98. 出発
サムエルの親戚が営んでいると言う
ダンジョン宿屋へと出発するのは
非常に急な事だが、その話をユーリが聞いてから
3日後のことであった。
出発前日の夜
ザイカがメモをとりながらユーリに言った。
「とりあえず3日間だけだから。
フロント警備と宿帳と記入、朝食の準備ね!
ま、ヒーロの食事だけがちょこっと心配だけど
大丈夫だよ!
ハチもいるし、モメラスも店番には協力してくれるし。
いざとなったらブロムも頼るからさ!」
ザイカはニコニコと任されてくれた。
ユーリはザイカに申し訳なさそうに何度も頭を下げる。
しかし、内心は少々、ワクワクしていた。
なにしろ久しぶりの外出なのであったし
本格的に繁忙期中に小羽屋を離れるのは初めてのことであった。
翌日、早朝。
ユーリは小羽屋の控え室に行き
転移の鏡をサムエルの王都自宅へと繋いだ。
いつも朝食準備をするよりも更に早い時間だったので
ユーリはまだ欠伸が止まらない。
しかし、サムエルはいつもと変わらない風貌と元気で
そこに立っていた。
ユーリの姿を見るや否や
朝の挨拶もそこそこに話始めた。
「ダンジョンのオーナー
ディオニュシウスって名前だけど。
その爺さんが営んでる宿まで
何軒か、知人の転移の鏡を
経由させてもらうことにするから。」
本当に今回のこの旅については
色々な方に助けていただいている。
皆に感謝をしなければならない。
一時、サムエルには・・・
思うところはあったものの
感謝せねばという点は同じことである。
まずはお礼を言わねば。
「あの、今回の件、ご提案いただき
誠にありがとうございます。」
ユーリは頭を下げた。
そして、どうしても言いたいことを
今聞いてみることにした。
「しかし、私今、魔法があまり使えないんです。
このリュックの実験もしましたが
氷結魔法を3回使うのが限度でした。
アトラクションとはいえ
ダンジョンではほぼ役立たずであるかと思うのです。」
ユーリは魔法発生器のリュックを見せて言った。
「本当に大丈夫ですかね?」
「・・・多分。」
サムエルは目を合わせない。
あれ?おかしい・・・
ユーリは、どちらかと言えば
そのディオニュシウスに言って
回復の泉にスルーさせてもらうと言う話を
確認したかったのだが・・・
「あの、ディオニュシウス・・・様?に
ご相談はできないのでしょうか・・・」
ユーリはたまらず言う。
「それが、あのじーさん
元々人に会うのが嫌いなんだよ。
手紙も出してみたけど
支配人からの返事しかなくて・・・
どうやら偏屈が加速したらしい。」
ユーリは途端に不安な気持ちに包まれた。
その後、サムエルの言う通り
どことも分からないが
何軒かの転移の鏡を経由し
最後は数十分、田舎道を歩くと
最終目的地のゴサシオ1世宮殿遺跡ダンジョンが見えてきた。
遠くに見えるのは蔦に覆われた塔。
そして、その下は庭園と温室であったのだろう。
どこか、レイルロード宮殿の
グランドオランジェリーに似た雰囲気を感じる。
しかし、こちらの宮殿は
明らかに手入れは不行き届きであり
どことなく不穏な雰囲気を放っている。
周辺は広大な平野であるせいもあるかも知れないが
宮殿を吹き付ける風の音が
獣の遠吠えのようにも聞こえるのだ。
ユーリはこの建物の尖ったてっぺんを
あんぐりと見つめながら
何て事ない様に進むサムエルに
ついていくしかなかった。
その宮殿の麓に到着すると石造りのロビーが現れた。
中には、フロントカウンターがあり
身なりの良い人間、小太りの中年男性が立っていた。
サムエルは、その男性にとても親しげに近づいていった。
「ユーリ、こちら、アントニオ・ベルリーニ支配人。
ディオニュシウス爺さんが世話になってるんだ。」
ここの支配人と紹介されたアントニオ・ベルリーニは
ユーリに穏やかな笑みを浮かべてお辞儀をした。
ユーリもつられてお辞儀をする。
「初めまして、ユーリエ様。
ようこそ《ダンジョン ゴサシオ宮殿遺跡》へお越しくださいました。」
アントニオ支配人は
丁寧な身のこなしで言葉を続けた。
「本来であれば、ディオニュシウス様が
直接ご挨拶されるべきなのですが・・・」
そこで一拍置いて
アントニオは少し困ったように眉を下げた。
「最近はずっと塔の第7階に籠っているのです。
私も実は1年ほど
外でお姿を見ておりません。」
「デニス爺さん、ここに来ないの?」
サムエルが聞き返すと
アントニオは静かにうなずいた。
ユーリは薄々覚悟をしていた事態が現実になり
頭がクラクラする思いでいた。
別にユーリはデニス爺さんに
用事があるわけでは無いのだが
つまりは・・・
「このダンジョンを攻略する必要があると?」
「ええ、通過していただく必要があります。」
アントニオは静かに微笑みながら
信じがたいことをさらりと口にした。
「第7階に到達されれば
回復の泉はご利用自由ですし
ディオニュシウス様にお会いできるかと。
ただ、そこへ至るには
階層に上がるたびに存在する『扉』を
通らねばなりません。」
「扉?僕が前来た時から
何かシステム変わったね。」
サムエルはすかさず突っ込むが
アントニオは涼しげに言う。
「恐れ入りますが、20年前からこのシステムでございました。」
「・・・そんなに前だっけ、僕が来たの。」
サムエルはまた別の意味でゾッとしていた。
「ご宿泊はいかがいたしますか?」
「日帰りは可能なの?」
サムエルはすかさず聞く。
アントニオは渋い顔をした。
「あまりお勧めはしません。
ここ10年で日帰り達成された方は
ほぼいらっしゃいません。
ディオニュシウス様は最近さらに強力な魔物を
集めていらっしゃいますので」
アントニオはカウンター下から古びた帳面を取り出すと
パタンと開いた。
「記録では、最後に日帰りで7階まで到達されたのは6年前。
その御一行は魔法考古学の教授が率いる4名様
ベテラン冒険者様パーティでした。
人間王国からの調査依頼だったので
私も同行しました。
たいそう優秀な皆様でしたが
隠し時短ルートを使用したため
途中で私も二度死にかけました。
あれは実に・・・学術的な冒険でした。」
アントニオは苦笑いをする。
ユーリの背筋がぞわりとした。
サムエルはそっとユーリを横目で見ていた。
「でも、ユーリなら大丈夫・・・じゃない?
氷結魔法は三回までだっけ?
あとは“自分を信じる”とか
・・・なんか、そういうやつで
なんとかなると思う・・・」
「サムエル、それ、本気で言ってますか?」
サムエルのいつもの自信ありげな顔が
今は見受けられない。
そしてその適当過ぎる言動を聞いて
ユーリは仄暗い気持ちになり
言い放つ。
サムエルは、ユーリが本気で怒りそうになっているのを察したはずだ。
シュンとした顔をした。
「ここ最近は、2名様ですと
平均2泊といったところでしょうか。
ちなみに、今の段階でダンジョン中の宿を
ご予約いただけましたら
通常の半額でのご提供です。
朝夕食付きです。」
アントニオはまた一層ニコリとした。
サムエルは深いため息を着くと
「高速で終わらすから。」
と言い、やや不機嫌になる。
ユーリは深呼吸し
小さく自分に言い聞かせるように呟いた。
「・・・とりあえず、できるところまで。」
二人はその場で、1泊分の宿泊代金を支払った。
アントニオはまたにっこりとした。
「ありがとうございます。
それではこちらの宣誓書にサインをいただけますでしょうか。」
サムエルとユーリそれぞれに
一枚の紙を差し出した。
ユーリはそれを読む。
このダンジョン内の注意事項が書かれており
それに合意するといった文言の宣誓書であった。
そして、最後の方の文はサムエルが言っていた例の・・・
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当ダンジョン内には、極めて危険な魔物が生息しており、重大な負傷、後遺障害、あるいは死亡に至るおそれがあることを、私は十分に認識しております。
また、当ダンジョンに立ち入ることにより、私自身または第三者にいかなる損害・障害・被害が発生した場合においても、主催者、運営団体、施設管理者、ならびに関係スタッフに対し、損害賠償・補償等、いかなる法的責任も追及いたしません。
私は、すべて自己の判断と責任のもとでダンジョンに立ち入るものであり、その結果について、いかなる事態が生じたとしても、一切を自らが負うことに同意し、ここに厳粛に宣誓いたします。
日付:__年__月__日
署名:________
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ユーリは正直のところ、ドン引きしていた。
サムエルの方を見ると、本当に全文読み終えたのだろうか。
もうサインを終えていた。
ユーリも気が進まないながら、そこにサインをした。
それを確認すると、アントニオはまたにっこりとカウンターから出てきた。
「ようこそ、ダンジョン ゴサシオ宮殿遺跡へ。
あなたの“冒険”が始まるのは、この序章の扉からです。」
改めて恭しくお辞儀をする。
そして、待合の奥にある鉄製の大きな扉が
ゆっくりと、大袈裟に音を立てて開いていった。