前編
絢爛豪華な王宮の大ホール。
本日はここで王立学園の卒業パーティーが行われている。
従来なら王立学園のホールで行われている卒業パーティーなのだが、今年度は卒業生の中にこの国の王太子殿下がいるために特別に王宮の大ホールが解放され行われているのだ。
綺麗なドレスや礼服に身を包む卒業生、在校生の子息子女に卒業生の保護者達が和やかに用意されている食事や飲み物に舌鼓をうっている中、この場にそぐわない言葉が大ホールに響く。
「アナシア・リンドブルグ公爵令嬢! 貴様との婚約を破棄する!」
どこかで聞いたことのある声に思わず眉を顰める。そして、声のした方へと視線を向ける。
そこにはフワフワした桃髪にピンクの瞳をした少女を腕に纏わりつかせた我が国の王太子レイフィール・セイ・ウィンバードが整った顔を怒りで歪ませて、目の前にいる自身の婚約者であるアナシア・リンドブルグ公爵令嬢に婚約破棄を突きつけていた。
レイフィールの周り、いや、少女の周りには少女を守るかのように数人の高位貴族の子息がレイフィール同様に怒りや侮蔑の表情を浮かべアナシアを睨みつけている。
その婚約破棄を突きつけられたアナシアはコテンと首を傾げる。
「婚約破棄……ですか? 殿下、理由を伺っても?」
「今更しらばっくれる気か! 我が愛しのカンナへの貴様がやった今日までの数々の非道な行為、俺が知らないとでも思ってるのか!」
「非道な、行為……?」
アナシアは本当に心当たりがないかのようにレイフィールの言葉を繰り返す。その態度が気に入らなかったのかレイフィール達が口々にアナシアの行ったという数々の非道な行為を上げ連ねていく。
やれカンナの教科書を破っただの、やれカンナの制服を汚しただの、やれカンナが平民上がりなことに対して罵倒しただの。
保護者席からその様子を見ていたわたくしは内心首を傾げる。
(あら? フラグはほぼ折ったはずでしたけどねぇ?)
どうも、わたくし、レオナと申します。本日はわたくしの弟が学園を卒業するということで両親とこの卒業パーティーに参加をしております。他の参列されている保護者の方々と同様にわたくしも両親と和やかに歓談している最中、突如として始まったこの婚約破棄イベント。驚きです。
わたくし、一つ誰にも言ってない秘密がございまして、実は前世の記憶を持っているのです。急に何を言っているんだと思われるでしょうが、本当のことなのですから仕方ありません。
前世のわたくしは乙女ゲームをこよなく愛するどこにでもいるような普通の女子高生でした。乙女ゲームをこよなく愛している時点で多少普通ではなかったかもしれませんが、とにかくどこにでもいそうな女子高生でした。
前世の記憶が戻ったのはわたくしが三歳の頃。それまでも何か違和感というか既視感というか何というかを感じていましたが、三歳になったある日、弟が生まれました。その弟と対面した瞬間、頭の中に前世の記憶が怒涛の如くわたくしの頭の中に流れ込んできました。そのあまりの情報量に三歳のわたくしはパニックになりそのまま倒れ、一週間寝込みましたわ。
一週間後漸く頭の中で記憶の整理がついた時、わたくしはある事に気付きましたの。それはここが前世でやっていた名前は忘れましたが乙女ゲームと酷似している世界であるということに。ですが、酷似しているというだけで本当にここがその乙女ゲームの世界であるという確信は持てませんでした。何故なら今わたくしの生きているこの世界と乙女ゲームの世界では明らかな違いがあるからです。
まあ、その明らかな違いは追々説明するとして、わたくしはその日からあることを回避させるためになるべく秘密裏に動き始めました。何を回避させるためにですかって? それは今まさに目の前でなされている婚約破棄イベントですわ!
この乙女ゲームの内容は世の中に出ていた他の乙女ゲーム同様で平民だったヒロインが男爵の庶子だったことが分かり、母親が亡くなったのを機に男爵家に引き取られ、貴族たちの通う学園へと編入してきてそこで天真爛漫な性格と物怖じしない態度を武器に王太子始め高位貴族の令息たちと愛を育むというものです。攻略対象者は王太子、宰相の息子、騎士団団長の息子、魔法庁長官の息子、公爵家嫡男、隣国の第二王子、の六人。アナシアはその中で王太子ルートに出てくる悪役令嬢なのです。
そしてこのゲームでのわたくしの最推しキャラが今まさに目の前で断罪されている悪役令嬢ことアナシアなのです! 彼女を断罪イベントから助けるために今日まで頑張って折れるフラグをバッキバキに折ってやったというのに何故イベントが発生しているのかしら?
そこまで考えてふとわたくしはアナシアを断罪しているメンバーに違和感を感じる。
(あら? 断罪メンバーがゲームと少し違う……?)
ゲームではルートごとにヒロインの横に立つ人物は変わるものの断罪メンバーは固定で攻略対象者全員でアナシアの悪行を追求していたはず。なのに今ヒロインのそばにいるのは王太子レイフィールと宰相の息子のサイラス、魔法庁長官の息子のジェイムスの三人の他は社交界でチラッと挨拶程度はしたことがあるようなほぼほぼ面識のない令息たちです。
持っていた扇で口元を隠しながら目だけで会場内を見回すと、わたくしのいる場所にほど近いところで騎士団団長の息子のローガンが、アナシアのすぐ後ろに公爵家嫡男でアナシアの義弟であるエドワードが、突如始まった断罪イベントに驚いたように見ている卒業生たちの中に混じって隣国の第二王子のシュナイザーが三者三様の表情でレイフィールたちを見ています。その三人の耳元を注視するときちんと三人とも青色のピアスを付けているのが確認できました。次に断罪イベントをしている三人の耳元を見ると何もついていないことが確認できました。
(――なるほど、そういうことでしたのね)
その二つを確認すると、わたくしは小さく嘆息してしまいました。それと同時に隣からお母様の咳払いが聞こえてきました。何でしょう、と視線を隣に座っているお母様に向けるとお母様は横目でわたくしを見るとクイッと顎で彼らを指し示します。それが何を意味するのかを察したわたくしは思わず顔を顰めて首を小さく横に振ります。
(嫌ですわ、お母様)
そんな気持ちを込めて答えているというのに、お母様はなおもクイックイッと顎で彼らを指し示します。それにひたすら首を横に振っているととうとうお母様の横に座っているお父様までわたくしに視線を向け顎で彼らを指し示します。
(お父様まで……! 嫌ですってば)
頑として首を横に振り続けるわたくしに業を煮やしたのかお父様がパクパクと口を開きます。何を言っているのかと注意深く観察したわたくしはお父様の言ってることがわかると愕然として思わず天を仰いでしまいます。
(お父様……、こんなことで王命なんて使わないでくださいませ……)
そう、わたくしの両親はこの国の国王と王妃なのです。そしてお分かりだと思いますが、わたくしの最推しであるアナシアを、更にこの卒業パーティーという卒業生たちには晴れの舞台であるこの場をクソみたいな断罪イベントでぶち壊している張本人である王太子であるレイフィールはわたくしの弟なのです。
わたくしは前世の記憶が戻ってからというもの、ヒロインに付け込まれるであろう攻略対象者の彼らの悩み、トラウマ、コンプレックスなどなどをウィンバード王国の王族である立場をこれでもかというほど使い粉砕してまいりました。しかしそれだけでは心許ないとわたくしは彼らにあるプレゼントを贈りましたの。
実はこの世界には魔法というものが普通にございます。まあ、ジェイムスが魔法庁長官の息子ということで薄々お分かりだったとは思いますが。
そんな魔法が普通に存在するこの世界でわたくしはあることを危惧しておりました。前世でよく読んでいたラノベにもたびたび出てきていた精神魔法、そう『魅了魔法』です。攻略対象者の彼らのヒロインに付け込まれるだろう諸々の事柄は粉砕してきたとはいえ、もしヒロインがわたくしと同じ転生者でその上魅了魔法を使えた場合、わたくしのフラグ粉砕など全く意味をなさなくなります。そうなってしまえばわたくしの最推しアナシアは断罪され、よくて幽閉、悪くて処刑というバッドエンドになってしまいます。それだけは何としても阻止したいためわたくしは魅了魔法を無効にできる魔法具の作成を彼らのフラグ粉砕と並行して行ってまいりました。それがあのピアスです。
今目の前の状況を見るに転生者なのかは今のところ分かりませんが、やはりヒロインは魅了魔法を使っているようですわね。まあ、レイフィールがわたくしからの贈り物であるピアスを付けないことは残念ながら予想出来ていましたが、まさかサイラスとジェイムスまで付けていなかったとは……。恐らくサイラスは魅了魔法など理性をしっかり持っていればかかるわけがないと高を括って、ジェイムスは平民上がりの女が使う魅了魔法なんかに魔法の天才と言われてきた自分が負けるはずがないと過信してわたくしの贈ったピアスを付けなかったのでしょう。その結果がこれです。
――確かにわたくしの命を聞かなかった彼らにはお仕置きが必要でしょう。
(王命も受けてしまったことですしね……)
わたくしは大きく溜め息を吐くとパチンッと大きく音を響かせて手に持っていた扇を閉じ、保護者席から立ち上がると彼らに向けて口を開く。
「ちょっとよろしいかしら?」