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負け犬の八つ当たり

ドアが開いた瞬間に部屋の奥まですっ飛ばされた。

ダアン、と大きな音と共に壁に激突して、それから一瞬意識が飛んだ。

倒れこんで床に放らばった髪を乱暴に持ち上げられるとその痛みに慌てて意識が浮上する。

覗き込んできたアルバートの顔は般若のように醜かった。


混乱して何も言えないまま、ティナはそれを凝視する。

どうしたのかと口を開こうとしたタイミングで、今度は勢いよく腹を蹴飛ばされて転がった。

生理的な涙が滲んで、ゴホゴホと咳が止まらなかった。

「…っあ、ぐっ…」

呼吸もうまく出来ずに蹲る。

けれどアルバートはそれでもおさまらないのか、ダンッ!ダンッ!と何度もティナを蹴飛ばした。


「あのクソ狸が!つまらぬことをしおって!あの男もあの男だ!身分も弁えずにふざけたことばかりを言う!!お前もだ!捨て駒にされたクズだろうに、痛めつけるな!?ふざけるな!鍵でなければさっさと殺してやったものを!」


そろそろ日も陰ってくる時間帯だった。

雨が続いていた為日中から薄暗かった室内は、けれど確実に闇の色を増していく。

いつまで続くかもわからない暴力に、腹の底から恐怖が湧き上がってくるが、彼への憎しみはそれを優に凌駕した。

絶対に負けてなどやらないとティナは必死にアルバートの足を抱き着くようにして掴んだ。


掴まれた足に、思わずバランスを崩したアルバートが勢いを殺せずに尻もちをつく。

その上に覆いかぶさろうとして上半身を押し倒すと、けれど横方へと転がされ、結局アルバートが上になる。

マウントを取られ、拳を振り下ろされる直前。

部屋のドアがノックされた。

その隙で必死に顔を逸らすと、アルバートの拳がすぐ横を通りすぎた。

そうして激しい攻防が止まる。

お互いの呼吸音が重なる中、場違いな声が室外からの発せられた。


「失礼します。火急の知らせに参りました。ドアを開けてもよろしいでしょうか?」

声は聞き覚えがなく、ティナは首を傾げたが、返事をしたアルバートの様子からラッフェコルタの者だと検討をつける。

アルバートは盛大な舌打ちを一つ落とすとティナを睨み付けて立ち上がり、服を正してドアへと向かった。

足早に室外へと出ていくのを見送って、ティナの体はやっと緊張から解放される。

力の入らない体を叱咤して、その身をぐっと持ち上げた。

途端、眩暈と吐き気に視界が歪んで、重い頭が床に戻ろうとするのを必死に根性で我慢する。

しばらく小さく身を縮めて衝動を受け流していると、ようやく眩暈が収まった。


アルバートはまだ戻らなかった。

それを確認してから全身に回復魔法をかける。

本日二回目になる回復魔法にクレアが怒っていないだろうかとそんなことが頭に浮かんだ。

彼は来てくれるだろうかと考えて、それからそれだと、彼が来るのを待っているようじゃないかと自嘲する。

甘えんな、と自身を叱咤して、ティナはお腹に力を入れて、真っ直ぐに立ち上がった。


肩の力を入れすぎず、両手は前に添えるように。

幼い頃に何度も練習した立ち振舞いに、自然と心がしゃんとする。

最期に深呼吸を一つして、全身に気合を入れる。

そうして向けた視線の先で、ドアが再度開かれるのを静かな気持ちで確認した。


アルバートが部屋へと戻ってくる。

けして弱味を見せてはやらない。

ドアを後ろ手に閉めてティナへとその視線を向けてくるアルバートを見ながらティナは自分に言い聞かせた。

果たして彼はティナを見るなり、電池が切れたみたいにピタリと動きを止めて大きく目を見開いた。



「…何かありましたか?」

「ラクシュマナフ殿、さっきの傷はどうしたのかね?」

「傷だらけの方がお好みでしたか?素晴らしいご趣味をお持ちですのね」

「………。口だけはよく動く。そうだな。貴女に関して言えば、絶望で前が見えなくなるまで痛めつけたいことは否定しない。…そうか、奇跡の業か。傷は魔法で治したのですかな?」

ティナは心底軽蔑しながらも、感情を全て隠して笑顔を作る。

「だとしたら何か?」

「……………」

アルバートは無言でそんなティナを見た。

敵意ある視線を全て受け入れるように、ティナは瞬き一つせず見つめ返す。


ティナは黙って彼を見る。アルバートも無言だった。

けれどその表情には焦りが見え、何かを逡巡しているようだった。

魔法を利用しようとしているのだろうか。

だとしてもティナは素直に従うつもりなどない。

無駄な悩みごとだから早く止めればいいのにと無感情に考えながら、ティナは静かに様子を伺う。

アルバートが声を出すまでの間、ただただ時間を持て余し続けた。


「さっきの伝令だが」

ふいにアルバートが声をあげた。

ずいぶんと長考していた。けれどまだ迷いがあるような声だった。

「アナフィシア王女殿下に毒を盛られた。今懸命な処置をしてはいるが、呼吸が安定していないと。事は一刻を争う」

告げられた内容にティナは肺が凍るように冷たくなる。

「…え?」

どうして?誰が?

答えの出ない疑問ばかりが頭に浮かんで、じわりと手が汗ばんだ。

「犯人はもう捕まっていて側仕えをしていた侍女の一人だそうだ。貴女はアナフィシア王女殿下と交流があったはずだが、彼女を助けたいと思わないかね?」

先ほどとは反対だ。ティナは焦りに目を揺らせるのに対して、アルバートはあくまで冷静に見えた。

けれど彼にも、彼女を失えない理由がある。

生贄にして悪魔を召喚させたいはずなのだ。

「私も今彼女を失うのは望んでいない。王族など最悪代わりがいるとしてもね。…さて、取引と行きませんか?」

取引などと言っている場合ではないだろうに。

本当につまらない男だとティナはアルバートを睨みつけた。


可愛い女性だと思った。

王族だとか関係なく、恋をしてはにかむ普通の女の子のようだった。

好きな人に良く見てもらいたい、と自慢の黒髪を大事に抱えて微笑む姿が忘れられない。


「貴方は治癒魔法が使える。浄化魔法も使えるはずだ。毒消しをしていただきたい。貴女にとっても彼女が苦しみ抜いて死ぬことは避けたい事だと思うが?」

その通りだ。絶対にそんなことあってはならない。

今すぐここから飛び出したいと心が叫ぶが、足枷がじゃらりと音を立てる。

邪魔な足枷が腹ただしくてティナは思わず足を引く。鎖がピンと伸び切ると繋がれている足首がギリギリと痛みを訴えた。

「回りくどいこと言ってないでさっさと本題を言って。私にどうして欲しいと?」

アルバートにやりと笑うとティナの傍へと歩み寄る。

「アナフィシア王女のもとへ連れて行ってあげましょう。貴女は彼女を治すだけでいい。その間ならその足枷もはずしましょう」

「いいでしょう。彼女の命が最優先です。それならさっさと外して下さい」

ティナは即断するが、けれどアルバートは動かない。

焦燥感に焦らされながら、ティナは訝し気に彼を見る。

「早くして」

「…アナフィシア王女の周りには近衛兵も侍女も多い。貴女がその眼前で魔法を使うことで、完全にその存在が明るみに出ることになるでしょう。そうすればさすがに監禁しておくことはできない。私は貴方が必ずここに返ってくると言う確証が欲しいところです」

「どうしてろと?私は好きでここに居る訳でもないし、殴られたい願望も持ち合わせていないわ。帰っては来たくはない場所ね」

「そうでしょうね。だから困っています。本当にあなたを連れ出していいものか判断に迷う」

「けれどここでうだうだしてればアナフィシア王女は死ぬかもしれない。呼吸に影響が出てるということは中枢系に影響する毒かもしれない。早くして。貴方の下らない悩みは後になってから考えて!」

「ずいぶんと焦っていらっしゃる。貴女にとって彼女の存在はずいぶん大きなもののようだ。ならば早く行きたいでしょう。ここに戻ると誓いを立ててもらいたい。契約の書を準備しよう」

「だからそんな話は後にしてって言ってるの。そんなことに時間を取ってる暇はないわ!」


戦であれ、政治であれ、人を殺す狂気になる。

それを五年前に、そしてこの男に学んだ。

今も誰かの陰謀にか弱い少女が飲み込まれかけている。

戯言をほざく男に興味はない。ティナは無理やり鎖を引きちぎろうと引っ張っては近くにあった椅子の足で力の限り叩いてみる。

鎖はびくともしない。代わりに弱いティナの足首が赤く腫れあがり、やがては皮膚を突き破って流血した。

けれどそれすら気にしている場合ではない。

回復魔法しか使えない無能な自分に憤る。

早く、早くと焦る感情をなんとか冷静になれと諫め続ける。

やめろ。意味のない事をするな。と何度も声をかけてきたがティナはその一切を無視して鎖を叩き続ける。

がしゃん、がしゃんと鎖は大きな音を立てて、不協和音が耳をつんざく。

「どうしましたか!?」

ドアの外から見張り兵の声がした。

「なんでもない!…やめろ。わかった。とにかくアナフィシア王女のところへ連れて行く。わかったからやめなさい!」

騒ぎになるのを危惧したアルバートがティナを諫める。

「だったら早く。足枷をはずして!」

アルバートはティナの鋭い視線に一瞬体を強張らせて、それから舌打ちをして動き出す。



焦る気持ちを押し込めて、王女として相応しい立ち振る舞いで、アルバートの後に続いてティナはその監禁部屋を後にした。




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