第19話 退治(2)
野営地を囲むような木々の間に広がる漆黒色の巨大なスライムは、その身体をうねうねと変化させながら、結界の壁に沿う。
そのおぞましい光景に、俺は野営地の結界内で、息を潜めて固まっていた。
キン!と高い音が響き、スライムを一線する。
だが、すぐにその合間は埋まり、無数の手触がルディオスに伸びる。ルディオスは襲い来る手触を交わして、手にした大剣を弧を描くように振り回すと、バラバラと手触は落ちていく。
「凍てつく青き精霊よ。その息吹をもって、我が目前の悪しき闇を全てを氷塊に閉じ込め破砕せよ……」
ルディオスの後方に立つカリナが、青白い光に包まれる。
「氷花の息吹」
発した言葉を機に、光がカリナから飛び出し、避けたルディオスを越えて、スライムを襲う。その巨大な一部がみるみるうちに固く凍っていく。
うごぁぁぁぁぁあああ…………………!!
声無き悲鳴のような音が空気を振るわせる。
その音に、俺は脱力感と共に背筋を這うような悪寒に襲われ、傍に座る黒い獅子の姿をしたクロガネにしがみついた。
手が、身体が、みっともないくらいに震える。
だが、自分ではどうしようもないのだ。
俺自身は、結界の中だし、スライムくらいとは思うのだが、そんな心境に反して身体の反応は、完全なる拒絶だった。
怖いからではない。
確かに恐くないとは言えないが、それでも俺は戦いには参加していないし、結界の中にいるのだから、襲われる心配もない。
「……うわ、信じられない………っ!」
ルディオスたちが結界の外に出て、姿を現したスライムと戦い始めてから、一気に気持ち悪くなった。
蠢くスライムの姿に、ゾゾッとした悪寒が駆け巡り、吐き気やガンガンと頭痛に襲われる。
ルディオスたちの攻撃に、振るえる空気の音に、ぐわんっ!と衝撃が身体に走り、一気に力が抜けた。ガクガクと、手や足の震えが治まらない。
『シオン、大丈夫……ではないな……』
「なんでこんな…………ううっ………吐きそう」
クロガネの毛並みに顔を埋めて、俺は吐き気を必死に我慢する。ずるずると座り込んでしまうのは、最早、仕方がない。
『ふむ。かなり強い個体のようだ。浄化の結界を敷いてやりたいが、我の力では、逆にこの場の守護結界を壊してしまう』
「く、クロガネは、平気なのに……!」
『我は、守護聖獣だから、魔物の陰気には耐性が強いのだ。だが、シオン。これで、自分が“聖なる存在”だと理解できたであろう?』
「………屈辱…、納得できない……!」
だって、結界の中なんだが、ここ。
今まで潜んでて何も感じてなかったのに、現れて視界に入れたらこうなるって、どうなんだ!?
『視界に入れるということは、認識することであろう?結界が効いているから、まだ、陰気が抑えられているはずだが、シオンのその反応は、まるで初めて魔物に遭遇した“聖なる存在”の反応だぞ?』
「実際、初めてだよっ!!この馬鹿ネコっ!!」
“魔の森”では遭遇しなかっただろうがっ!!と叫びたかったが、おもわず叫んだせいでクラリと視界が揺らいだ。
『むぅ。…………それなら、町で聖札を手に入れるべきであった。すまぬ……』
ぺたんと耳を垂らすクロガネ。
フォローすべきなのだろうが、今の俺は、クロガネの毛並みに顔を埋めて吐き気と戦っているので、その余裕はない。
「オー!ダメね、クロちゃん!あの町じゃ、きちんとした“聖札”は、手には入らないネ!」
ヒョコヒョコと姿を現したのはユーグだ。
戦闘を始める前に、クロガネが元の姿に戻ったのを見て、聖獣の“黒獅子”だと大興奮。
どうやら、“黒獅子”は有名らしい。
嫌がるクロガネに散々纏わりつき、最後には猫パンチならぬ獅子パンチを受けてぶっ飛んだユーグを見て、呆れたのは記憶に新しい。
まぁ、一緒にいれば、いずれバレるからいいんだが、そういえば言うの忘れてた。
聖獣だとバレたクロガネも、ユーグに思念を聞こえるようにしたようだから、それほど隠したいわけでもなかったらしい。
「シオン?……アララ、顔真っ青だね。大丈夫かい?」
『ふむ。魔物の陰気に当てられたのだ。シオンは、負の力に弱い』
「そりゃ、まるで“聖なる存在”のようだネ!」
「…………セ、ラティア………?」
聞き慣れない単語に、俺は顔を上げる。
「“聖なる存在”のことだヨ!本来は、[神人]と呼ばれていたんだ」
クロガネのそばに置かれた荷物から自分のリュックを引っ張り出して、ユーグはなにやらごそごそと何かを探している。
「うーん、と…………どこに入れたっけ?あれ?…………えーと、あ、あった、あった!」
取り出したのは、澄んだ青い石のペンダントだった。
ユーグは、それを手に、俺の傍まで来る。
すると、すっと気分の悪さが引いた気がした。おもわす、俺は息を吐く。
「んん?ひょっとして、効いた?これ、[西域]の聖石なんだけど、市場で安売りしてたんだヨ!偽物かと思ってたケド、本物?」
『…………ふむ。本物のようだ』
クロガネが石を覗き込んで、ふんふんと鼻で匂いを嗅ぐ。
………クロガネ、それじゃあ犬だよ。
「とりあえず、シオンが辛そうだし、効果があるなら身に付けているといい」
「…………ありがと……」
「いやいや、まだあるからネ!本物なら、高値で売れるヨ!」
ハッハッハッと笑うユーグ。
俺は、ユーグからペンダントを受け取り、石を握り締めた。じわりと、石から温かさを感じる。先ほどまでの気分の悪さが薄れていく。
俺は、ホッと息を吐いて、そのままクロガネに身体を預けた。
「なにをしている?」
不機嫌そうなルディオスの声に、ユーグが固まる。ギギギ………と、ユーグが振り向けば、いつの間にか結界内に戻ってきたルディオスが、大剣を片手に、ユーグを睨み付けていた。
「アー、ちょっと様子見にきたネ。シオンくん、辛そうだったから、聖属のアイテムを渡していたんだヨ!」
「援護射撃するっていったのは、どこの誰だ?」
「オー!でも、私、出番無いヨ!流石、ルーくん、強いネ!」
「援護射撃するって、言ったよな?!」
チャキ……と、剣を鳴らすルディオス。
なにやら、かなりご立腹らしい。
「ユーグの援護射撃が無かったから、ルーディがかなりヤバかったのよ。半分はなんとか削ったけど、撤退するしかなかったわ」
カリナが、俺の隣に来て、しゃがみ込んだ。
ぐったりとする俺を覗き込む。
「“見た“だけじゃない、かな?」
「魔物の、悲鳴みたいな音がしてた……」
「空気の震えは、流石に結界では防ぐのは無理ね。陰気を防ぐのも、守護結界では限界があるわ。
ごめんなさい。ここまで魔物の気が強いとは思わなかったの」
「こちこそ………、ごめん。迷惑かけて……」
情けないと、俺は自己嫌悪に落ち込む。
カリナは、俺の頭を優しく撫でた。
「シオンが悪いわけじゃないわ。“種族”の特性は、どうしようもないのよ。シオンは、まだ、力に覚醒していないみたいだから、無理はしないで。
力を得た“聖なる存在”は、魔物にも耐性が強くなると言うし、焦らないで」
「……………うん………」
「少し寝た方がいいわ。まだ、顔色が悪いもの」
そう言って微笑んだカリナは、まるで年上の女性のようだった。
何故か、そんなカリナに安心する。
そのカリナの後ろで、ルディオスに怒られて悲鳴を上げるユーグの情けない姿があったのだが、俺は見なかったことにした。
ルディオスが、あんなに感情を見せるなんて珍しいんだが、正直、ぐったりとバテていた俺はそこを突っ込む気力もなかったのだ。
『ふむ。………若いな……』
クロガネが、なにやら、納得したように呟いた。
何が、“若い”のだろうか?
とりあえず、戦闘は一時的に中断となったらしい。俺は、湧き上がる眠気に目を閉じた。




