セレマ魔術学院【第一話】
目の前で小さな女の子がパンをこねている。
私はそれをぼんやり眺めていた。
……暇だな。
私は女の子の横に並ぶ材料に手を触れた。
すると――それらは、ふわりと浮かび上がった。
空中で形を変え、生地となり、細長いパンになっていく。
「すごーい!」
女の子は宙に浮かぶパンを見て目を輝かせていた。
私は指先を軽く振り、出来上がったパンをその子の手元へ送る。
「流石だね、リリー!まさにパン屋になるための魔術だ」
ルークはそう言って、私の両肩をぽんぽんと叩いた。
私はそれをパシッと払いのけ、
「邪魔だから!店に戻って!」
そう言って、店の入り口を指差す。
「あぁ、ごめんごめん」
ルークはヘラヘラ笑いながら去っていった。
「ママ~」
女の子は私の袖をぐいと引っ張った。
「もう一回やってー?」
……やれやれ。
どうやら私の術式が、えらく気に入ったらしい。
まぁ、こうして褒められるのは、案外悪い気もしない。
私は再び、パンの材料に手を触れた。
しかし……
「ん……?」
術式が発動出来ない。
もう一度てを離し、触れる。
だが、結果は変わらなかった。
「ママー?」
女の子は不思議そうに私を見つめる。
……クソ!どうなってる?
なんで術式が使えない?
「おーい、急いでー!」
店の入り口から、ルークの声がした。
店の中は客で溢れ、店の外にまで行列が出来ている。
さっきまで、誰一人いなかったのに。
こうなれば、もう術式無しでパンを作るしかない。
急がないと、客が全員帰ってしまう。
だが――
「パンって……どうやって作んの?」
知らない。
私は知らなかった。
パン屋なのに?
隣を見ると、女の子が忙しそうにパンをこねていた。
その隣で、何故か犬がいびきをかいて眠っているが、女の子は気にも留めてない。
そうだ!
この子に作り方を聞こう!
「…………」
名前が思い出せない。
この子の名前。
名前――
* * *
ハッと私は目を覚ました。
額を流れた冷や汗が、頬を伝って首元へ落ちる。
夢か……
まったく、ひどい夢だったな。
思い返せば、夢と気付けるタイミングはいつくもあった気がする。
夢から覚めるたびにそんなことを思うけど、案外見ている間は現実だと思ってしまう。
私は小さく息を吐きながら、ゆっくり体を起こした。
心地よく揺れる馬車。
外はすっかり都会へ入ったらしく、人々の喧騒が聞こえていた。
対面ではアランがよだれを垂らしながら、いびきをかいて眠っている。
その横で、シオンは静かに窓の外を眺めていた。
「おや、お目覚めですか」
シオンがこちらへ気づき、静かに体を向け直した。
「すでにアドリアへ入っています。そろそろ到着ですよ」
首都アドリア。
王城を中心に広がる、タラッサ最大の都市。
窓の外には、アズール地区では見たこともない景色が広がっていた。
石畳の大通り。
空へ届きそうなほど高い建物。
街灯の光に照らされた街並み。
行き交う人々は、皆上等な服を纏っている。
アズールとは、まるで別の国みたいだった。
本来なら、胸が高鳴ってもおかしくないのだろう。
けれど――私は別のことを考えていた。
目の前に座る、シオンのことについてだ。
「…………」
「ん?どうかしましたか?」
私はじっとシオンの顔を見つめる。
そして少し迷った後、思い切って口を開いた。
「あの……私あなたに昔、会ったことありましたっけ?」
「いえ?初対面のはずですよ?」
シオンはすまし顔であっさりと否定した。
確かに私にも、この人に会った記憶はまったくなかった。
ただ――何か心に引っかかる。
孤児院でこの人を初めて見た時から、そうだった。
「グゴゴゴゴ……」
アランの豪快な寝息が、馬車の静寂を破る。
シオンは小さくため息をつくながらも、どこか慣れた様子で懐からハンカチを取り出し、アランの口元のよだれを拭った。
すると突然、ガタンッ!と馬車が大きく揺れた。
何かへ乗り上げたらしい。
衝撃で、シオンの手からハンカチが滑り落ちた。
ひらりと舞い、私の靴へ被さるように落ちてくる。
「すいません、拾っていただけますか?」
「え?嫌ですけど?」
シオンがきょとんと目を瞬かせた。
「えぇと……それは何故でしょう?」
「あなたが落としたものなんだから、あなたが拾うべきでは?」
私は淡々と続けた。
「もし私に拾ってほしいなら、それ相応の”利”を提示するべきです。例えば――」
私は床のハンカチを指差す。
「『拾ってくれたら、金貨一枚差し上げます』とか?」
「…………」
シオンは呆れたように沈黙し、自分でハンカチを拾い上げた。
私は、さっきそのハンカチがアランのよだれを拭っていたことを思い出した。
なので無言で、自分の靴をアランのズボンへ擦り付けた。
シオンがじっとこちらを見る。
「さっきの言動といい……あなたも見かけによらず問題のありそうな方ですね」
「……問題?」
私は眉をひそめる。
「私、”正しいこと”しか言ってませんよね?」
シオンはふっと息を吐き、静かに目を閉じた。




