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罪業

 弁当屋に入ったロゼは、その異変にすぐさま気付いた。床に付着していたものを、指でなぞる。


「……血?」


 血痕はてんてんと、奥まで続いている。朝、ロゼがここを出発した時にはなかったはずだ。血はまだ乾ききっておらず、ロゼの指を赤黒く汚した。鉄臭さが鼻をつく。


「――ステラさん!」


 森で出会った青年と、彼の持っていたナイフを思い出し、ロゼは叫んだ。バスケットを床に放り投げ、血痕を追うように奥へと急ぐ。途切れることのない赤。

 ――人間じゃなかったら切りつけてたよ。

 不安から、あるいは不安を消すように、ロゼはステラの名を繰り返した。


「……なんだい、やかましい子だね」


 いつもより覇気のない声に、ロゼは顔を上げた。飛び込むようにダイニングへ入る。

 ステラはそこにいた。椅子に座り、右腕を抑えている。指の隙間から溢れる血が、床に落下し続けていた。黒い服は濡れている。それがすべて血であることも一目瞭然だった。


「ステラさん!」


 ロゼが駆け寄る。ステラは小さく溜息をついた。


「おかえり。思ったより早いじゃないか。……格好悪いところを見られたね」

「ステラさん、それっ……」

「ちょいと引っ掻かれただけさ、大袈裟な子だねえ」


 んまま、とステラは笑う。ぱたた、と血が滴り落ちた。

 ロゼはこぶしを握り締め、唇を噛んだ。


「森に……町の人がいたの。若い男の人で、ナイフを持ってて」


 ステラは眉間に皺を寄せた。若い男、と呟き舌打ちをする。


「あのジジイ以外にも『迷子』がいたのか。ロゼ、怪我は?」

「私は大丈夫。でもステラさんが」

「あたしを誰だと思ってるんだい。……これくらいすぐ治るよ」


 ステラは手を離し、切れた服から覗く傷口を舐めはじめた。血を吸っているようにも見えるその光景を、ロゼは呆然と眺める。しかし、やがて何かに気づいたように「あっ」と声を出した。


「あの、ステラさん」

「なんだい」

「えっと……自分の血でも大丈夫なの? 怪我を治すのに私の血がいるなら……」


 ロゼの言葉を聞いたステラは一瞬ぽかんとし、かと思えばおかしそうに笑い始めた。口の端についていた血を拭う。


「……ったく、町の人間もあんたも、あたしをなんだと思ってるんだか。流水が怖いだの日光を浴びたら灰になるだの鏡に映らないだの――馬鹿じゃないのかい」


 ステラは笑いながら、懐にあったものをダイニングテーブルに投げ出す。がらん、と音をたてたそれは二十センチほどの十字架だった。


「さっきのは傷を舐めてただけだよ。人間だって、指が切れたら舐めたりするんだろ。――この程度の傷、『血を吸わずとも治せる』さ」

「でも」

「自力で治せるよ」


 ステラの表情を見て、ロゼは押し黙った。テーブルの十字架に目をやる。どこか重々しいそれは光を反射し、鈍く光っている。


「……そのバッテンは、『あたし』と出会った時のお守りだそうだ」


 一言前とはうってかわり、茶化すような口調でステラは言った。


「いわく、それを見たあたしは、罪の意識に苛まれて苦しむらしいね。罪悪とか罪業とか言ってたか。……くだらないね、こういうのを余計なお世話っていうんだ」


 忌々しそうに十字架を見つめ、ステラは吐き捨てた。


「こんなもの見なくとも、自分の犯した罪を忘れたりはしないよ」


 そのバッテンはヒルトにでもあげようかね、とステラは笑う。金属を集めているヒルトなら、喜んで受け取るだろう。それこそ、家の壁に差し込むかもしれない。

 ロゼが十字架に触れようとすると、ステラがそれを制した。


「隠しナイフになってる。うかつに触るんじゃないよ」

「隠し……ナイフ?」

「あんたももうちょっと、武器の勉強をした方がいいかもね。んまあ、あたしも人のことは言えないんだけど。……こっちが柄で、ここが鞘になってんのさ」


 鞘から抜いたナイフを、ステラがロゼに見せる。鋭く光る刃物には、血液がわずかに付着していた。ロゼの視線に気づいたステラが、肩をすくめる。


「さすがのあたしも、十字架これをナイフにしてるとは思わなくてね。……罪を思い出させたいのか、罪を増やしたいのか。訳が分からないね、面倒くさいやつらだ」


 眉間に皺をよせステラが言った。ロゼはナイフに目を向けたまま、


「……ねえ、ステラさん」

「なんだい」

「そのナイフ、私がもらってもいい?」


 ロゼの言葉に、ステラは眉間の皺を深くした。


「バッテンに向かって泣いて祈るだけじゃ、神様は動いてくれやしないよ。『たすけて神様~』の一言で動くほど、あいつは暇じゃないのさ」

「うん知ってる」

「……冗談だ。これが欲しいってのはそういう意味じゃないんだろう? そうだね、このままだと重いから、一度ヒルトに預けな。ブレードはいい素材でできてるみたいだから、あいつに加工させれば上等なのができるだろう」


 ステラはそう言い切り立ち上がった。汚れた床を一瞥してからロゼを見る。


「風呂に入ってくるよ。床は放っといてくれ、あとで拭くから」

「掃除なら私が」

「いいから。絶対に、床には触るんじゃないよ。風呂上がりに床が綺麗になってたら……、一週間デザート抜きにするからね」


 それから、とステラは付け加えた。


「しばらく、ボゴのとこの配達はしなくていい。朝はゆっくり寝てな。弁当の配達自体、控えるようにするから」

「え、でも」

「ロゼが出会った人間は一人。――南東にいた人間は五人だった」


 ステラがロゼを見る。


「ジジイだが、ロゼよりも戦闘には長けている奴らばかりだった。全員武器を所持してる、それが五人だ。……言いたいことは分かるね?」

「――……」

「あたしがいいって言うまで、一人で森に入るんじゃないよ」


 ステラはそう言い残すと、風呂場の方へと消えた。

 ロゼはもう一度、十字架を見た。町にいた頃、森に棲む化け物に効くと言われていたもの。けれども実際には、効果などない。

 彼らは、町の人間が思っているような「化け物」ではないのだから。

 コンコン、とノックの音が聞こえ、ロゼは扉を見た。ステラのいる風呂場ではなく、玄関の方だ。覗き穴はないため、扉の向こうに「誰?」と声をかけた。


「ロゼ? アタシよ、デライラ」


 くぐもった声に、ロゼは安堵した。扉を開ける。「はあい」とデライラは微笑んだ。てらてらとしたオレンジ色のドレスに、黒のアームカバーをあわせている。デライラは、腕にかけていた布をロゼにちらりと見せた。


「ロゼの新しいお洋服、できあがったの。明日のお祭りの時にでも着てちょうだい。普段着にもできるよう色々工夫はしてあるんだけど。――今ちょっと着てみてくれないかしら。おかしなところがあったらその場で直すから」


 ありがとう、とロゼはデライラを中に招き入れた。デライラは躊躇も遠慮もなく室内に入り込み、じゃじゃーんと言いながら布を広げる。以前、デライラの店で見たジャンパースカートと、二重衿のピンタックブラウス。ジャンパースカートは黒色で、丈が長い。


「スカートの長さが難しいのよね。動きやすいよう、くるぶしより少し高い位置にしたつもりなんだけど確かめてくれるかしら。ロゼはブーツを履くから、それにも合うように遊び心をいれて。ああそうそう、新しいブーツもあるのよ。今度は両サイドにベルトをつけたから、色々とやりやすくなると――」


 自身の作品について熱心に語っていたデライラがふと、あたりを見回した。


「あんら? ステラはいないの?」

「えっと、お風呂」

「……こんな時間に?」


 訝しげな顔をするデライラ。ロゼは俯いた。


「その……怪我してて。血とか洗い流しに行ったんだと思う」


 そこでようやく、デライラは足元の血痕に気づいた。途端、顔を曇らせ洗面所の方を見る。


「相当な怪我だったんじゃないの」

「多分……。いっぱい血が出てたから」

「アタシを呼んでくれればよかったのに」


 デライラはその髪を駆使して、怪我を縫うこともできる。頭にちょこんとのせられたミニハットには、裁縫用の針だけでなく、縫合用のものまであった。

 ロゼはそうなんだけど、と呟いた。


「このくらいの傷ならすぐに治せるからって。あと、床にも触るなって言われて」

「そう。……念のために訊くけれど、包丁で指を切ったんじゃないわよね? コレ」

「うん。その……森に人間がいて」


 ロゼの言葉にデライラは少しだけ考え、


「まあ、本人が大丈夫って言うなら平気なんでしょう。そっとしておいた方がいい時もあるだろうし」

「そう、かなあ」

「そうよ。ね、ちょっとこれ着てきてくれないかしら? 最後の調整をしたいから」


 デライラに言われ、ロゼは新品のドレスを片手に立ち上がった。洗面所に向かおうとしたが、ステラが風呂に入っている。自分の部屋で着替えようと、ロゼは階段へと向かった。階段をのぼろうとしながら、デライラの方を見る。デライラは「んふふ」と笑った。


「安心して。レディの着替えもお風呂も覗かないわ。アタシ、オカマの紳士なんだから」


 いってらっしゃい、とデライラは手を振る。ロゼは頷き、階段をかけあがっていった。ばたばたと頭上で鳴る音を聞きながら、デライラは床を――そこに散らばった赤色を見る。


「……強いわね」


 ふっと微笑み、立ち上がる。


「でも、強がりね」


 デライラは微笑んだまま、洗面所へと消えた。



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