110. リトル・ウィング誌
ユーリはチェックインとチェックアウトの隙間時間に
小羽屋ライブラリラウンジへと足を運んでいた。
あんな酔っ払いの予言ごときに大袈裟な・・・
とは思うのだが、実際にこれに伴うと思われるキャンセルが続出している。
実害が出ていては仕方がない。
ユーリも諸々調べる覚悟をしたのだ。
そして、ルミナス高原牧場のフェリクス贈書の中に
"リトル・ウィング誌"と言う本があったのを思い出したのであった。
この本は、リトル・ウィング村の
成り立ち、風俗史、自然史、地学史等
この地域の歴史が細やかに書いてある。
ユーリは年季の入ったその本をめくる。
もし仮に、ルミナス山が噴火するとすれば
どれだけの規模になるのだろう。
前例はあるのだろうか。
ルミナス山の章があった。
前回の噴火は、300年前の・・・やはり初夏
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東側斜面からの噴火により、大量の火山灰や噴石が降り注ぎ、家屋倒壊、農地埋没、火災、洪水、土砂災害など、広範囲にわたる被害がルミナス山、アステア岳双方で発生。人的被害は記録が少なく、噴火による直接的な死亡者0名、負傷者は約70名、うち、リトルウィング村は火山弾の飛来による家屋倒壊で、負傷者2名。しかし、その約数年間は家屋の倒壊や農地の埋没による餓死者が出た集落もあり、リトルウィング村も数年間作物の不作に苦しむことになる。
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とのことだ。
300年前の噴火は比較的小規模な噴火であった様だ。
あの規模の山が本格的に噴火したら
多分、こんなものではない。
サムエルも言っていたが
天候、作物の不作、火山灰の影響などは
王都どころか西大陸にまで及ぶのではないかと
ユーリは考えた。
ただ、噴火の衝撃や火砕流などを止める方法など知る由もない。
何か結界が役に立つだろうか。
それはマリーン先生にまた問い合わせてみよう。
ユーリは、ふとアステア岳の章が目に入った。
このリトルウィング村があるのはアステア岳だ。
ルミナス山と向かい合う様に存在している。
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アステア岳はおそよ40万年前から噴火を始め,1000年前頃に噴火を終えたことが,地域のエルフの証言及び、山麓の堆積物調査によって判明しているとのことだ。今後噴火を再開するかどうかについて確かなことは不明。西東両大陸で1千年の休眠期間の後噴火した例は見つかっていないので、噴火の可能性は極めて低いものと見ている。(地学研究者オースティン・ケイン氏の見解)
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へえ・・・
そういえばモメラスがアステア岳は古いとか言ってた。
さらにこの下を読む。
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民話的考察。
古くから地域ではルミナス山は竜、アステア岳は虎と見做される風習がある。
伝わる民話として、竜と虎は双方諍いが絶えなかったが
最終的には虎が勝利し、竜の腹の上に居座って竜を牽制しているというものがある。
地理学的にみても
ルミナス山のアステア岳側の斜面は比較的噴火が少ないことや
アステア岳はルミナス山卸ろし、及び噴火時の噴火物を堰き止め
イーシュトラインの街を保護している。
それを象徴している民話と言える。
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へえ・・・面白い民話だ。
ユーリはやられた竜の腹の上に
ドヤ顔で箱座りをしている虎の図を思い浮かべて
ふふッと、笑いが込み上げてきた。
ん?・・・虎!!
ここで、虎の文字を見ることになるとは。
虎、という動物は一般的ではない。
ユーリも実物は見たことがないし
図鑑で何回か見たくらいの生き物だ。
こんな偶然はあり得ない。
この虎が白いのかはこの本を見ただけではわからない。
だが少なくとも、ルミナス山の噴火を止める鍵が
アステア岳にあるのではないかと思えてくる。
この話の裏を取りたい・・・
フェリクスや、モーリス村長に話を聞いてみるしか無い。
ユーリは、急いで、文字通り走って、村役場へ向かった。
モーリス村長は、村長室にいてくれたし
本当に丁度よくフェリクスも一緒にいた。
「ああ、ルミナス山に関する予言があると言うのは
聞いたことがある。
そんなに集客が落ちているの?
無いと思うんだけどなあ・・・
噴火なんて、本当のところいつ起こるか
予測が出来ないからね。」
村長は困った顔をした。
やはり村長の耳にも入っていた。
「先日イーシュトライン行きの乗り合い馬車で
若者がその話をしていたよ。
一部週刊誌で特集されてるとかなんとか
馬鹿馬鹿しいと思って聞いていたが。
まさか実害が出るとはね。
しかも、新しい予言なんてものまであるなんて・・・」
フェリクスも頷く。
そんなところにまで広がっていたとは。
予言したのが実母であることは伏せることにした。
「ルミナス山の火山活動は活発でもなんでも無いらしくて
何かあるにしても
大規模な噴火はあり得ないとのことですが
こうも民衆に広がってしまっては・・・
初夏まであと一ヶ月くらいなんですけど
できるだけアピールしたく。
抽象的ではあるのですが
アステア岳の虎の民話について、何かご存知だったら
お伺いしたいのですが・・・」
我ながら何を言ってるのだと疑問に思う。
ユーリにもはっきりと説明できないことがもどかしくもあったが
しかし、予言などという抽象的なものを信じている皆様に対して
響くものがあるとすればそれは
アステアの虎が守ってます!と言う
神話的、歴史的に重みのある言葉なのではないかと
と、ふんわりと構想していた。
フェリクスとモーリス村長には
それが伝わった様に見えた。
「アステアの虎とルミナスの竜伝説は知ってる。
この辺では有名な神話だ。
白い・・・のかな?
その本に書いてあること以外は
申し訳ないけど知らないな・・・」
村長は言う。
「ルミナス山の村では、竜が勝利したことになっていると聞いたよ。」
と、フェリクスは苦笑いをした。
そうそう!と村長も笑った。
諸説あるのか・・・
それでは意味が無い。
ユーリは苦い顔をした。
モーリス村長があ、っと思いついた。
「観光組合の緊急会議をしたらどうだろう。
対策は共有するべきだし
何か、いい情報が入るかもしれないよ。
ルミナス村の宿屋も最近は多く入っているし。
彼方の方が被害は深刻なのじゃ無いかな。」
フェリクスも、うんうんと頷いた。
すでに、初夏の時期、特に花の流星群がくる時期というのは
来月に差し迫っていたため
緊急で、このリトルウィング村役場で
イーシュトライン観光組合臨時会議が
行われることになった。
三日後である。
・・・・・
今夜は満月で明るい夜だった。
外は春の夜風が渡り、小さな虫の声が遠くでかすかに聞こえる。
ユーリ控え室で諸々の作業をしていたのだが
ライブラリラウンジから聞いたことのある音が聞こえた。
ツインコルダであった。
覗いてみると
あの、舞台に久しぶりに人がいる。
聴衆もそれなりにいる。
舞台にいるのはカリナであった。
カリナは膝の上に、ユーリに譲ったツインコルダを抱えて
細身の竿に張られた二本の絹弦が
指先と弓の動きに応えて、ふるえるような音色を生み出している。
お客様を魅了していることは
一目瞭然だ。
ユーリは、立ったままそれを見つめていた。
目の前で、カリナが弾く音は、凛として美しい。
まるで月の光を糸にして紡いでいるかのような
繊細で、艶めいて、なのに確かな響き。
── 子どもの頃、あの姿だけは憧れていた。
「綺麗だな。」
いつの間にか近くにいたサムエルは呟く。
ユーリはムッと、剥れた。
自分がツインコルダを弾いた時に
その言葉を聞くことは無かった。
カリナが演奏を終えると
最後は、お客様から喝采を受けていた。
伴奏のために、ギターを
ルイスが弾いており
一緒にニコニコ周りに手を振っているのを
ユーリは今認識した。
「これ、居住棟のリビングにあったから思わず弾いちゃたのよ。
まだ持っていて・・・くれたのね。」
カリナは、ツインコルダの裏に彫られている
絵を撫でた。
何かの植物が描かれていて、美しい。
ユーリもとても気に入っていた。
「捨てるとか、考えたこともないよ。
今も弾いてる。
この間、お祭りでも弾いたし。」
ユーリは、ふいっと、顔を背け
報告した。
カリナは、ユーリをふわっと包容した。
ユーリもそれを、特に抵抗も、積極的に迎合することもせず
暫し黙って受け入れることにした。
カリナとルイスが部屋に戻った頃には
サムエルはいなくなっていた。
両親は、明日、小羽屋を達つ。