Wolf-2 令息の伝言 2
やがて秘密基地に辿り着くと、既に朝食を終えたらしい子供達に出迎えられた。ロザリーと共に年少の子達と遊んでやっていたレミが歩み寄って来る。
「姉ちゃん、おかえり。姉ちゃんの分のご飯役場にあるよ」
「ただいま。ありがとう」
「それは……?」
「オリヴィエがくれたの。手紙が添えられていてね、しばらく会えないんだって」
「そうなんだ。何かあったのかな」
「勉強が忙しいとか、そういうことならいいんだけどね」
人形を抱えて役場に入ると、階段を下りて来たマルガレーテと出くわした。寝ぼけ眼のマルガレーテは小さく欠伸をしている。
お嬢様の朝は遅い。皆が食事を終える頃に優雅に起きて、時間をかけて身支度をしてから眠そうに姿を現す。ベアトリクスが髪を梳いてやればある程度早いのだが、今朝は不在だったため美しい黒髪は寝癖で広がったままだ。
「あら。お帰りなさいベアトリクス」
「今起きたの?」
「後で髪を整えてくださる?」
「いいけど……。あの、何回か言ったけどアタシは貴女の侍女じゃないし、ここには置いてあげるけど自分のことは自分で……」
「その人形は?」
ぼんやりとしていたマルガレーテが急にはきはきとし始め、詰め寄って来た。あまりの勢いに、突進されるのではないかと思ってベアトリクスは半歩後退る。
「これは、オリヴィエから貰ったの。小さい子達の遊び相手にどうぞって」
「オリヴィエ」
「外のことを教えてくれるお坊ちゃまだよ。貴女のことを相談しようと思ったんだけど、今日は会えなくて。この子と手紙があったの」
「衣装がほつれてしまっていますね。わたくしが修繕してもよろしくて? 針や糸はありますか」
「マルガレーテ、もしかして裁縫得意なの。それなら他にもお願いしたいことがあるんだけど」
「わたくしにできることであれば。……とりあえず、食事にしましょう。貴女もお腹が空いているでしょうから」
共に遅い朝食を摂ってから、二人は各々作業に移った。ベアトリクスは椅子の後ろに立ち、座っているマルガレーテの髪を梳いてやる。マルガレーテは髪をベアトリクスに任せて、自分は人形の衣装を繕っていた。
「わたくし、きっと自分のことは使用人に任せてばかりだったのです。けれど、こうしてお人形を綺麗にしてあげたり、小さな子達のお世話をしたりするのは好きなのですよ」
「ありがとう、みんなの服もやってくれて」
マルガレーテの横には子供達の服が積まれている。人間の子供達はそれほどでもないが、人狼やヒトケダモノはベアトリクスと共に調達に出かけるため色々なところに服を引っ掛けがちだ。裁縫ができる子もいないわけではないが、マルガレーテ程の手際の良さではない。人形の補修が終わったと思うと、みるみるうちに綺麗に縫われた服が積み直されて行く。
マルガレーテは自分のことを覚えておらず、他にも忘れていることが多々ある。しかし、元々お嬢様として教育されてきたことも多いのだろう。文字の読み書きや簡単な算数などを年少の子達に教え、そして、細かな作業がかなり得意だ。このままここで一緒に暮らしてくれたら、どれだけ良いだろうか。ベアトリクスは、ふとそんなことを考えることがある。
いつまで彼女をここに置くの? 全て思い出すまで? もし、ずっと何も思い出さなかったら?
緩く纏めた黒髪に、マルガレーテに出会うまでは見ることも触ることもなかった宝石が付いた髪飾りを留める。初めて会った時のような凝った髪型にはできないが、それでもいいとマルガレーテは毎朝笑ってくれる。
こんなに華やかで美しく可憐な女の子を、ここに置いておくのはきっとよくないことなのに。こんなに憧れてしまうようなものを持っている子がいるのは、よくない。ベアトリクスは名残惜しむように髪飾りから手を離した。
「できたよ」
「まあ、ありがとうございます。では次はわたくしが」
「えっ?」
「服の補修はまだ残っているのですが、先にこちらを」
針や鋏をテーブルの端の方に寄せてマルガレーテは立ち上がった。手をこちらに伸ばしているなと思っている間に、ベアトリクスは椅子に座らされる。
「えっ」
マルガレーテは深紅の頭巾をそっと脱がせると、ベアトリクスのオレンジ色の髪を梳き始めた。傷み切っている髪は櫛の動きを随分と制限するが、できる範囲で梳かす。
「ア、アタシはいいよ。いてっ」
「駄目です。貴女は世界で二番目に素敵な女の子なのですから。こんなに綺麗な色の髪をこんなに傷んだままにしておくなんて勿体ないですし、それに……。それに、明日になったらレミ君達を連れて出かけると聞いています。盗賊まがいのことを褒めることはできないけれど、ここの子供達にとっては生きるために必要なこと。とても大切なこと。大事な出立の前には、身形を整えるべきです」
「いたた……。そうかな。どうせぼさぼさになるんだし」
「おしゃれをすると気分が揚がりますよ。これはわたくしからの鼓舞でもあるのです。わたくしも、今は貴女達に頼るしかないのですから」
マルガレーテは話をしながら、幾分か滑らかになった髪を編み込んで行く。ベアトリクスの髪は肩口くらいまでの長さなのであまり派手な髪型にはできないが、マルガレーテは迷うことなく手を動かしていた。
ヘッドドレスのような形の編み込みが右から左へ渡り、最後にピンで留める。出来上がった髪型を手鏡で確認して、ベアトリクスは感嘆の声を漏らした。
「か、かわいい……かも」
「それでは仕上げにこちらをどうぞ」
視界の端から出て来たのは小さな緑色のリボンだった。艶々とした素材でできているそれはマルガレーテの所持品の中にあったものであり、小さな小さな石の飾りが付いている。
編み込みの端にリボンを着け、マルガレーテは満足そうに微笑んだ。ベアトリクスは手鏡に映る自分を見る。
「これ……貰っていいの?」
「はい。お礼の気持ちです、わたくしの。わたくしを助けて、ここに置いてくださる貴女への」
「……ありがとう。大事にするよ」
「ねえ、鏡。もしかしたらベアトリクスが一番素敵になってしまったかしら? どうしましょう。もしそうなったら、わたくしどうしてしまうのかしら」
いたずらっぽく手鏡を覗き込むマルガレーテに、手鏡が応えることはない。
ベアトリクスは手鏡を返却して椅子から立ち上がった。編み込みに軽く指を這わせて、リボンを指先で突く。
「貴女の言う通り、確かに気持ちが前に向くかも。いい調達ができるといいな」
「出かけるまでに解けたら声をかけてくださいね。早朝の出発でも、わたくし頑張って起きますから」
「ありがとう、マルガレーテ」
この日々ができるだけ長く続いてほしいと、願ってしまう。ベアトリクスは貰ったリボンに再び触れる。そして、もう一度マルガレーテに感謝を述べたのだった。




