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カレンベルクへの帰還を前に、ケンジは王都での「最後の仕事」を片付けていた。
「よし。これで王都側の設置は完了だ」
王宮図書館の一角、許可を得た隠し部屋の床に、ケンジは複雑な幾何学模様を刻み込んだ。新しく習得した『転移』を安定させるための魔力ポータルだ。
「……マスター。ポータルの稼働準備は万全です。別のポータルを設置すれば王都への移動できるようになります」
お世話になったハンスや王都の人々に挨拶を済ませると、リィザと共に王都を後にした。
カレンベルクへと続く街道。
馬車に揺られる二人だけの空間は、来た時とは別の空気に満ちていた。
(……。……。……)
ガタゴトと規則正しく響く車輪の音。対面に座るリィザは、窓の外を流れる景色を眺めながら、時折楽しそうに鼻歌を漏らしている。いつも通りの彼女。しかし、昨夜の王の言葉とノアの補足が、ケンジの脳内で不協和音を奏で続けていた。
「……リィザ」
「なあに、ケンジ?」
ふいに向き直ったリィザの瞳が、夕日に透けて宝石のように輝く。ケンジは思わず視線を泳がせ、手元の資料に目を落とした。
「あ、いや……。馬車の揺れは酷くないかと思ってな。気分が悪ければ、次の宿場を早めてもいいが」
「全然! むしろこの馬車、座り心地が良いわね。ケンジ、さっきからずっと資料の同じページを見てない?」
「……情報を再確認しているのさ」
苦しい言い訳を口にするケンジの脳内に、無機質な、しかしどこか楽しげな声が響く。
(マスター。視線が一点に定まっていません。心拍数の上昇も継続中。リィザ様との『将来の婚姻可能性』を演算した影響と推測されます。婚姻へ向けた会話の内容を提案しましょうか?)
(……ノア、黙ってろ)
ノアの茶化しを振り払うべく、ケンジは強引に「仕事の話」へと舵を切った。
「……コホン。今後の予定を相談しておきたい。カレンベルクの状況が落ち着いたら、冒険者を再開しようって話したろ。何かやりたいことはあるか?」
「そうね。 久しぶりに大きな依頼とか受けちゃう? 私は最強の冒険者を目指すからレベルも上げたいわ。あと、ベルトランに顔を出したい」
リィザはあっけらかんと笑い、拳を鳴らす。彼女の中に、気まずさの色は微塵もなかった。その屈託のなさが、今のケンジにはありがたい。
「……そうだな。だが、そのためにはまず、この『ベルトランの使者』としての仕事に終わらせる必要がある。まさか魔族との停戦を報告しに行ったのに、レムリアやガレリアとの争いにまで関わることになるとは思わなかったけどな」
「……そうね。お父様には都度連絡は入れておいたけど、なかなか帰ってこないから心配してるでしょうね。まあ、私も付き合うわ」
リィザの言葉に、ケンジは少しだけ胸が軽くなるのを感じた。
「……ああ。ありがとう」
馬車は夕闇の中、二人の微妙な距離感を乗せて、着実に目的地へと進んでいく。ケンジは資料を閉じ、窓の外を見た。




