ある記者の取材記2
その日、「お母ちゃん」は家にはいませんでした。
「おおっ……!五十本クリアやぞ!記録更新や!」
男たちはいつもの様にママを玩具にして、一度に何本の煙草を吸えるかというゲームをしていました。ママの口や鼻、そして耳にも何十本もの煙草が差し込まれ、白い煙がママの顔中から立ち昇っていました。目付役である「お母ちゃん」がいないことで、ママへの仕打ちはエスカレートしていきました。酒を飲み、興奮した彼らはライターのオイルをママの顔にかけたのです。
「グギャアアアッッ!」
というママの叫び声と共に一瞬にして煙草の火が引火し、炎は母の顔中に広がりました。髪の毛と肉が焦げる嫌な臭いが部屋中に広がりました。
男たちの一人が慌ててバケツに水を入れ、ママにかけましたが、既に火はママの髪の毛をほとんど燃やし尽くし、顔を真っ黒に焦がしていました。
パパは、ママへの拷問が目前で行われても正座を崩さず、ブツブツと訳の分からないことを呟きながらその一部始終を無表情でじっと見つめていました。その目は全てが黒目で覆い尽くされたかのように真っ黒でした。
「お前らナニさらしとんじゃ!ゴラァ!!」
その後、帰ってきた「お母ちゃん」は、男たちを怒鳴り散らし、棒で叩きつけました。
「お母ちゃん、堪忍、堪忍や。こんななるなんて思わへんかったんや」
男たちが泣き叫び、許しを懇願していました。
「可哀想に…、これはもうあかんわ。梨花、ちょっとおいで」
「お母ちゃん」はママの様子を見ると私を呼び、優しい声で言いました。
「コイツはもうあかん。豚やいうても、元々はアンタのママやったんやろ。アンタが楽にしてやり」
ママはぐったりとして動きませんでした。あの綺麗やったママの顔は水をかけてしまったことでさらに顔中がぐにゃりと変形していました。目も、鼻も耳も盛り上がった肉に埋れて判別できません。ただ、黒く焼け焦げた顔の中でぽっかりと空いた穴が金魚のようにパクパクと開くたびに、ぬらぬらとした赤い舌がだらしなく覗き、かろうじでそれが口であることを判別できました。そこからは白い嘔吐物が止めどなく流れていました。
私はお、「お母ちゃん」にめいじられるがまま、、ママのクびを締めました。ママは泡を吐きながら何か言っているようでしたが、全くき、きき取れませんでした。でもそ、それはと、トウ然やと思います。殺される豚の声に耳を貸すニンゲンなんていないでしょウから。それの身体はピクピクと痙攣を始め、やがて全く動かナくなりました。汚れたピンク色をしたその姿は、やはり醜い豚のようにしか見えませんでした。
わ、私の殺したのはマ、ママなんかやない。只の豚や。ぶ、豚を一匹コロしたただけや!あの時はホンマにそうおもっタんです。
彼女の様子がおかしい。最初はか細かった声はいつの間にか大きくなっているが、明らかにろれつが回っていない。そのせいでその言葉はさらに聞き取りにくくなっていた。
あの色彩を感じさせなかった少女が今や禍々しいまでの黒い闇に包まれている。
伏し目がちだった目も、今は真っ直ぐに私の方を見つめている。彼女を包む闇の中で、その目はさらに黒い光を宿しており、狂気すら感じさせた。
記者としての経験が私に危険を告げていた。しかし、私の身体は彼女に射すくめられたかのように身動きひとつ取れなかった。
「アハハ……」
彼女はそんな私を見ながら何が可笑しいのか少し笑い、話を続けた。
お、「お母ちゃん」は、パパと男たちにい体の処理をめいじました。パパはその時もむひょうじょウで、男たちと一緒にい体をどこかにに引きズっていきました。
その夜、私がはひさしブりに眠ることを許され、どろのようにねむりました。
夢の中で、ママの顔をしたぶ、豚が助けを求めて泣いていました。でも、その声はやっぱり「ブーブー」と鳴くばかりでりかいできず、私は「お母ちゃん」と一緒にた、ただナがめているだけでした。
翌日、私が目を覚ましたのはもう日が高くなってからのことでした。
一階からは何の音も聞こえません。そっと降りてみると、リビングには「お母ちゃん」も男たちもおらず、昔の様にスーツを着たパパが掃除をしていました。部屋はピカピカで、まるで何もなかったようです。すべて私の夢だったのかもしれない。私はそう思ってしまいました。
「パパ、おはよう。ママはどこ?」
パパは私に気がつくと、昔みたいに優しく笑って言いました。
「おはよう梨花。早く出かけるで。『お母ちゃん』が待っとるわ」
そ、そう言って、ふりむいたパパの目は、きのうと同じようにま、まっくろでしタ。そして、わたしに、差し出された手には爪が一本もノコっておらず、指先はドス黒く変しょクししていました。
「アッ……アハハハハハ……」
ここまで一気に話した少女は何かが壊れたかのように笑い出すと、次の瞬間わっと泣き崩れた。
私の取材により、五年という歳月がやっと癒してくれた少女の心の中に事件がフラッシュバックしてしまったのだろう。
「お、お母ちゃん……?」
少女は突然叫びだすと、立ち上がり、フラフラと店を飛び出してしまった。私の存在はその目には映っていないようだった。私は一瞬の硬直のあとであわてて追いかけるが思った以上に彼女の足は早く、その姿を見失ってしまった。仕方なく、少女が保護されている施設に電話を掛け事情を話すと、所長に激怒されてしまった。二度と彼女に近づかないで欲しい。これ以上は裁判も検討するとのことだった。あの様子では彼女から話を聞くのはもう無理かもしれない。
シュポッ……
私はため息をつき、煙草に火を着けた。
それにしても、なんと陰惨な事件だろうか。このあと、田中美智子は次々と住居を移り変わり、判明しているだけでも四つの家族を崩壊に導いている。少女も父親と共に新しい家へと移り、一年後に美智子が逮捕されるまで共同生活を強いられている。彼女の父親である高橋一郎(仮名・当時38)はこの話の半年後に高層ビルから飛び降り、自殺した。そして彼女の話によると、事件の最初の被害者であるはずの母親、知子(仮名・当時34)の遺体はまだ見つかっていない。
美智子が最初に崩壊させた高橋家。その唯一の生き残りである彼女の協力が得られない限りはこの事件の全容を明らかにする道は絶たれてしまったのかもしれない。
私はまた深くため息をついた。
帰りがけに、惨劇の舞台となった高橋家へと車を走らせる。新しく作られた住宅街の中の今風の洒落た真っ白な外観の家の前に、「売り家」と書かれた色あせた張り紙が今にも剥がれそうに風になびいている。
高橋家は三千万で売却され、そのお金は美智子のもとに渡ったとみられるが、この事件が明らかになった後はすぐにまた売りに出されることになった。しかし、事件の事が知れ渡った今では誰も購入しようとはしない。
「ママー。早く、早くー」
近くの家から五、六歳くらいの少女が走って出てくる。
「リエー。そんなに早く行っちゃダメよー。それと、もうすぐ小学生なんだからそれは置いていきなさい」
少女の後を母親が追いかけてくる。少女は母親の顔を見ると、安心したように笑い、手をつないで歩き始める。そんな幸せそうな母娘の姿が私の気持ちを一層暗くさせた。
高橋梨花にはこれからどんな未来が待っているのだろう。普通に成長し、普通に結婚し、そして普通に母となる。そんな普通の人生を送る事ができるのだろうか?
母親と手を繋いだ少女の逆の手にはメルちゃんの人形が大切そうに抱きかかえられていた。
こんなに胸糞悪い話を最後までお読み頂きありがとうございました。
最近起こった中で一番怖いと思った事件を元に描いてみました。
自分自身が病んで、吐き気をもよおしながら何とか書き終えることができました。
本当にこんなことが我が家に起こったら……、家族を守れる自身がありません。
たぶん、この家族と同じ末路を辿ってしまうでしょう。そう思うと本当に恐ろしいです。