105.5 忘れ物の話
ユーリはその日の夜フロントに立っていた。
今日のチェックインを終えてチェックインカウンターで帳簿をつけている。
たった2泊3日ではあったが
冒険から帰ってきたばかりであったので
このような業務が非常に久しぶりのことであるように感じられた。
ライブラリーを今日から本格稼働させていたので
その店番も兼ねている。
サムエルのアドバイス通り高いお酒は有料提供にした。
しかし、初日から売り上げが上がるわけでもなく
今は、やたらと帳簿を書きつける音が目立つと
感じていたところであった。
その日は雨が降っていた。冬が終わり春に差し掛かると
この辺りはまとまった雨が降る。
雨音にカランカランと玄関扉が開く音がした。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
そう言いかけてユーリは口を注ぐんだ。
30代過ぎくらいの人間男性が立っている。
見覚えのあるお顔である。
「私、昨日チェックアウトした
マキシム・ラインツァーと申します。
忘れ物を取りに来ました。」
そう、そのお名前であった。
昨日チェックアウトされたお客様だ。
王都の住所、魔法使い会社員
お一人で2泊されて
お忘れ物も確かに存在した。
「はい、ラインツァー様、お忘れ物お預かりしておりますよ。
お掛けになって、少々お待ちください。」
ユーリは忘れ物が保管してある倉庫へと向かう。
ヒーロは、お客様の忘れ物をいつもここに
何号室にあったかをメモして、おいてくれる。
それを元に忘れ物帳もつけている。
手紙で貨物で送って欲しいと言う要望をいただいたり
来年行くから取っておいてと頼まれたりと
そう言うやりとりはあるものの
こうして態々取りににいらっしゃるケースは稀だった。
しかも今回のは、昨日のものなので、手前に置いてある。
それにそこそこ、印象深い忘れ物でもあった。
何しろ彼が忘れたものは
魔法の杖である。
ユーリも、一応魔法使いだ。
杖を忘れるなんて
お客様には失礼だが、流石に・・・
しかしあえて何も言わない。
ユーリは焦げ跡と傷だらけの、古びた魔法の杖を手に取った。
総木製で握り手には小さなひし形の模様がいくつか彫ってあり
持ち主が何度も手で撫でたらしい滑らかさを帯びていた。
ユーリはこれを見たとき
何なら捨てて行かれたのではないかと疑ったくらい
ボロボロの状態であったのだった。
ユーリはそれをラインツァー様の前に持ってきた。
「こちらでよろしいですか?」
だが、彼はそれをじっと見つめているだけで
手を伸ばそうとはしなかった。
しばらくの沈黙。
「あの、違いましたか?」
ユーリはもどかしくなり、強めに聞いてしまった。
気の弱そうなラインツァー様はビクッとし
気まずそうな笑みを浮かべた。
「預かってくれてありがとう。でも、やっぱり受け取れない。」
ユーリは一瞬眉をひそめた。
が、すぐに表情を元の笑顔に戻した。
「と言いますと、破棄されたい、と言うことでしょうか?」
男の目が見開かれる。
「あ、いえ、そういうことではなく・・・」
・・・どうにも容量が得ない。
自分は一体何に付き合わされているんだと
ユーリは心の中で小さくため息をついた。
だが、それを表に出すことはしないように努力した。
雨脚が強くなったのか、外の雨樋を叩く音がいっそう激しくなった。
ユーリは辛抱強くもう一度聞いてみた。
「この杖をあえて置いていかれた、ということなのでしょうか。」
確認するように問うと、
ラインツァー様は、静かに頷いた。
「ええ、実はと言うとそうなんです。申し訳ない。
でも、どうしても気になってしまって。
戻って来てしまったんです。」
何やら事情がありそうだ。
ユーリはちょっとだけ、この話に付き合う覚悟をした。
「気になって、というのは?」
ラインツァー様は少し俯き、前髪の影に隠れた目が床を見つめている。
沈黙。言葉を探しているのがわかる。
「・・・自分でも、よくわからないのです。
小羽屋さんには申し訳ないが
捨てるつもりで、部屋に置いていってしまいました。
だが、宿を出て、乗り合いの馬車に乗って
イーシュトラインについても
どうしても頭の中から、この杖が離れなかった。
まるで杖に“戻れ”って言っているようで・・・」
「魔法の杖は、使い手と深く繋がるものですものね。」
ユーリは納得するように頷いた。
杖はただの道具ではない。それは、自身の魔力を具現化する媒体であり
時に生命すら宿るとされるものだ。
人によっては“写身”と呼ぶ。
・・・ユーリの場合は、自分の杖を”友人”と呼ぶことにしていた。
ラインツァー様は、ようやく杖に視線を戻した。
「この杖は、私が初めて魔法を発動した時のものなんです。
7歳の時でした。父がくれたものです。
“魔法使いとしての第一歩だ”って。
それ以来、ずっと一緒でした。
訓練も旅も、戦いも。何もかも、この杖と一緒でした。」
ユーリは静かに相槌を打ちつつ、ただ聞いていた。
「でも、半年前の任務で・・・」
そう言いかけて、ラインツァー様の声がかすかに震えた。
「・・・大きなミスをしました。
私の防御魔法が破られて
同僚を一人・・・死なせてしまった。」
ユーリも流石にかける言葉が見つからなかった。
「それ以来、魔法が、うまくいかなくて。
魔力は通るのに、意志が迷って、術式が乱れる。
杖も、それを反映するようになって
に、握るだけで、あの日の同僚の声が、顔が、浮かんでくるんです。
私は王都のエドルド魔法道具店に努めておりまして
現在は休職中です。
この旅行中に、もうこの杖を手放そうと思って・・・」
ユーリはその元バイト先、内定先の名を久しぶりに聞いて
頭に雑念が入り込んだが、押し殺した。
「でも、手放せなかった。」
ラインツァー様はそう言い切ると苦笑いを浮かべた。
「未練がましいですよね。情けないです、本当に。」
ユーリはしばらく黙っていた。
が、ラインツァー様が何も言わないので切り出してみた。
「えと・・・ミス、というか
それは杖が壊れてしまったせいですよね?」
ユーリは焦げた本体と、多分魔法石が埋め込まれていたと思われる
ひし形の彫り跡を見た。
ラインツァー様が顔を上げる。
「ええ、その任務中に炎の罠を受けてしまい
本体は焦げ、埋め込まれていた魔法石も割れ飛んでしまいました。
その時は任務を続行せざるを得なくて・・・
しかし、私のせいだ。」
ラインツァー様はまた顔を下げてしまった。
・・・なんだ、原因は明白じゃないか。
ラインツァー様のせいではない。
現場判断を間違えたその場の責任者のせいだ。
ユーリは今度は本当にふうーっと、ため息をついた。
食堂の古時計が鈍い音を打った。
夜の十時を告げる鐘。
ラインツァー様は突然ハッと我に帰ったような顔をした。
杖に手を伸ばしそっと柄を握った。
「まだ、手が震える。けれども、もう少しだけ
こいつと向き合ってみたい。」
ユーリはお客様が、何かよくわからないけれど
諸々納得された、と言う事だけは良くわかった。
「きっと、この杖もそれを望んでいますよ。」
にっこりと微笑むことにした。
そして、より良い提案もしたかった。
「もしよかったら、ここのライブラリーを覗いていきませんか?
今日から開けたばかりなんです。
魔術理論の古書もいくつかあります。
確か、22番の本は高名な杖作り職人のエルフ
ウァレンティヌス・エムズ著『写身たる杖の理論』と言う本です。
考え直すにも、ちょうどいいと思います。」
ユーリは古本が詰まった棚に向けて掌を差し出した。
ラインツァー様は少し迷ったあと、小さく頷いた。
「お言葉に甘えて。それに、少しだけでも、この杖に報いたい。」
そう言うラインツァー様を席へとご案内し
『写身たる杖の理論』も持って来た。
「お酒は有料ですが、ハーブティはサービスで出せます。
心を落ち着ける効果がありますよ。」
お茶も用意し
ついでにスッと有料メニューもテーブルに置いた。
「本当にありがとう。」
ラインツァー様は穏やかな笑みをユーリに向けた。
別に、自分は何もしていない。
そこに本があっただけだし、お茶を入れただけだ。
しかも、この本は自分が持って来たわけでもない。
この本を持って来たのは・・・
ユーリは次の発言を迷っていた。
しかし、これが自分が今出来る
一番実用的な言葉だと思い直し
あえて言うことにした。
「ラインツァー様、その杖は壊れていると思います。
魔法石が飛んでしまって、一部焦げたとなっては・・・」
そこまで言ってみたものの
ラインツァー様のいかにも泣き出しそうな
悲しげな顔を認め、止めてしまった。
「失礼しました。出過ぎた言動でした。」
ユーリは慌てて頭を下げる。
そんな事、自分みたいな小娘に言われるまでも無い。
ラインツァー様自身が一番良く
わかっているはずだ。
「いえ、そんなこと!本当に貴方の言うとおりなんだ。
王都の杖作りを何軒尋ねても
”こんなのは直せない、買い替えろ”と言われてしまった。」
ラインツァー様は窓の外を見つめた。
ライブラリの窓の外にある造園はライトアップが美しく照らされている。
そんな憂いを帯びたラインツァー様の横顔を見つめながら
ユーリは何をこの人に言うべきかが
もう、わからないでいた。
突然、控え室の扉がバン!と開いた大きな音がした。
「いやー、大陸縦断鉄道寄与駅の承認、なんだかんだうまくいきそうだよ!
モーリス村長も上手く言ってくれてさ、それで・・・」
ツカツカと、ご機嫌は大声で喋りながら入ってくる者。
サムエルである。
その時は珍しく、なんならすでに一杯飲んでいる雰囲気すらあった。
サムエルはライブラリにいるラインツァー様とユーリを見ると
急に静かになった。
「あ、ライブラリって今日からだっけ?
あの、失礼しました・・・」
と言って、サムエルはそそくさと帰ろうとする。
ユーリは、慌てて駆け寄り
サムエルの肘のあたりを掴んだ。
「あの、サムエル?
ウァレンティヌス・エムズ様をご存知では?」
サムエルはその名前を聞いてぴたりと泊まった。
「知ってるよ。何?杖でも壊れたの?」
ユーリに振り返らず答えた。
やはり・・・
この『写身たる杖の理論』をここに持ってきたのがサムエルだったから
知り合いなのではないかと
たかを括ったのだ。
しかし、ユーリの返答を待たずに
ラインツァー様が、サムエルのもう片方の肘を掴んでいた。
「なんと!今はエルフ王が所持しているとされる
伝説の杖”エリオスの暁杖”を作り
先の大戦争で真っ二つに折れたそれを修復したとされる
ウァレンティヌス・エムズ氏をご存じなのか!?
ぜひ、この杖を直していただきたい!!
金はいくらでも出します!
金以外のものでも、私が出せるものは全部!!」
ユーリの思っていた以上に
ラインツァー様が食いついてしまった。
ラインツァー様の真剣な眼差しに
あのサムエルも数秒だけ押し黙った。
・・・若干引いているのがわかる。
そしてようやく肩をすくめて言った。
「ウァレンティヌスとは
昔、少しだけ縁があった。
でも今は彼、消息不明なんだよ。
ただ、あの人の弟子筋なら知ってる。
運がよければ、それも
修理してもらえるかもしれない。」
サムエルは壊れた杖に視線を送りそう言った。
流石サムエルは、話が早かった。
「本当ですか!?」
ラインツァー様の瞳がぱっと輝く。
先ほどの陰鬱な雰囲気が拭われ一気に明るい笑顔となった。
ユーリには何なら杖すら明るくなったように思えた。
サムエルはそれを見ると
急にカラカラと笑って言った。
「まぁ、紹介料として?
ここの高級酒を・・・
このリトルウィングクラフトジンオーク樽熟成古酒5年
これ、一本奢ってくれたら考えるよ。」
サムエルは有料のドリンクメニューを見つつ
ちょっと偉そうな雰囲気を作ってそう言った。
「いくらでも!!」
ラインツァー様は涙を浮かべた笑顔でそう答えた。
そのやりとりを見て、ユーリは静かにほほえんだ。
久しぶりに酒宴の準備をせねば。
ユーリはつまみを何点か作ることにはなったが
このラインツァー様は、エドルド魔法道具店の
そこそこ偉い人であったこともわかった。
更にはその日、泊まって行ってもくれた。
何週間ほどかして小羽屋に届いた彼からの手紙で
ウァレンティヌス・エムズ氏の弟子と無事繋がり
杖が治ったこと
エドルド魔法道具店に復職したことを
ユーリは知った。
「杖、返却済。修復完了。」
ユーリは、忘れ物帳にそう書き加えた。