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扉の少女  作者: K・t
第四章 しくまれた嵐
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第十九話 こころの封印

「ここ、夢の中だ」


 ミモルは言いました。何度も訪れた気がする白い空間には、自分以外に誰もいません。ただ、振り返ればうっすらと影が伸びています。


 ふと、そんな何もない世界に、背を向けて立っている誰かを見付けました。流れる金髪、普段は隠している真っ白い翼。間違えようもありません。


「エル、来てくれたの?」


 天使と主はつながっています。夢の中へ探しに来ることだって可能なはずです。だから、嬉しくて名を呼びました。


「……」


 けれど、いつも優しい女性の耳には届いていないようです。じっと向こうばかり見詰めて、振り向いてくれません。


「エル、私はここだよ。どうしたの? なんで応えてくれないの?」

「……」


 らちがあかないと走り出しますが、どんなに歩みを進めても、何故か距離が縮まりません。影が虚しく後ろで踊るだけでしだ。


「はぁはぁ」


 汗が顔の横を伝って落ち、白い地面に吸い込まれて消えました。初めから何もなかったかのように……。


「これは夢なんだよね。じゃあ、あのエルも夢?」

『ちょっと違うんじゃない?』


 生まれた疑問に応えたのはリーセンでした。


「そうだよね。私も、あそこにエルがいるって感じるもん」


 どこにいてもお互いがわかる。夢の中では、特にその意味を実感します。説明のしようがないほど、確実に彼女の存在を感じるのです。


「じゃあ、なんで辿り着けないんだろう」


 その時、エルネアの更に向こうに人影が見えました。いつからそこに居たのでしょう。その人影も、こちらには背中を見せています。

 幼い、ミモルと同じくらいの少女に見えました。


「あの子……」


 短いツインテール。濃い紫のそれが揺れたと思ったら、振り向いていました。


「●●●」


 大きな瞳を嬉しそうに細めて、高い声が響きましたが、何と言ったのかは聞こえませんでした。

 ただ、夢だからなのか、それともエルネアを捉えて言ったからなのか、ミモルには少女が名前を呼んだのだと分かりました。


「あの子、知ってる。見たことある」


 聞きたくて、今まで聞けなかったことが胸にあふれます。ウォーティアと契約した時に見た水の記憶の中で、ミモルはあの少女と会っていました。


「エルのそばにいた子だ」


 悪魔とまみえ、エルネアと共に戦っていた少女。それが自分の夢に現れたことにはどんな理由があるのか。深く考える間もなく、エルネアが動きました。


「……チェク」


 懐かしい人を呼ぶような響きでした。それは再会を喜ぶというより、悲しみに耐えているみたいに感じられます。


 聞いているこちらの胸が締め付けられます。少女――チェクが誰で、エルネアにとってどんな存在なのか、気になるのに確かめるすべはありません。


「泣いてるの?」


 それまで全く反応を示さなかったエルネアが、初めて気が付き振り返りました。

 透明な雫が数滴すうてき散りました。それらは、地面には吸い込まれずに、結晶になって固い音を立てました。


「……ミモルちゃん」


 締め付けられているのは、自分の心ではありません。こんなにお互いの気持ちが呼応するのは、夢だからでしょう。


「起きよう。ね?」


 ミモルは手を差し出しました。何度差し伸べて貰ったか知れない手を、今度は自ら伸ばして掴みます。

 ここは夢でした。天使が見ている夢の中だったのです。



『私達天使は、幾度となく出会いと別れを繰り返す生き物なの』


 地形がどんなに変わっても、砂漠だった頃と同じように日の光は降り注ぎます。

 ミモルは出来たばかりの砂浜を歩きながら、今朝聞いた話を何度も頭の中で繰り返していました。数歩離れた後ろの天使が立てる、さくさとした足音を耳の端に捉えながら。


『誰かにばれると、その人と共に地上を生き、守り、そして――消えていく』


 夢から抜け出した二人は、薄暗がりの中で、しばらくの間沈黙を守っていました。先に言葉を発したエルネアの声さえ、ほんのささやきに過ぎませんでした。


『夢の中で出会ったのは、……私の、前のご主人様よ』


 全てを漏らさないように聞き、今こうして太陽の下で反芻はんすうしています。


『大切な人だったんでしょ?』


 でも、と呟いた時の表情が目に焼きついていました。彼女は言いました。「覚えていない」と、「思い出せないのだ」と。


『別れを経験した天使は、次のご主人様に仕えることが出来ないわ。身を切られるような辛さを味わってしまうから。……だから、主神の慈悲じひによって、封印されるの』


 それは、忘れてしまうということ。大切だったことも、その人の名前も、存在そのものを。ただ、その封印は絶対のものではないようです。


『何がきっかけだったのかしらね』


 記憶を消し去ってしまうわけではないから、何かの拍子に思い出すことがある。それが今のエルネアの状態でした。


『大丈夫よ。前の主――チェクは、私やあなたを困らせる人ではないし、今一番大事なのはあなた』


 話はそこで途切れてしまいました。そうしてネディエ達と今度こその別れをして、二人で街をあとにしてきたのでした。


「……ミモルちゃん」


 ミモルの背中に気遣わしげな声がかかります。少女は努めて明るい顔で振り返りました。


「うん、行こう」


 目前には、青い空と海が輪郭りんかくを失い、混ざりあう風景が広がります。


「さぁ、手を」


 こんなに遠くまで旅をしてきたというのに、ダリアの手がかりは掴めていません。彼女が無事でいる保障さえありません。


 ミモルはきつく唇を噛み締め、エルネアの手を取りました。天使の身を淡い光が包んだかに見えた瞬間、背に白い翼が現れます。

 大きく広がったそれに目を奪われているうちに、足は地を離れていました。


「向こう岸まで飛んでいける?」

「えぇ、地図で確認したもの。日が沈むまでには辿り着けるはずよ」


 森とは違う、湿った空気が鼻をくすぐります。風の音も耳元で絶えず鳴っています。ぴったりとくっ付いたこの姿勢でなければ、声も途切れ途切れに聞こえるに違いありません。


「でも、海が出来て良かったわ」

「えっ?」


 意外な言葉にミモルは目を丸くします。けれどもエルネアは悪戯っぽく微笑んだだけでした。


「途中、寄り道して行くから、そこで一休み出来るはずよ」


 一体、どこに寄っていくつもりでしょう。キョロキョロと辺りを見回してみても、後にも先にも水が広がるばかりです。砂山でもあるのでしょうか?


 しかし、日が完全に昇り、そしてゆっくりと降りていく時間に差し掛かった頃、ミモルは翼の影から驚嘆きょうたんの声をあげることになりました。

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