第二十一話 少女のうたがい
ミモルはその夜、夢を見ていました。
リーセンは夢の中のミモルに背を向け、俯いています。夢を見ているミモルは、二人の様子をやや高いところから見下ろしていました。
自分で自分を見ているなんて不思議だと、ぼんやりとした意識の中で思います。
「あたし、ずっとミモルを騙してた」
「どうして」
「知られれば、告白することになる」
呟きがぷつりと切れ、沈黙が漂いました。ふいに赤い瞳が振り返ります。
「……どうして、問い詰めなかったの」
ようやくリーセンが声を絞り出すと、今度はミモルが背を向けました。何かに耐えて黙り込む彼女に、リーセンはなおも言い募ります。
責める機会はいくらでもあっただろうに、と。すると、ミモルが何かを叫んだように見えましたが、二人を見守るミモルにはその声が聞こえませんでした。
突然、全ての音が消えてしまったみたいです。内容は分からなかったけれど、リーセンは酷くうろたえていました。かろうじて「待って」と言う唇を読み取ります。
ややあって、ミモルがぱっと振り向きました。目元が濡れているようです。そんな光景が消えていくのに気付いて、夢を見るミモルは目が覚めそうだと悟りました。
王都は大きな事件が起こったことなど知らず、翌日も賑わっていました。
「夢だったら良かったのに……」
宿屋の二階のテラスから、通りを行き交う人々を眺めながらミモルが呟きます。運ばれてきた昼食へフォークを伸ばしかけて、止めました。
「ちゃんと食べて。でないと体を壊してしまうわ」
「……うん」
向かいに座って心配そうに見詰めるエルネアの姿は未だ幼いままで、それが何よりも雄弁にミモルの言葉を否定しています。
昨夜、彼女達は城にほど近い場所に宿を取りました。案の定、部屋に入った途端に少女は気絶するようにしてベッドに倒れ込みました。
目が覚めたのはついさっきで、エルネアが宿の者に頼んで食事を用意してもらったところです。ベランダにテーブルを出しましたが、いっこうに食が進む気配はありません。
「……」
ミモルは目覚めきらない頭で、昨晩見た夢について考えを巡らせます。「リーセンと会話をしている自分」の夢です。ミモル自身は舞台を鑑賞する観客に過ぎませんでした。
のそのそとした動きで、サラダや揚げた魚を口に運び、咀嚼し、やっとのことで飲み込みます。その様はまるで病人のようです。
「なぁ、ミモルはどうしたんだ? そんなに疲れてたのか?」
隣の部屋から様子を見に来たナドレスが訊ねます。彼もミモルと知り合ってからさして時間は経っていませんでしたが、前日との印象の違いに戸惑っていました。
エルネアは少女の様子に心当たりがありました。
「精神をすり減らし過ぎたのよ。昨日は気丈に振舞っていたけれど、限界を越えていたんだわ。……私を召喚したばかりの時とそっくりだから、分かるの」
異なる世界との扉を開き、具現化させ続けるのは並大抵のことではありません。あの時は母と姉とを同時に失ったショックもあって、数日間は脱け殻のようでした。
「確かに、ミモルちゃんは一年前に比べて格段に力を付けたわ。体力も増えたし、精神的にも強くなった。でも、一度に色々なことが起き過ぎたのよ」
まだ11歳なんだもの、とエルネアが目を伏せます。そう心配する自分自身が、誰より彼女に負担をかけています。
「とにかく、ムイが戻ってくるまでは待機だろ? 今は休ませてやろう」
「そうね」
言って、彼らは隣の部屋がある方向へ目を向けました。
ミモルの耳には己を気遣う二人の会話がきちんと届いていました。内容も理解していますし、有難くも感じます。
でも、そう思いながらも自分が「ここ」に居ないような気もしていました。
私、どうしちゃったんだろう。ぼんやりして、言葉が出てこない。
事態は切迫しています。ムイが戻るまでに、こちらも今後について話し合っておくべきだと頭では分かっているのに、体が言うことを聞こうとしません。
ふいに思考の奥からもう一人の自分の声が飛び込んできました。
『エルネアが言ってたでしょ、疲れてるんだって。今は何しようったって無駄よ。休んで備えなさい』
『……でも、ゆっくりなんて、していられないよ』
悠長に構えている暇はありません。こうしている間にも、どこかで何かが起きているかもしれないのです。
そんな思いとは裏腹に、透き通った薄味のスープを口まで持っていくことにさえ、とても手間を要してしまいます。
『馬鹿ね。別にミモルが背負わなきゃいけないことじゃないでしょうが』
どくん! リーセンの声はいつになくきつく、強く鼓動を打ちました。
『元は神々の仲違いから始まった、いわば内輪もめでしょ。どうしてアンタが仲裁に入らなきゃいけないのよ。馬鹿ね』
『それは……』
ミモルは口ごもりました。どこかで引っかかっていた重いものが、胸の裡に落ちてきたかのようです。
『アンタの役目はあくまで女神探しでしょ。放っておくって選択肢もあるんだからね』
『逃げ出すってこと?』
考えもしませんでした。ただムイに従って、状況に流されて、自分はここに座っているのだと気付きます。世界と一枚壁を隔てているような感覚の原因はこれだったのです。
『中途半端な義務感は捨てなさい。何の得にもなりはしないわよ』
リーセンはややトーンを落として問いかけてきます。
『いったい、どこまでがミモルの意思なの?』
『私の、意志……』
すっと目を上げれば、心配そうに覗き込むエルネアの蒼い瞳とぶつかりました。一点の曇りもない、信頼する者の眼差しです。
「ねぇ、エル」
「なぁに?」
優しく小首を傾げる様は、まさに天使の微笑みと呼ぶに相応しいものでした。そんな彼女を見詰めていたら、心の奥底に押し込めていた疑問がのどから溢れました。
「ティストの中に眠っていたあのひとは、本当に世界を滅ぼそうとしていると思う?」
「ミモルちゃんは、違うって思うの?」
一瞬、静けさが部屋を包みます。エルネアもナドレスも、少女の発言に息を呑んでいました。
やつれた表情に赤みが差します。ミモルは気だるさに抗い、考えを必死に言葉にしようと唇を動かしました。
「ムイが過去の話をしてくれた時から不思議だったの。あのひとは世界を思いのままにしようとして、他の神様と喧嘩になったから封じられたんでしょ? それから過去に一度だけ封印が解けて、暴れた。じゃあどうして、世界は滅んでないの?」
「それは、女神様が再度封印なさったから――」
かつて自分にも教えられた通りの答えに、ミモルは首を振りました。
「凄い力の持ち主なんでしょ? 他の神様が困っちゃうくらいに。だったら、目覚めた瞬間に世界が半分なくなっていてもおかしくないんじゃないかな」
なにしろ、この世界を創った張本人です。それに物事は大抵の場合、創るよりも壊すほうが時間も手間もかからないものです。
「女神様の封印が強かったとしても、これまでに聞いた話の印象だと、なんだか力のバランスに辻褄が合わない気がするの」
天使達は今度こそ少女から目が離せなくなっていました。




