3000年後
「ふぃ~読み切った」
タブレット端末から目を離すように顔上げた、青みのある黒い髪の少女。
昼休み。
面と向かい合った机、全部で六つ。左上から順に数えて2番目、その真ん中。
野菜が残った購買の弁当箱の隣にその端末を置き、制服の白い長袖で肘を付く。
「は~めんど~なんも感想でてこない。だる~」
向かいの細眉の少女は白いご飯を口にしながら声を発する。
「え~?結構やばかったんじゃん?」
青がかった髪の少女は目を細める。
「うーんやばかったけど正直わからん。まず教会語《ʁaːdɨqoːs》が変じゃん?」
「わかる~」
左右からの沸かしたような声に、黒い髪の少女は頷く。
「だよね」
細眉の女は不満げに頷く。
「それはそう。変だったぎゃーーーーー?!」
破裂音の発声により、口からご飯粒が飛んだ。
それは置かれていた端末に落ち、黒い髪の少女は鼻横を皺寄せた。
「ぎゃーーーお前汚い~!」
向かい合う6つの笑い声が教室に響く。
悲鳴に視線が誘われる。
そのとき、隣の机のグループから短髪の男が、黒い髪の少女へと口を開いた。
「お前らうるさい何やってんの?」
黒い髪の女は、黒い制服の青年へ視線を向ける。
「課題!」
「は?何のよ」
「なんとかきずつ演習」
「言えてねぇじゃんだっさ」
笑い声。
「共感きづつ演習な」
「言えてない!」
笑い声。
「それ今日だろ?」
「そうなの今日!」
「終わったな」
笑い声。
笑い声反響して波が立つその教室の角。
そこに、食事の形跡がない机でタブレット端末をつつく碧眼の青年。
上から下にかけて、項目がある。
1000年で区切られた大項目、その下に、100年で区切られた小項目。
現代から3つ前の大項目を押下。
画面が上へと流れていく。
ぴたっと止まった。
389年第三下陽21日。
青年がそこへ指を這わせたとき、机の下に食べ物落ちた気配がした。
それに誘われるように、股下から足元を覗く。からあげが落ちていた。
「あーっごめん」
背中を向けていた4つの机グループそのひとつ。
振り返った黒く長い髪の少女。髪を耳にかき上げた。
目が合う。
陽の光透かした瑞枝の葉、その瞳。
陽の光透かした下枝の葉、その瞳。
麗しい薄緑と、慎ましい枯葉色の目。
「拾うよ」
「あっえっとあー」
黒い髪の少女はグループへ向けて口を開く。
「落としたもの拾うからちょっと!」
がやがやと笑い声が上がる。
黒い髪の少女はすばやくしゃがみ込み、からあげを手で拾い、机の下に頭をぶつけた。
「あた」
ぼこんと音が鳴る。
青年もぼこんと膨らんだ。2匹の蝿が舞う。
「ごめんね邪魔しちゃって。課題?」
青年はぎゅっと太ももを締めた。
「……まあそんな感じ」
「そっか。最後まで読めた?」
「うん。だからちょうど続き読むところ」
少女は眉間を皺寄せた。
「え?続きあるの?」
青年は口の中で、切り離すように舌を噛む。
「いや、ないっちゃないよ。次のページ読むみたいな」
少女は笑みをこぼした。
「あーね」
少女は人差し指と親指で目を開き、青年へ顔を近づける。
「ねえ、エモくない?」
青年はぐっと押さえて、少女の顔、その瞳をみつめる。
「何が」
少女はすとんと手を降ろし、青年を睨む。
「課題最後まで読んだんでしょ」
青年ははっとするように頷いた。
「あー確かに」
少女は小首をかしげた。
眉が隠れる程度の長さで切りそろえられた、黒い髪の青年の襟に、髪の毛が一本ついている。
少女はそれをつまみ上げて、眺めた。
「なにこれ?ついてたよ。身の回りに誰か金髪いる?」
青年は左上へ視線を向けた。
碧眼の目には、その毛が金髪のようにきらめいている。
「いや。いないはずだけど」
「ふーん……あっそ」
少女はぴっと髪の毛を落とした。
それは琥珀色にきらめいている。
「まあ、ごみ取ってくれてありがと」
少女は横目で青年を再び睨むが、にへらと顔を崩す。
「えへ」
少女は髪を耳にかきながら、席へ戻った。
青年は少女の後ろ姿をちらちらと見ながら、端末へ視線を戻す。
左の壁側から、声がした。
その声は、社会の定める、老いと幼さの訛りが入り混じる。
「ねえ何してんの」
周囲は、目と耳を塞がれたようにその声の主が見えていない。
青年は心の内を思い浮かべる。
『本読んでる』
「何で」
『統治のため』
「ふーん。何に役立つわけ?」
『そこに訴求しない。これは俺の原理』
「何で」
『無意味だから』
「はあ?わからんし」
389年第三下陽21日の項目をそっと長押しした。その指先から、力をかすかな吐息のように注ぎ込む。
「まだこんなん読んでんの?友達作ったほうがいいよ。気分悪くなるし、そんなの読んでも人のこと嫌いになるだけだよ」
青年は心の中で激しく首を横に振る。
『俺は、自分を含めて誰かの行動を、笑ったり、悲しんだり、憎んだり、怒ったり、馬鹿にしたり、拒否したり、受け入れたりしないで、ありのままをあるがまま理解しようとしてる』
「何で?」
『統治のために』
端末に警告が表示される前に、その項目の下に新しい項が、下のその項目を押しのけて浮かび上がった。
「ねえ何見てんの!」
正面から、青年の机を両手で叩いた少女。
その少女は、肩にかかる程度に伸びたみかん色の髪を縛っている。
「あー」
青年は言葉を探すように声を出す
「課題のやつ」
「うそだ。あたしその顔知ってるもーん。面白そう」
少女は端末を上からのぞき込む。
「だめ。そう思ってるならなおさらだめ」
青年は端末を抱きかかえてそっぽを向いた。
「え?なんで」
口を丸くした。
「面白いやつじゃないから。哲学だよ哲学」
少女はすぅっと離れた。
視線を外し、前髪をしきりにさわる。
口を尖らせた。
「うそつき……じゃあいいや」
少女は教室を出るようにドアへ向かうと、振り返り、頬を膨らませて青年を睨んだ。
「あざと……」
青年は目を閉じ、深呼吸。
端末へ。
教会語ではない。日本語。
そこに浮かんでいるその項目。
ベッティハの信徒の手記:琥珀の軌跡




