UNAGI ~滅びゆく種族の復讐者~
「いやああああぁ!! 助けて! お兄ちゃん!」
「プ、プレ子おぉぉぉぉぉぉーーーーっ!!」
イールは絶叫した。
最愛の妹、そして自分自身も狂獣に羽交い締めにされている。
イールとプレ子、彼らは、この世界に生き残った最後の兄妹だ。
父と母はとうの昔に、この欲望に狂った怪物の餌食となった。
そして今、その牙は自分たちに剥かれている。
「プレ子! プレ子を離せ! この……悪魔ども!」
イールは恐怖に震えながらも、それでも妹の事を案じていた。
この世には神も仏も無いのだろうか。いるならば、自分を地獄に落としても構わない。
だから、せめて妹だけは助けて欲しい。
だが、神に祈ってどうにかなるなら、彼らの種族は絶滅まで追い込まれなかっただろう。
「きゃあああああああああ!」
「やめろぉぉぉぉーーーっ!!」
無情にも、狂獣の持つ巨大な刃が、妹の首を切り飛ばす。
それだけでは飽き足らず。何と奴らはプレ子の腹を開き、臓腑を抜きとり投げ捨てた。
そして、愛らしい妹の亡骸を、あろう事か火あぶりにし始める。
骸までも辱める行為に、イールは全身の血が沸騰するほどの怒りを覚える。
完全に惨殺死体となった妹を絶望のまなざしでイールは眺めていた。
そして、妹の亡骸に何か黒い液体のようなものを塗り付け始めると、今度はイールの方に向かってきた。
「覚えておけ……例え俺が死のうとも。悪魔に魂を売ってでも……貴様らを根絶やしにしてやる!!」
イールは、あらん限りの憎悪を籠め、その獣を睨み付けた。
獣は全く気にする様子は無く、その狂刃を自分に振りおろす。
それを最期に、イールの意識は途絶えた。
「ここは……一体?」
イールが目を覚ますと、辺りの風景は一変していた。
イール自身は一度も行った事が無いが、おそらくここは「森」という場所なのだろう。
だが、何故自分がここにいるのか、イール自身にも理解出来なかった。
「そ、そうだ! 首!」
イールは、意識を失う前の光景を思い出した。
そして、手を伸ばし、自分の首がまだ繋がっている事を確認し、安堵のため息を吐いた。
「ん……? なんだ、これは?」
首に伸ばした手を戻し、イールは驚愕に目を瞠る。
そして、その物体を見た途端、小刻みに身体を震わせる。
「これは……あの血に飢えたケダモノどもの手じゃないか!」
イールは叫んだ。
そう、これは前の自分とはまるで違う。自分と、同胞たちを殺した忌まわしい者どもの手だ。
イールは錯乱しつつも、近くにあった泉を覗き込む。
「なんてことだ……俺は、人間になってしまったのか!?」
水面に映るその顔は、紛れも無くあの恐るべき種族――人間のものであった。
我らが同胞を欲望のままに弄び、執拗に狙い続け滅ぼした悪魔の化身。
「何だこれは! 神よ! よりによって俺を人間にするなんて、俺達が一体何をしたっていうんだ!」
イールは天に輝く太陽に、涙を流しながら怒りをぶつけた。
仮に来世というものがあったなら、人間にだけはなりたくない。
そう願ったはずなのに。
「いやあああああ! 誰か! 誰か助けてぇー!」
「何だ?」
イールが絶望と憎しみに呆然としていると、森の奥の方から叫び声が聞こえてきた。
どうやら女の物のようだが、こんな喋り方をするなんて、どうせ人間だろう。
無視を決め込もうとしたが、その悲痛な叫びは、死ぬ間際の妹を思い出させた。
自分でも感情が整理できないまま、イールはとりあえずその声の方向に向かう事にした。
「あれは……人間? ではないな」
イールは気配を殺し、大きな木の陰からそっと様子を窺う。
最初イールは、人間のオス二匹が、一匹のメスを抑え込んでいるように見えた。
三人まとめて殺してやろうかと思ったが、そこでイールは異変に気付いた。
人間のメスだと思っていたものは、よく見ると若干姿が違う。
顔や胴体は人間に似ているが、脚は鳥のようで、両腕のある部分には白い翼が生えていた。
「ぎゃあぎゃあうるせえんだよ! この雌鶏 この場で殺されてぇのか!」
「お願いです……もう、許して下さい」
「どうせお前はもう卵を産めねぇ。廃棄する前にいい思いをさせてやろうって言ってんだよ」
「うう……私達が何をしたっていうんですか? 無理矢理カゴに押し込められて、毎日卵を産まされて、産めなくなったら殺されるなんて、あんまりです」
「お前らはな、人間様の家畜なんだよ。卵の産めないハーピーの雌鳥に、やせ細ったオークの豚野郎。お前らクズはな、食肉になって人間様の胃袋を満たすのが最後の務めなんだよ」
「ひどい……ひどすぎます」
鳥女――ハーピーと呼ばれた少女は号泣していた。だが、男どもはにやにやといやらしい笑みを浮かべているだけだ。
「だが、俺たちも鬼じゃねぇ。死ぬ前にメスの喜びも知らねぇんじゃ死にきれねぇだろ? だから、心優しい俺達がお前らに餞別を送ってやるんだ」
「いりません! そんな事をするくらいなら、今、この場で殺して下さい」
「うるせぇな。お前ら家畜が俺達に意見する権利はねぇんだよ。安心しろ、お前だけじゃねぇ。皆同じ思いをさせてやるからよ」
そう言って、男二人は下卑た笑みを浮かべ、横にある台車を見た。
イールもその方向に目を向けると、台車の上には鉄の檻が設置され、すし詰めにされたハーピーの少女達の姿があった。元々は白鳥のように輝いていたであろう翼は、栄養不足のせいかボロボロになっている。
「あなた達を……私は許しません! たとえ私が死んでも、きっと神様の罰が下ります!」
「おお、怖い怖い。ま、次に生まれるときは、人間様に産まれてくるように祈るんだな。劣等種ちゃん」
「ああ、そうだな。腐った劣等種め」
声が聞こえた瞬間、ハーピーの体に掛かっていた重さが掻き消えた。
彼女を押し倒していた男は、遥か遠くにぶっ飛んでいた。
そして、男が居た場所には、浅黒い肌をした一人の少年の姿があった。
「な、なな……何だ、てめぇは!?」
ハーピーの上半身、羽の部分を抑えていた男が狼狽した声で叫ぶ。
ハーピーもそちらに目を向けると、先ほどまで脅威だった巨漢は、もはやぴくりとも動かない。
「俺が何者か、自分でも分からない。ただ、やるべき事は分かっている」
少年は鋭い眼光で男を睨みつけ、
「貴様ら人間どもを……根絶やしにする事だっ!」
そう叫び、一気にもう一人の男に飛びかかる。
細身の体躯からは想像も出来ない力で、男の首を掴み、片腕で持ち上げる。
「うげぇ……! だ、だずげで!」
「貴様ら人間は、命乞いした家畜を助けた事があるのか? 亡くなっていった同胞達の無念を……俺が晴らす!」
イールはさらに指に力を籠める。男は必死になって抵抗するが、まるで万力で締めあげているかのようにびくともしない。
薄れゆく意識の中、男は少年の後ろに、細長く蠢く何かの影を見た。
それも、数百、数千ではきかない。
数えきれないほどのおびただしい影は、蛇のように見えた。
「冥土の土産に教えてやろう。貴様ら人間を滅ぼす者の名を! 俺はウナギ……ウナギのイールだ!」
ごきり、という鈍い音と共に、男はだらりと両手を垂らした。
イールは、既に息絶えた男の死体を、ゴミのように地面に投げ捨てた。
「貴様ら人間も、我々を大量に弄び、あまつさえ捕食すらせずに打ち捨てたな。これはお返しだ」
イールは、地面に転がった男の遺体をさらに蹴り飛ばす。
男はボールのように吹っ飛び、先ほどの男と衝突した。
どちらももう息は無かった。
「あ、あの……助けてくれて、ありがとう、ございます」
「別に助けた訳ではない。ただ、人間が憎らしかっただけだ」
先ほど地面に押さえつけられていた少女は、多少怯えながらもイールに丁寧に礼を述べた。
だが、イールは特に気にした風でもなく、そっけなく返事する。ハーピーの少女に自分を重ねたのは確かだが、それはおまけのようなものだ。
イールは、残りのハーピー達を檻から解放すると、わき目もふらず彼女たちに背を向ける。
「あの、一体どちらへ?」
「決まっている。この世界に住む人間共を、一匹残らず根絶やしにしてやる。同胞達の魂が、俺にそう叫ぶのだ」
そう、イールは地球で食い殺されたウナギの怨念を一身に背負い転生したのだ。
ウナギ一匹一匹の力は弱くとも、人間に食い殺された何億、何兆ものウナギパワーが彼を突き動かしていた。それはまさに、神に匹敵する力である。
「お願いです! わ、私も連れて行ってくれませんか!」
「何故だ?」
「私は、人間に捕らえられて、ずっと卵を産まされていたんです。でも、まだまだ沢山の仲間達が人間達に捕まっているんです。牛のミノタウロスさん、豚のオークさん、沢山の魔物たちが、今も苦しんでいるんです! 全ては邪悪な人間のせいで!」
「に、人間め……! この世界でも我が者顔で生命を弄ぶというのか!」
イールは激怒した。
かの邪智暴虐の人間共を、一人残らず抹殺せねばと考えた。
「そうか……俺がこの世界で、人間の体を持って生まれた理由が、今はっきりと分かった。貴様らが滅ぼし、家畜と罵った者達に、今度は貴様らが滅ぼされるのだ! 人間の体を持つウナギにな!」
「ウナギ……とは?」
「もう滅びた種族だ。今はもう、俺以外に誰もいない」
「古代種……なのですか?」
「古代種? さあな、ただ、俺は俺の使命を全うする。娘、俺は人間を皆殺しにする。お前もそれが目的なら、付いてくるがいい」
「は、はい! 足手まといにならないよう、頑張ります!」
こうして、イールとハーピーの少女は旅立った。
未だに地上の支配者として惰眠を貪っている人間達は、まだ気付いていなかった。
後に万魔の王として語られる、伝説のウナギ……イールがこの世界に誕生した事を。