迷えるものたち
祭りの前日はもちろん当日も、弁当屋は休みとなる。それでもいつも通りの時間に目覚めたロゼは服を着替え、眼帯をして厨房へと向かった。厨房ではいつも通り、ステラが朝食を作っている――はずだった。
「ステラさん?」
ステラの姿はそこにない。ただ、ボゴに渡すためのバスケットとメモ用紙が置かれていた。ロゼはメモを確認する。
『少し留守にするよ。これをボゴのとこに持って行っていっとくれ。ロゼの分は棚にあるからね』
「……珍しいな。ステラさんが朝から出かけるなんて」
ロゼは訝しがりながらも、棚にある皿に手を伸ばした。一口サイズのサンドイッチが、綺麗に盛り付けられている。ひとつひとつ味の違うそれを食べ終えると、ロゼはバスケットを片手に店を出た。今朝は忘れずに岩の形を確認する。
「えーっと、魚……かなあ」
魚にしては少し歪な岩を見ながら、ロゼは南の森――ボゴの元へと向かった。
ボゴから昨日分のバスケットと食器を返してもらい、村へと戻る。弁当屋が開いていない今日は、急ぐ必要もない。ロゼはゆっくりと森の中を歩いていた。散策しようかとも思ったが、一人では迷子になる可能性が高いために諦めた。
道中見かけたリスに声をかけてみると、リスは人懐こかったのか、ロゼの肩に乗った。リスが食べられそうな木の実はないかとロゼは足元を見ながら歩く。
すると、左の藪ががさりと鳴った。
「お友達?」
野ウサギか何かだろうと思ったロゼは、リスに訊ねる。ところがリスは、ロゼの肩からするりと飛び降り、どこかへ行ってしまった。酷く慌てている。
どうしたの、とロゼが言う前に、藪から大きな影が現れた。
「きゃっ」
「うわあっ! ごめんなさいごめんなさい!」
藪から姿を出したのは、人間だった。青年と言い換えてもいい。彼は何故か謝りながらも腰に下げていたナイフを抜き、けれどもロゼを見た瞬間にその手を止めた。
「あれ……に、人間……?」
この時、ロゼも同じ感想を抱いていた。村の近くで人間を見ることは滅多とない。村に住んでいる「人間」も、自分しかいなかった。
青年はワイシャツにチョッキ、ズボンという一般的な服装で、だというのにナイフや鉈を数本ぶら下げていた。狩りに来た人間にしては『獲物を持ち帰る道具』を持っておらず、キノコ狩りにしては装備が重苦しい。
ロゼがまじまじと青年を観察する一方、青年もロゼのことをじろじろと見つめていた。ロングスカートは森を歩くには不適切で、メッシュの入った髪も目立っている。ロゼは咄嗟に、眼帯を手で隠した。
気まずい沈黙を破ったのは、青年の方だった。
「えっと……君、もしかして迷子? いや、もしかしてじゃなくてそうだよね。それ以外の理由で、人間がこんな場所にいるはずないし……」
「あなたは?」
問われ、青年は金色の髪をがしがしと掻いた。
「恥ずかしながら、僕は迷子。町から来たんだけど、思った以上に目印がないというか……。南から入ったはずなんだけど、今となっては方角もよく分かんないや」
青年が出てきた藪は西の方角で、だからボゴとは出会わなかったのだとロゼは思った。南から入り、まっすぐに進んできたのだとすれば、ここにたどり着く前にボゴの家の前に出る。仮にこの青年がボゴのいる原っぱに到着していたなら、今頃こんなところまで『入ってきていない』はずだ。
青年はナイフをしまい、溜息をついた。
「正直ちょっと安心したよ。この森に入ってから、散々だったんだ。不気味なキノコはたくさん生えてるし、変な色の木の実もいっぱい落ちてるし。だからてっきり、ついに化け物にでも遭遇したのかと思った」
人間じゃなかったら切りつけてたよ、と青年は笑う。ロゼは笑えなかった。青年はロゼの顔色にも気づかず、話を続ける。
「君もさ。こんな所、うろついてたら危ないよ。町の人間なら、この森の話は知ってるだろ? 化け物がたっくさん住んでるってやつ。吸血鬼と狼男と人造人間とミイラと赤い目をした鬼と……あとなんだったっけ? まあともかく、君みたいな小さい子が歩く場所じゃないよ」
「……」
「あれ、そうだ。君なんでここにいるの?」
「…………キノコ狩り」
ロゼは暗い表情のままで嘘をついた。問題の村に住んでいると言えば、事態が悪化すると判断したためだ。気づけば、脚に意識を集中させていた。眼帯を覆い隠していた手を少しずつ、下におろす。青年は周囲を見回し、「おかしいなあ」と呟いた。
「キノコ狩りって……森には入るなって親に言われてないの? 町の子供は全員、口を酸っぱくして言われてるはずなんだけど。子供をさらう化け物がいるからって」
そこまで言った青年は、「あっ」と声を上げた。
「思い出した! 魔女だよ! 子供をさらう化け物!」
ロゼの動きが、止まった。
「悪い魔法使いでね、子供をさらっては食べてしまうんだ。あるいは、人間をカラスの姿に変えてしまう。魔女は毒を作るために草や根っこを集めているから、この森を歩いていたら真っ先に遭遇する化け物だって言われてる。……僕が出会ったのは人間だったけど」
青年が何故か照れくさそうに笑う。ロゼは俯いた。
魔女の噂は、よく知っていた。
子供をさらってきては食べる女。カラスを使役していて、そのカラスは元人間。不審死や流行病はすべて魔女のせい。鍋で毒を作っているため、魔女の家からは常に煙が出ている。
魔女だと分かれば、火あぶりにされる。
「――魔女は町に潜伏していることもあるんだけど、見つかり次第処刑してるから」
青年の声に、ロゼは顔を上げた。
「また見つかったの?」
「え?」
「魔女」
ロゼの言葉に青年は一瞬ぽかんとしてから、そうだなあと何かを計算した。
「三か月くらい前……だったかな、最後に見つかった魔女は」
「……三か月前」
「一見優しそうに見える女で、――そうそう、他の魔女より少し若く見えるやつだったな。僕も詳しくは知らないんだけど、家に有毒植物がいっぱいあるとか、その女の家にカラスが飛んでいくのを見た人がいるとかでつかまったんだよね」
ロゼは口をつぐんだ。青年は喋りつづける。
――拷問しても、その女は何も言わなかった。
町にいる他の仲間のことも、森に棲む化け物のことも、何も。
彼女は何も言わなかったが、魔女と断定するには充分な証拠がそろっていた。
謎の薬品、町の人間は知らない薬草。
人間ならば死んでもおかしくない拷問に耐えたのも、それは彼女が魔女だから。
人々は、そう判断した。
「あっ、安心してね。君も知ってるとは思うけど、その魔女はもう処刑されてるから。ああでも、その魔女には子供がいたって噂なんだよね。子供はどうも逃げたみたいでさ、まだ見つかってなくて……って、え?」
一人喋りつづけていた青年はようやく、ロゼの異変に気づいた。目をぱちくりさせ、次には焦燥する。青年はなんでなんでと繰り返しながら、ロゼに近づいた。
「えっと……僕、何か変なこと言った? 君、あの……どうして」
「……っ」
伸ばされた青年の手から距離を取るように、ロゼは後退した。そのまま踵を返し、北へと走る。眼帯で視野が狭まっているせいか、視界がぼやけているせいか、いつも以上に木の根に足を取られた。ロゼは右目を乱暴にこする。
「君、そっちは危ないよ!」
背後から聞こえる青年の声に、けれどもロゼは振り返らなかった。彼が追って来たらどうしよう、と自分の行くべき方向を考える。村か、ボゴのいる原っぱか。悩みながら走っていたはずだが、気づけば村のすぐ近くにいた。知らない間に、村を選択していたらしい。
弁当屋の屋根が見えたところで、ロゼはようやく背後を確認した。――青年の姿も、他の人間の姿もない。大きく息を吐き、その場にしゃがみこんだ。
青年の言っていた魔女の話をロゼは知っていた。魔女のことも知っていた。青年よりも、ずっと詳しく。
見たこともない薬草を調合し、ロゼや村人に使っていた。
近所の子供と仲が良く、しょっちゅう遊んでやっていた。
傷ついたカラスを保護し、元気になるまで世話をした。野生に帰したその後も、カラスは毎日のように彼女の家にやってきた。その度に彼女は、カラスに餌を与えた。
五粒のくるみ。
「――――おか、……っ」
魔女は。
火あぶりにされたその時、子供の名前を、呼ばなかった。
町に向かって、一羽のカラスが飛んでいく。
弁当屋に戻るため、ロゼはふらふらと立ち上がった。
ふと、村の入り口にある岩を見る。
魚の形をしていたはずの岩には、大きな穴が、開いていた。




