第二十九話 最後ののぞみ
「その時、クルテスも同じことをしたんだね」
彼らはそれぞれの思惑ではあったものの、運命を人に託すことにしました。けれど、いかに身勝手だったかを、彼女はすぐに思い知らされることになります。
「私の力は、人が扱うには強過ぎたのです」
血によって受け継がれるそれは、時に暴走し、周囲を傷付け、自我を侵しました。
惨状を見、案じた神々は、天使を遣わして女神の血族を正しい方向へと導こうとします。
しかし、その結果こそが今のミモルを取り巻く環境であり、悲劇の連鎖に他なりません。
「全てが間違いだったのです」
サレアルナは両手で顔を覆って繰り返しました。告白に嗚咽が入り混じり、指の間から涙が滴り落ちていきます。
「私の存在が、いくつもの悲しみを生んでしまいました。今となっては……消えてしまうことが、唯一の償いでしょう」
「ばかっ!」
「……リーセン」
鋭い声が切り裂きました。さめざめと泣き始めたサレアルナは、はっとしたように顔をあげて声の主をみとめます。
赤い瞳の少女がその目を更に赤く染めて、一度は強く握り締めた拳を開いて女神の腕を掴みました。
透けていようと、魂だけの存在であろうと、「彼女」は「自分自身」です。
「どうして相談せずに決めちゃうのよ! あの時だってそう。一言もなしに放り出されたあたしが、どれだけ悔しかったと思ってるの。また今度も一人で逃げ出そうとしてる。そんなの絶対に許さないから!」
一息で言い切ると、きつく睨みつけます。気迫に圧された女神は、ややあってようやく返事を絞り出しました。
「ご、ごめんなさい……」
「謝るくらいなら、最初からしないで」
「私、あの時はそれが最良だと思ったの。でも、一人きりになってすぐに気が付いたわ。とてつもない孤独感に」
リーセンが魂の牢獄に閉じ込められたと感じたように、サレアルナもまた終わりのない寂しさに晒されてきました。
「一緒にいたら、もっと良い方法が浮かんだかもしれないじゃない」
そうね、そうね。言われるままに頷きますが、リーセンが最後まで言い終えるのを拒むように、「ごめんなさい」と遮ります。
「だから、謝るなって――」
「違う。もう遅いのよ。別の道を選べば良かったと後悔しても、戻れないの」
言葉の意味するところを察して、全員が戦慄を覚えました。「まさか」と口を開いたのはクルテスで、その顔には絶望の影が忍び寄り始めています。
「私には、もう何の力も……時間もないのです」
自らを隠して現れなかったのは、現実を直視するのが嫌だったからだけではなく、懺悔のように全てを語ったのも、過ちを許して欲しかったからではありません。
告白するが早いか、彼女はさらに希薄になっていきました。
「サレアルナ?」
ぎょっとしたリーセンが強く掴んで引っ張るものの、ただでさえ透けていた体が足元から空気に溶けていきます。彼女はふっと笑って、かつての自分を見下ろしました。
「リーセン。あなたがミモルさんと出会えて良かった。本当に、自分のことのように嬉しいの」
「何を言って……」
「だって、もう一人ぼっちじゃないんだもの」
「今『消えるな』って言ったばかりじゃない! ねぇ、だったらあんたもこっちに来なさいよ。あたしが引っ張り込んであげるから」
必死なのを見てとって、サレアルナは微笑を苦笑に変えました。すでに腰のあたりまでが景色と判別できなくなっています。
「ミモルさんを困らせてはだめよ。解っているでしょう?」
女神の器となる人間には多大な負荷がかかります。ティストにこれまで何の変調もなかったのは、直系の血筋と、奥深くへと封じられていたからです。
いくらミモルが強い力の持ち主でも、少なからずダメージを負ってしまうでしょう。
「なら、今度こそ――」
「ボクも一緒にいくよ」
あたしを連れていって。そう告げる前に、別の声が同じことを告げました。隣に立つクルテスです。
この場にいる誰よりも最期を悟ってしまったのか、項垂れる姿からは諦めのような疲労感を窺わせました。
「ボクにはまだ時間が残されてる。キミの時間を延ばすことも不可能じゃない。けど……そんなこと、喜ばないよね」
胸のあたりまで消えつつあるサレアルナは静かに微笑みます。それこそが、彼が何百年も何千年も望んでいたものでした。
「代わりにキミの望みを叶えてあげる。何がいい?」
柔らかい表情をした二人の印象がやけにくっきりと浮き上がって、その時のミモルには他のことがぼやけて感じられる気がしました。
「鎖を砕いて」
サレアルナは即答し、彼が「わかった」と深く頷くのを確かめると、笑みを濃くします。
「ありがとう。犯してきたたくさんの罪を、あなたのおかげでほんの少し、償える」
突然、ミモルは体から何かが抜けていくような気がしました。長い間背負っていた荷物を降ろしたような感覚です。
慌てて全身を探るも、今も「表」に出ているのはリーセンで、自分は内から世界を眺めている――その事実に変わりはありませんでした。
「血はあまりに広がっているから、すぐになくなることはない。ただ、これ以上濃くなることもないよ」
彼の言葉で、今の感覚が女神の願いを叶えた結果なのだと悟ります。手を振りもせず、瞬きをするよりも簡単に、血の流れをせき止めたのだと。
ただ、二人を見詰める少女の口から飛び出したのは疑問などではありませんでした。
「待ちなさいよ。あんた達ばっかりで何を納得してるわけ。あたしは……あたしはどうなるのよ!」
「……そうだね。サレアルナの願いを聞いたんだから、キミの願いも聞いてあげないとね」
『リーセン……』
一緒に行きたいよね。とは、ミモルには言えませんでした。
もしかしたらこれが、彼女が選び取れる最後のチャンスかもしれません。逃せば、今度こそ永劫の時が口を開けて待っているはずです。
ですが、それは同時に永遠の別れでもありました。サレアルナとクルテスが言います。
「私はもう、何も強いたりしない」
「来るなら来なよ。転生することもない、完全な無へね」
「あたしは」
リーセンは呟いたきり、沈黙しました。様々な思考が浮かんでは消え、葛藤が渦巻き――大きく息を吐き出します。
『ミモル』
『なに?』
応えながら、肉声でもないのに震えてはいないかと心配になりました。やはり、さよならを言われるのでしょうか。そう思うと、身構えずには居られません。
『……邪魔じゃない?』
『えっ? ぜ、全然! 邪魔なんかじゃないよ!』
意外な質問への驚きに被せるようにして、力強く肯定します。
『ここに、居てもいいの』
『女神様の代わりには、なれないけどね』
同じ問い。同じ答え。リーセンは込められた想いを数秒の間かみしめて、きっぱりと言いました。
「あたしを、ミモルの魂に固定して」
クルテスが腕をそっと撫でると、ミモルも願いが叶えられた事を理解しました。一対のものがぴったり合わさるような、しっくりくる感触が胸の内で生まれたのです。
「これでいい?」
「ありがとう」
彼は多くを確認しませんでした。流れゆく魂を固定する行為は、ミモルと同じ時間を生きていくことです。無限が有限になった瞬間でした。




