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3、偽善者の女


「・・・」

「いやぁ、助かった。私ではどうしても届かないからどうしようと思っていたところだ。管理人さんに頼むのも気が引けるのでな」


 小さな両の手を合わせて嬉しそうに言う彼女。ちなみに僕の両手はほこりまみれだ。


「すまんな。背が小さいばかりに、上の方の掃除は行きとどかなくて。そうだ、ちょうどいい。ついでにエアコンの掃除と、天井のほこりを払ってくれるか」

「・・・いいよ」


 こんなのは初めてだ。僕にこんなことをやらせる人は。いや、別に嫌なわけじゃないけど。僕の見た目からか、誰もが端から僕はやるだけしか能のない男だと思いがちで。いや、実際他には何もできないんだけど。でも、この人はそんなことお構いなしだ。それがものすごく新鮮で、言われるがままにあれよあれよと用事を与えられ、いつの間にか外はとっぷりと暮れていた。


「いやぁ、助かったよ。夕飯も食べて行くか?」


 そしてそのお言葉に甘えて夕飯もごちそうになる。本当に今日はおかしな日だ。

 夕飯も食べ終えて、しかしお互い特に会話もないし、無言でお茶をすすっていると、


「行くところがないのなら、泊まって行くか?」


 と言いだす彼女。


「むろん、ベッドは譲る気がないから、その辺のソファーで適当に寝てもらうことになるが」

「・・・いいの?」

「別にかまわないが?」


 本当に変わった子だなぁ。僕が言うのもなんだが、見ず知らずの男を、そういう目的もないのに泊めるなんて、ちょっと神経疑ってしまう。襲われる、とか、そういうのを考えたりしないのだろうか。もしかして自分の体形なら大丈夫とか思ってない?いやいや、今の世の中、そういう趣味の人って結構多いよ?

 しかしせっかくの申し出だ。変なこと言って警戒させるのもいけない。これはチャンス。今日はゆっくり眠れそうだ。


 彼女は毛布を貸してくれたので、彼女が寝室へ引き上げた後、僕が横になっても十分収まるほどに大きなソファーに寝転がって、久しぶりの一人の寝床で、誰にも気を使うことなく、ぐっすりと眠った。ただ、久しぶりに誰の体温も感じなかったので、ほんの少しだけ心細かったのは、きっと気のせいだろう。





 翌朝、何やら香ばしい匂いで目が覚めた。あれ?ここどこだっけ?


「起きたか。・・・食べるか?」


 そう言って彼女はテーブルにソーセージと目玉焼き、トーストの乗った皿を二人分置いた。インスタントではないコーヒーの香りもする。


「・・・いいの?」


「私だけ食べるわけにもいかんだろう」


 そういうのでとりあえず顔を洗って来て、テーブルに着く。そして


「あのさ、いまさらなこと聞いてもいいかな」

「なんだ?」

「君の名前・・・なんて言うの?」


 彼女はきょとんとした。そしてふいにふっと笑うと、


「確かに今さらだな。・・・私の名前は松月美琴だ。君は?」

「僕は・・・木内」

「キウチ?それは名字か?名は?」

「下の名前は・・・」


 言い淀む僕。視線が宙を泳ぐ。


「なんだ、言いたくないのか?別にかまわんが・・・」


 不思議そうに彼女は首をかしげる。そういうしぐさは子供っぽくて可愛らしい。

 いや、別にやましい理由があるわけではなくて・・・


「あんまり好きじゃないんだ。自分の名前」

「ふぅん・・・」


 彼女・・・ミコトは気にした風もなく食事に専念する。言わずに済むならそれでいいんだけど、やっぱりここまで世話になっておいてそれも無礼な気がする。言うべきか。

 二人して無言で朝食をとる。そしてちょうど食べ終わったと同時に、僕は思い切って言ってみた。


「僕の名前は・・・紀夫、って言うんだけど・・・」

「ノリオ?へぇ、それの何が気に入らないんだ?」

「・・・なんか、ダサくない?」


 そう言って僕は、遥か昔のことをふと思い出す。クラスのみんなからノリ、ノリ!と愛称で呼ばれていた。一見仲よさそうに見えるその裏で、どれだけからかわれたことか。図工の時間の前には「やっべ!オレのり忘れたわぁ!」とか、給食の時間の前には「今日はのりのつくだ煮がついてるね!」など、今思えば本当に子供らしいからかいだ。しかし当時の僕にとってそれがどれほど苦痛だったか・・・。今思えば、本当にくだらないことなのだけれど。


「は?ダサイ?どこが」


 全く分からない、と言った様子で彼女は眉をひそめる。しかしその表情には馬鹿にした様子も、子供っぽい理由で名前を名乗らなかった僕に対するあきれもなく、純粋に分からないといった感じだ。


「ふぅん・・・君が気に入らないというのなら、別にとやかく言うつもりもないが、それなら私はなんと呼べばいい?キウチか?」

「別に何でもいいけど・・・」


 すると彼女はふむ、としばらく考えて、


「実はな、この隣の部屋の住人が木内というのだ。だから、それだと少しややこしい。だから私としては他の呼び方がいいのだが・・・では、リオというのはどうだろう?」

「リオ?」


 ノリオを略してリオ?

 彼女は、そうだ、とわずかにうなずいて、


「そう、ブラジルのリオデジャネイロで行われるカーニバルの名を、リオのカーニバルと言うのは知っているか?その呼び名だと覚えやすい」


 なんとまぁ、ややこしい覚え方だ。しかし彼女がそれがいいというのならかまわない。なんとなく、その呼び名は悪くないし、気に入った。


「なら、それで」


 そういうと、ミコトは満足そうに、少しだけほほ笑んだ。






「さて、今日の宿はどうしようか・・・」


 そう独りごちながら僕は町を歩く。あのおかしな話し方の少女、ミコトに出会ったのは一週間前。朝食をごちそうになった後に家を出て、それから僕は、またいつも通りの生活に戻った。この街はまだ出ていない。なんとなく、だだ・・・なんとなくだ。


「ねぇ、そこの君。今日暇?」


 ふいに声を掛けられた。振り向くとそこにはキャバ嬢みたいに派手な格好をした女が立っていた。恐ろしいほどに盛ったまつ毛がちょっと怖い。しかし、お金は持っていそうだ。


「暇ですよ?」


 にこやかに返事をして、手を引かれるままに、近くのホテルへと入る。

 シャワーを浴びて、ラブホテルの、腹が膨れれば味なんかどうでもいいだろうといった食事を食べ、いつも通り見ず知らずの女とベッドに横になる。つけまつげを落としたおかげで怖くはなくなったけれど、素顔の彼女はまるで別人だった。まぁ、そんなことどうでもいいんだけどね。とりあえず、やることは変わらない。

 しかし、ふと頭をかすめるのは、あの少女のことだった。いや、少女じゃないんだけど。


「どうかした?」


 そういう腕の中の女は、あの子とは似ても似つかなくて。あたりまえだけど。


「どうもしないよ?・・・愛してる」


 ――今だけね?


「ふふっ、アタシも」


 そんな茶番を今日も繰り広げ、僕はつかれて、眠りに落ちる。






 なんだか疲れた・・・。

 僕はいつものショッピングセンターの前で、今日のカモを探す。そろそろこの街を出なければ、そう思いながらずるずると、今に至る。いつも通りの生活をしているはずなのに、何でこんなにも疲れるのか。

 うなだれてベンチに座っていると、ふいに聞いたことのある声が降ってきた。


「何だ君、また腹をすかせているのか?」


 その特徴的な話し方。


「ミコト?」


 僕は顔をあげる。相変わらず黒いワンピースに黒い日傘。しかし手には白いスーパーの袋。なんだか不釣り合いだ。


「何か食べて行くか?リオ?」


 そう言って僕の名を呼ぶ。・・・覚えていたのか。そのあだ名を。たった一度会っただけの、男の名を。もうかれこれ、2週間は過ぎたというのに。


「・・・いいの?」

「ふふっ、君はいつもそれを言うな。いいから誘っているのだろう?」


 彼女は呆れたように笑った。



 家に帰りつくなり、彼女はお湯を沸かし始めた。スーパーの袋から食材を出して切り始める。ハム、きゅうり、もやし・・・そして卵は薄く焼いて錦糸卵に。今日の昼食は冷やし中華か。夏らしいな。

 彼女が手際よく調理していくのをぼんやり眺めていると、いつの間にか目の前に料理が出来上がって出された。手を合わせて食べる。やはり僕たちは無言だった。


「・・・なぁ、リオ」


 その静寂を破ったのは珍しく彼女だった。


「なに?」

「行くところがないのなら・・・家にいるか?」

「は?」


 思わず間抜けな返事をしてしまう。だってそうだろう?その申し出はありがたいが、彼女にメリットは一つもない。そんな僕の態度をどう思ったのか知らないが、彼女は苦笑しつつ言う。


「とんだ偽善者だと思うか?」

「いや・・・」


 僕は言葉に詰まる。


「なんとなく、君を見ているとじー様を思い出す」

「お爺さん?」


 数年前に亡くなったという?僕が彼に似ているのか?


「じー様は、困っている人を放っておかない人だった。まったく全然関係ない人でも、自分のもとへ招き入れては、面倒を見る人だった」


 なんだ、そういうこと。要するに彼女は、そのお爺様のように困っている僕を見過ごせない、ということか。


・・・とんだ偽善者だ。


「いや、ありがたいよ。・・・いいの?」


 そういう僕を見てほっとしたように息をつく。


「いいにきまっている」

「・・・前から気になってたんだけど、君のその話し方って、もしかしてそのお爺さんの影響?」

「ん?あぁ、治そうとは思っているのだがな、これがなかなか・・・。その通り、私はじー様っ子でな、気付いた時には話し方を真似ていて、今に至るというわけだ」

「ふぅん・・・」


 しかし、正直言って気になっていたのは初めのうちだけで、今ではその話し方に慣れてしまった。逆に、今から彼女がほかの話し方になったりしたら、たぶん違和感が半端ない。


「いいと思うよ?その話し方」


 そういうと、少し照れたように・・・しかしそれも一瞬で、今度は悲しそうに、


「君はお世辞が上手いな。さすが、世渡り上手なだけはある」

「・・・!知ってたんだ?」


 僕が普段、どのようにして生活しているのか。


「なんとなくな。君が初めてここに来た時、礼と言ってしようとしたこととか・・・そんなことから、なんとなく察しはついた」

「そう・・・」


 僕は立ち上がって、空になった皿を流しへ置いた。




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