14 怒りの沸点
気になっていた臭いについに耐えられなくなり、レイは後ろの階段に座る小柄な男に文句を言ってやった。それはまだ奴と出会って数週間と経たない頃の出来事であった。早朝の朝稽古に一人励んでいたら、いつの間にやら後ろに居たのだ。
「臭いぞ、エンリオ」
「え? 体臭がですか? 朝稽古のあとにちゃんと着替えたんですが……」
いきなり糾弾された当人は自身のシャツを鼻の下まで引っ張って嗅ぐ。
十ヤード以上は離れているのだから、ドブに飛び込むなり魔物の腐肉でも浴びない限り、普通の体臭が届くはずが無い。苛立ちが募り、レイはロングソードを振るう手を止めた。
「じゃなくて、煙。お前が吸ってるソレだ」
「コレですか。ああはい。適当に無視してればいーんじゃないですか」
エンリオは管が太くて短い煙管を指の間に転げて言う。
「無視できないから言っている」
「そうですか。すーいませんでしたー」
奴はそう答えて煙管を膝にトントンと当てることで中身を捨てた。灰なのか砕かれた葉なのかよくわからないカスが散る。
「間延びした返事だと? 私をバカにしているのか。家か? 父親が気の迷いでは済まされない金額を盗んで処刑されたから、貴様は私をも軽く見てるのか」
「ハァ? 飛躍しすぎでしょ。被害妄想ですよ、それ。あーあー、剣を振るうだけの脳筋女とまともに会話ができるはずありませんね」
レイの中で何かの糸がぷつんと切れた。ロングソードの先を奴に向ける。
「よしわかった。貴様、剣を抜け。対等に接するのが難しい以上、武術で上下関係に白黒つければいいだろう」
「ヤですよそんなの。ボクがコテンパンにのされて終わるのが目に見えてます。大体、剣なんて持ってませんし」
「き、さま……! 男がそんな逃げ腰で良いのか! 矜持はどうした!」
「逃げ腰上等。矜持とかそこら辺の墓場に埋めてきましたよ。武力で上下関係を決めようだなんて短絡だと思いません? これだから脳筋は」
この男、いちいち気に障る笑い方をする。
「身体が小さいと肝も小さいのか、よくわかった」
しかしそう吐き捨ててやった途端にエンリオの表情が激変した。
「んなっ――体格の話は卑怯です!」
がばっと立ち上がり、懐からナイフを取り出している。
奴の怒るポイントを発見できたことに思わずレイは口の端を左側のみ吊り上げた。
「いいぞ。かかって来い。お望み通りコテンパンにのしてやる」
「上等です怪物女。正面から剣でぶつかる以外に戦い方があるってこと、今教えてやりますよ」
向けられたナイフの先はレイの眼球を一直線に狙っている。
「やれるものならやってみろ」
そうして二人は、主たる聖女レティカが気付いて説教しに来るまで、死なない程度に殺し合ったのだった。




