95. ユーリ、病む
投影板での撮影を終えたその日の朝
サムエルは早速イーシュトライン観光組合に
その写真を掲載しに行ってくれた。
サムエルはその日の夜
またパスタを作っていた。
今が旬のリーブラックオイスターのクリームパスタであった。
ワインは王都で調達してくれた少々渋めの赤であった。
それらを食べながらサムエルは話す。
「やっぱり、宿の基本はタオルとリネンだからさ。
上質なのに変えよう。次の投資はそこだろ。」
ユーリは黙々と食べながらその話を聞いた。
「後王都の話題だとね、オーガの自治区と共同事業で
大陸縦断鉄道が開通するって話が出てきてる。
僕がゴリ押しするから
必ず、リトルウィング駅作ってもらおう。」
・・・大陸縦断鉄道
「そういえば、数年前も話題になってた気が・・・
馬車鉄道じゃなくて
蒸気動力で走るんですよね。」
今この大陸を縦断するとなったら
以前シュンテンが行っていた様に
高速馬車を用いることになる。
王都では路面軌道の馬車鉄道というものも存在する。
しかしそれらは一度に運べる人数がごく少数に限られる
対して大陸縦断鉄道は動力を馬に頼らず
火力と蒸気で大きな箱を動かすと言う
構想であったと記憶している。
「結構シビアな問題だからね。
リトルウィングが寄与駅選定されなかったら
周りばっかり栄えて
お客が流れていっちゃうんだから。」
サムエルはグイッとワインを仰いだ。
「心して駅を招致しなきゃね。
ユーリ、明日の朝イチで村長呼んでよ。
その件について色々話たい。」
「・・・」
ユーリは何も言えなかった。
「あ、そうだ、君外に出られないんだっけ。
後でザイカにでも頼んでおいてくれない?」
「明日はザイカの出勤日ではありません・・・」
サムエルとユーリは暫し押し黙る。
「分かった、僕が明日村役場に行くことにする。」
サムエルはそう言うと何事もなかったかの様に
パスタを食べ始めた。
翌朝、ユーリはタオルリネン類の新調のために
手紙を書いていた。
以前、オーガの皆様のために部屋着を作ってもらった
会社にである。
転移の鏡から現れたサムエルが
その横を颯爽と
「おはよう、村役場まで行ってくる。」
と言うや否や外に出ていってしまった。
ユーリはそれを何も言わずに見送った。
と言うよりは、何かを言うには
サムエルが早すぎて言えなかった、が正しい。
悶々と考える。
この魔力装置をマリーン先生に作ってもらった当時は
なんて画期的な装置なのだと、そう思った。
否、実際画期的なのだ。
今はあれから一ヶ月ほど経過する。
買い物などはザイカの買い物代行があるから
何も問題ない。
日常生活にも支障がない。
しかし、外に出る事が出来ないのである。
ユーリは、目の前にあった紅茶のカップを
グッと飲み干した。
そんなくだらないことを考えていてはいけない。
そもそも、マリーン先生の魔法陣がなければ
小羽屋の運営どころか
日常生活すらままならなかったのだ。
ユーリは一旦その思考は頭から消し去ることとした。
嫌なことを考えないようにするには
痛点は一つしか無いの原理と同じで
別の嫌なことを考えるのが一番である。
しかも、建設的な、嫌な事。
つまりは仕事だ。
ユーリは、宿台帳と帳簿の束を取り出していた。
数時間後にサムエルは小羽屋に戻ってきた。
「村長と話してきたよ。
イーシュトラインから、リーブラックポート、リトルウィング
ルミナス、クラティガ、北のオーガの自治区・・・てな感じで
ルート的には最高なんだけど
想定利用数的にやっぱり
リトルウィングだけ飛ばされる可能性が高そうだ。
ここを僕がゴリ押ししてくるからね!」
とだけ言って
さっさと転移の鏡の向こう側に
サムエルは行ってしまった。
そして、それから数日の間
サムエルは現れなかった。
小羽屋の方は相変わらず
リーブラックポートの軍人で賑わっていた。
更に特筆するべきなのは
シュンテンの親戚のグラシュナ様が
いらっしゃってからと言うものだ。
軍人達にに混じり、おそらくはオーガのお客様も目立っていた。
皆3階のお部屋を利用している。
人間のお姿をしているが
住所と名前の書き方でわかるのである。
ザラストルのことがあったので
初めは警戒をしていたのだが
何か彼らがトラブルを起こすと言うことは無く
極めて礼儀正しく、部屋も綺麗に使ってくれた。
イーシュトライン海軍の皆様も同様であった。
非常に喜ばしいことだ。
ユーリは本日も
チェックアウトのお客様をお見送りしている。
かつて雷のゴンゴルド討伐のために
この宿を利用してくれたと言う元冒険者、現イーシュトライン海軍所属の男性が
話しかけてきてくれた。
「ばあちゃんは元気かい?」
「はい、ですが少々足を悪くしまして。
近日中に手術予定で入院中なんです。」
フィヨナお婆ちゃんは
足と腰を重労働で痛めてしまったのだ。
この、シュンテンがくれた内出の小槌を元出に
王立病院で手術を受けることになったのだ。
今は、そこに入院している。
クロエの紹介であった。
「俺は以前の小羽屋食堂の雰囲気好きだったんだがな。
今はすっかりおとなしくなっちまったな。
リトルウィングは飲食店も少ないし
また食堂やってくれよ!ユーリちゃん!」
その男性はバシッと、ユーリの背中を叩いた。
ユーリは突如残酷な感想が
思い浮かんでしまったが
すぐさまそれは消し去る。
「はい〜がんばります〜」
と言う定型文を、笑顔と共に捻り出した。
実は最近、同じ境遇のお客様から
同じようなことを言われることが
とても多かったのだ。
小羽屋の飲食部門再開・・・
一番そうしたいと思っているのは
実のところユーリなのでは無いだろうか。
活気のある夜の酒場兼、食堂。
・・・最も、ゴンゴルドインパクトの時は行き過ぎていたが。
ユーリが小さい頃訪れたここの食堂は
暖かな雰囲気に包まれ
旅行者と地元民との交流の場ともなっていて
あの舞台では思い思いに楽器が奏でられていた。
そのころを懐かしむ気持ちは人一倍大きかった。
「食堂はもはや朝食の時しか稼働していないので
あまりに勿体無いです。」
ユーリは数日ぶりに訪ねてきたサムエルに提案してみた。
「でも、現状じゃできないでしょ。
ところで、タオルとリネンの手配はした?」
サムエルには一言で否定、話を変えられてしまった。
「はい、手紙は書きました。これ、出してもらえないでしょうか。」
スッと、サムエルに手紙を差し出す。
今日のユーリは料理心がついたので
無心に料理を作っていたのであった。
ルミナストラウトとフィンガーフィッシュ&チップス
鹿のシチューパイ包み焼き
ニンジンとカボチャの種のラペ
アスパラとトマトのオープンオムレツ
などなど
「何このご馳走、誰か誕生日なの?」
サムエルが突っ込む。
「何か悶々と、作ってしまいまして・・・
氷結した在庫の整理も兼ねてます。」
サムエルはそれじゃあと
自宅からスパークリングワインを持ってきて開けた。
二人で黙々と料理を食べ、そのワインを飲み始めた。
しばらくするとサムエルが喋り始めた。
「まあ確かにこの食堂もったいないよね。
以前みたいに、がっつり食事じゃなくて
ドリンクのみ、とか、本当に軽いフィンガースナック的なやつとか。
しかも、バカ飲みする奴は摘み出す要領で
・・・こう、ショットバーみたく
2,3時間限定でやるってのはどうかな?」
サムエルは先ほどユーリが言っていたことを
突然に思い出したのだろう。
諸々提案し始めた。
しかし、いつと違って
現実味がないし、キレがイマイチ。
ユーリの心が全く動かなかった。
以前は宿泊のお客様があまりいなかったから
飲食経営ができていた。
それはユーリとしても重々承知である。
「飲食再開は現実的でないということは
私もよく分かってます。
でも、場所が本当に勿体無いので
現状はフリースペースとして
もっと有効利用できないかなと。
なので、フリードリンクと、本をたくさん置いてみようかなと。」
「フリードリンク?お金取れば?」
すぐさまサムエルが突っ込む。
「宿泊中のお客様は無料で、外来の方は取るという寸法で。
あくまで、宿泊のオプションとしたいです。」
ユーリとしてはこれは
長期滞在のお客様を狙いたいという思いがあった。
3階の客室をリリースしてから
別荘のように利用されている皆様が増えて気がついた。
お客様は基本的に放っておけば良いのだ。
お客様とて、スタッフに干渉されたく無いと思っている。
長期の滞在は宿からしてみたら実にありがたいお客様であった。
「ふーん、まあでも良いと思うよ。
古本なら、僕の家から色々持ってきてあげるよ。」
ユーリはそれを聞いているのだが
黙々と食事を摂り続けた。
帰り間際、サムエルは転移の鏡を行き来し
大量の古本を持ってきた。
そのうちの一冊を特別にユーリに手渡してみせた。
古びた本だったが
厚みのある革製の表紙、深い群青色にきらめく銀色のエルフ文字。
見た目も美しい本であった。
「これ、エルフ古代魔術の魔導書で
"星の歌"って言う、歌や詩によって人の心を操る魔法について書かれてる。
超貴重な本だから
ケースにでも入れて陳列してよ。」
「ありがとうございます。」
・・・面倒な事になってしまった。
翌朝、ユーリはこの元小羽屋食堂に置く本を集めるために
マリーン先生、シュンテン
村長や、フェリクスお爺さんに協力を仰ぐべく
手紙を書いていた。
そして今日はモメラスが庭のメンテナンスに来る日でもあった。
冬場は二週間に一回の頻度で来てもらっている。
申し訳ないが、手紙は彼に出してもらおう。
「ユーリ、大丈夫?」
ユーリが久しぶりに顔を合わせたモメラスに
最近起こった事の話をし、古本の話に入った頃
モメラスは心配そうに聞いてきた。
唐突に、何を心配されているのやら。
「大丈夫って、何が?」
モメラスは言うのを躊躇っている様であった。
「こんなこと言ってごめんね。
雰囲気が、腐っているというか
なんとなく、目が濁ってて、兎に角ヤバイ。」
雰囲気が、腐っている・・・
目がやばい・・・
以前、雰囲気が悪いと言われたことがあった。
今思い返せば、随分に失礼な言葉だ。
しかし、今回のこのモメラスの言動は
心の底からユーリを心配して言っている事が
ユーリにも分かった。