第十七話 かなえられた願い
「……」
事実なのでぐうの音も出ません。それに、この手のタイプは言い訳をすると三倍になって返ってくる、という分析くらいはナドレスにも出来ました。
「ミモルのことはエルネアに任せてきた。彼女ならなんとかするでしょ」
「ちょっ、なんとかって……」
ぎろりと睨まれて再び口を閉じます。彼女はそこでやっとスフレイへ注目したかと思えば、いきなり指をさしました。
「で、こいつ誰」
「おいおい、俺が言うのもなんだけど、礼儀もへったくれもないな。……あぁ、黄色い髪の女の子ってあんたか」
直球すぎるムイの様子に、彼も子ども扱いはさっさとやめたようです。代わりに興味ありげな態度を見せました。
「ロシュが言ってた『要注意人物』だろ」
「……ひとを危険物みたいに言わないでくれる」
ナドレスからしてみればどちらも危険には違いありません。思わず飛び出しそうになった失言を押さえこみ、「まぁまぁ」と両者を宥めました。
「ま、いいわ。今はそれどころじゃないし」
ティストが連れ去られてから、かなりの時間を浪費してしまっています。もう声も届きません。意識がないのか、あるいは――。
がたがたがたっ!
「うわっ」
「なっ、何!?」
足元が突然揺れ、二人はバランスを崩しました。はらはらと落ちてくるのは天井の埃でしょうか。慌てて口を抑えしゃがみこみました。
一人、スフレイだけは強烈な揺れの中で立っています。そして大声で歓喜しました。
「ロシュの奴、やったみたいだな。待たせやがってよ!」
「なんですって!?」
青い顔をしたムイの叫びが通路を満たします。
やがて地震がおさまった後も、しばらくは地面が揺れの余韻が残っていました。それでも二人は立ち上がり、くつくつと笑う男を睨みつけます。
「アンタに構っている暇はないの。行かせて貰うわよ」
拳に力を込めると、けれど彼は意外にも「いいぜ」と応えました。
「俺の役目はほんの僅かの足止めだけだからな。これからもっと楽しくなる。お前らにも見せてやるよ」
「どういう意味――」
追求する前に手を引かれ、ナドレスは振り返りました。神の使いはこれまでにないほど真剣な眼差しを向けてきます。
「問答している時間はないっ。とっとと走って!」
「やぁ、待ちかねたよ」
出迎えたのは心から歓迎するといわんばかりに腕を広げたロシュでした。彼の背後は眩く輝き、影がくっきりと手前に伸びています。
「ほんと、よく言うわね」
ムイは手をかざして光を遮り、男を睨みつけました。自身で空間を切り取ってまで足止めしておいたのですから、彼の態度は皮肉以外のなにものでもありません。
「ティスト様はどこだ!」
「今すぐ返して貰おうじゃないの」
ロシュはいきり立つ二人にただ微笑みだけを返しました。煮え切らない態度になおも詰め寄ろうとすると、奥からはくすくすという笑い声が聞こえてきます。
「なんだ……?」
「まさかとは思ったけど、まずい、まず過ぎる」
はっとしたムイがナドレスを見詰めました。焦りから頬には汗が伝います。しかし連れにはその真意が分かりません。
何がまずいのか、と聞き返そうとする前に、「それ」は彼へ襲ってきました。
「っ!?」
唐突に胸が熱くなります。無意識に掴むと、今度は視界が暗く狭まっていくのが分かりました。見るもの全てが醜く歪み、立ちくらみがして足がふらつきます。
『おいで』
「闇が、迫ってくる……」
「意識をしっかり持って!」
ムイがぐっと手を握り締めました。外へと押し出されかけていた光が戻ってきます。
ねじれて見えた床の継ぎ目も、はっきりと確認出来るようになるまでに、大した時間はかかりませんでした。暖かい手をそっと離すと、少女を見つめます。
「……助けてくれたのか?」
「神の使いを甘く見ないで。しばらくはあんたの時間を止めておいてあげる」
「時間を止める? そうか、これがクロノ様の力……」
ナドレスは呆けたように呟きました。それは、時を司る神であり、ムイが仕える主の名でした。
空間に穴を開けてみせたアルトのように、肉体の時間を止めるくらいの能力を彼女は備えているのです。
『ねぇ、おいでよ』
ひたり、と素足で地面を蹴る音と聞きなれた声に二人は振り返りました。ふいに冷たい風が奥から吹きぬけます。
閉じられた地下という空間で空気が頬を撫でていく感触に、鳥肌が立ちました。
『どうして、ボクを拒むの』
その声の響きは彼らを硬直させます。聞き慣れたと感じたのは一瞬で、「同じ」でも「違う」と直感が訴えていました。ひどく寒気がします。
『ずっと傍に居てくれるんでしょ?』
光は徐々に失せていき、輪郭がぼんやりと現れ始めました。ムイは両腕で自身を抱きしめながら、唇を噛み締めました。
「……こうなる前にサレアルナ様に目覚めて頂く予定だったのに。あんた達のせいでみんな後手後手よ」
ロシュは「それは、どうも」と嘲笑いながら、待ち望んだ瞬間が訪れるのを見詰めます。
「さぁ、君達も特等席で見るといい、『神の復活』を」
『あぁ、随分と懐かしい感覚だよ。本当に久しぶりだ』
光の中から現れた少年は、五感全てを噛み締めるように言いました。
背中の中ほどまで伸びた長い髪が、さわさわと揺れています。淡い緑の色も、かつての気弱そうな瞳も、すでにどこにも見つけることが出来ません。
「ティスト様、なのか?」
『そうだよ。分かるでしょ』
二つの音が同時に耳に飛び込んで、聴覚に優れるナドレスは痛みを覚えました。
一つは自らを召喚した主のものに間違いありません。それに重なって、別の声も聞こえてくるのです。ムイが「違う」と鋭く言い、近寄ろうとしていた彼の足を止めました。
「肉体はティストのものでも、中身は別物よ」
『ひどいなぁ。久しぶりの再会だというのに』
幼い声音と相反し、少年は大人ぶった言葉を選ぶことにも喜びを見出しているようでした。
「そんなことはどうでもいい」
一言のもとにロシュが話を切り捨てました。彼は、少年という器を手に入れた「人知を越えた存在」に詰め寄ります。
「さぁ、わざわざ復活させて差し上げたのです。褒美として、一つくらい私の望みを叶えて下さっても良いでしょう?」
「望み?」
問い返すムイには一瞥もくれず、青年は小さな「神」に片膝をついて手を取りました。王宮暮らしで苦労を知らなかった手は、今回の一件で荒れてしまっています。
興味を覚えたのか、少年は愉悦を含んだ笑みを浮かべました。まんざらではない様子です。
『そうだったね。ボクを外に出してくれたのだもの。望みの一つくらい、叶えてあげないとね』
青年は「神」の意志が気まぐれに変わってしまうのを恐れるかのように、ささやかな喜びを口元に表しました。
少年がすっと手を差し出します。すると、それに導かれるかのように白い何かが彼らの前に浮かび上がりました。
あぁ、と漏らしたのはロシュだったのでしょうか。ムイ達は確かめることすら忘れ、光景を凝視していました。
『お前の望みはこれだろう?』
それは真っ白な彫像でした。……いえ、彫像と呼ぶには、あまりにも生命力に溢れています。
腰からふわりと広がるスカートや、豊かな胸元や波打つ髪が、今にも風に靡きそうな女性の石膏像。肌も艶やかで、触れれば指を弾き返しそうです。
そんな見る者を惹きつけて止まない、恐ろしささえ感じさせる魅力を、その像は惜しげもなく放っています。
ですが、ムイア達が目を逸らすことが出来なかったのは別の理由からでした。




