドは静かに聞いていた。

 アルフレッドはロゼが過去の記憶を持たないことを知らない。そもそも獣は過去を潜在以外の域で意識しないのかもしれないとロゼは思った。だが、不安を言葉に出さずにはいられなかった。

 しばし黙っていた青年の姿のアルフレッドは、ロゼの薄い羽織を少し引っ張った。

「僕がいるでしょう」

 ロゼには、いつもどこか遠くを見つめているようなアルフレッドのその顔が、少し柔らかく微笑もうとしているように見えた。

「なんでも力になれますよ」

 この言葉を選んだアルフレッドの優しくも毅然とした様に、ロゼは力をもらったのだ。

 次の瞬間、ロゼは密かに思っていたことをすっと口にすることができた。

「私、ナイト様を探しに行きたい。だから、ここを出ましょう」



 ロゼはひとたびの回想を終え、不思議な気持ちになった。

 ハークたちと出会ってから多くのことが起こりすぎて、この旅のはじまりのことを思い返す暇もなかったのだ。

 すっかり薄れていた。空っぽだった自分が、彼のような聖獣使いになりたいと願ったことが。

 いつの間にかナイトを追う目的が逆に追われていたことに、この時初めて気がついたのだった。

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