Wolf-4 大人の足音 2
手の届く低木に実っている木の実を見付け、レミは駆け寄った。小さな袋に、小さな実を入れる。ポーチと呼ぶにはいささか粗末な巾着袋だが、これはレミの大事なバッグである。母が与えてくれたものであり、穴を空けてしまった部分には父が縫い付けてくれた犬のワッペンがくっ付いている。
一つ一つ数を数えながら、レミは木の実を摘む。一人当たりの取り分は随分と少なくなりそうである。
「ん。あ……。雨……!」
水の粒が鼻先に落ちてきた。雨だなぁ、と思っているうちにレミはどんどん濡れた。雨音は激しくなり、雨粒は草木を強く叩いた。月を覆い隠す黒い雲から、次から次へと雫が降り続ける。
大きく枝葉を広げる木の下にいるとはいえ、今宵の寝床は屋外である。小雨ならまだしも、これだけ降れば眠っているベアトリクスがびしょ濡れになってしまう。夜目の利く自分が戻って、洞のある木でも一緒に探すべきだ。レミは巾着の紐を引っ張る。
「このくらいにして、姉ちゃんのところに戻っ――」
振り返ろうとした足元が濡れた草に滑った。小さな体が大きく傾ぐ。
何が起こったのかレミが理解したのは、急な坂を激しく転がり落ちた後だった。どこかをぶつけたのか、捻ったのか、体が言うことを聞かない。
鬱蒼とした夜の森の中、小さな獣が小さな声で鳴く。
「いっ……痛っ……。たす、けて……。姉ちゃん……っ」
その鳴き声をかき消すように、雨音が大きく響き続けていた。
早起きな鳥達が囀り始める頃、ベアトリクスは目を覚ました。被っていた深紅の頭巾が顔や背中に濡れて貼り付いているのを見て、寝ぼけ眼が一気に覚醒する。
「うわ……! びしょびしょ……」
声くらいかけてよね。レミに言おうとして周囲を見るが、弟の姿はない。
獣ほどではないが、ベアトリクスは街中で暮らす人間よりは感覚が鋭い。ところが、その感覚が何も捉えることができなかった。気配すら、ない。
「どこ行ったんだろう……」
濡れた頭巾を一度脱ぎ、絞ってから被り直す。不快感があったが仕方がない。銃と鞄を携えて立ち上がる。
狼達は戻ってきていなかった。それどころかレミまでいなくなっている。
出先で一人放り出されるとさすがに不安だ。ベアトリクスは不安なのである。自分と離れてしまっている弟達のことを思うと心配で不安でならない。
踏み出した足が濡れた草に取られかける。なんとか踏み止まってから、もう一歩踏み出した。地面は随分と荒れた状態であり、一歩一歩進むごとに靴底が泥に沈むような感覚があった。
「こんなになるくらいの中で寝てたんだ……。疲れてんのかな……」
もしかしたら、今とても酷い顔になっているんじゃないだろうか。ベアトリクスは両方の人差し指で眉間の皺を伸ばし、そして、口角を引っ張った。弟達と顔を合わせた時に、問題のない表情でいなければ。
ぐしゃぐしゃの地面とびしょびしょの草木の間を、まるで泳ぐようにして前進する。
「レミ……みんな……どこに……」
頭巾から垂れる雫か自分の汗か分からないものを拭って、ベアトリクスは息を吐いた。並の人間よりは研ぎ澄まされているはずの嗅覚も、雨上がりの森の中では使い物にならない。
どれくらい歩いただろうか。足場が悪いせいで、実際に経過した時間よりも随分と長く歩いている気がした。前方の茂みが揺れているのが見え、足を止める。
人間だろうか。小動物だろうか。それとも、狼だろうか。
ベアトリクスは銃を構える。しかし、コルクが撃ち出されることはなかった。安堵と驚きの混ざった顔で、銃を下ろす。
「カサンドラ……!」
茂みから現れたのは一匹の狼だった。泥だらけの狼はベアトリクスを見上げて小さく鳴く。今回の調達メンバーの一員、カサンドラ。人狼達の戦いに巻き込まれて住処を追われた群れからはぐれてしまい、偵察中のロザリーが連れ帰ってきた少女である。
ベアトリクスはしゃがみ込み、カサンドラの泥まみれの顔を拭う。
「こんなに明るくなるまで戻ってこないなんて、どこまで行っていたの。レミもいなくて」
カサンドラは何かを訴えるようにベアトリクスの袖を噛んで引っ張った。ベアトリクスに狼の言葉は分からない。常ならばレミなどの人狼が通訳してくれるが、今はそうはいかない。
「そっちに何かあるの? 分かった。行こう」
袖から口を離し、カサンドラは小さく鳴いた。そして、背を向けて歩き出す。時折、ベアトリクスが付いて来ているか確認するように振り返って。
少し進むと、カサンドラは急な坂の前で立ち止まった。ベアトリクスをちらりと見てから、身軽な動きで下りて行く。ベアトリクスも足元に気を付けながら、木や草に掴まって坂を下る。
坂の下には開けた場所があった。人間の通り道になっているのか、人馬の足跡や轍がいくつかある。そんな場所に、濡れ鼠になっている狼達が集合していた。一匹が巾着袋を咥えてベアトリクスに歩み寄る。巾着には犬のワッペンが付けられている。
「それ、レミの……。レミは?」
狼達は揃ってうなだれる。くぅん、と悲し気な鳴き声を漏らす者もいた。
「……これを見付けて、レミに何かあったと思って探していたの?」
カサンドラが肯定と思しき声で鳴く。
「そう。それで、一晩中探して見付からなかったんだね」
泥まみれの巾着には血のようなものが付着していた。中には木の実が数個入っている。坂の上の方に生えていた木に実っていたものと同じである。
「……手に入れられている物資だけ持って、今回はもう帰ろう。目指していた牧場跡までは辿り着けなかったけど、思ったよりも人間の使っている道が近いみたいだし、これ以上の長居はよくない」
レミはどうするの? と狼達が口々に言っているのが、分からないのに分かった。ベアトリクスは拳を握り、唇を噛む。
「レミは何かに巻き込まれた。ここは危ない。みんなまで危険な目には遭わせられない。だから、帰る。……レミは、きっと大丈夫。アタシの弟だもん」
大丈夫。と、祈るようにもう一度呟いた。




