吾輩は猫なのか?【第十八話】
「ふぅ……やれやれ。面倒なやつだったな」
男の全身を走る線が、赤から黄色へ戻っていく。
だが同時に、全身からばちばちと嫌な音が鳴り響いていた。
「おいおい……一人やるだけでこの消耗かよ……こりゃ、『生徒を皆殺しにしろ』ってのはちょっと厳しいだろ」
そう言って、また頭を掻こうとした。
「……って、だから無理なんだっつーの!寝てんだからよ!」
男は苛立ったように身体を捻る。
「まぁでも……最初のあの感じ」
男は目を細めた。
「あいつが“頭”って考えていいのか?なら、まだいけるか?」
そう言って、煙の向こうへ目を向ける。
そこには――
焼け焦げたぬいぐるみが、“二つ”転がっていた。
「……えぇ?」
次の瞬間。
男の背中へ、衝撃が叩き込まれる。
「がっ……!?な……!?」
男は勢いよく振り返った。
サンドラが、笑みを浮かべながら男の背中へ蹴りを叩き込んでいる。
「な……何故!?」
――隣のぬいぐるみと同時に貫いた。
入れ替わりは、不可能なはず――
「……!」
男の視線が、サンドラの足元へ落ちる。
そこにあるはずだったぬいぐるみが――消えていた。
「さ、さっき投げたぬいぐるみ……それと入れ替わって……」
「そ♪直前で、術式の対象をこっちのぬいぐるみに変えたの♪」
サンドラは隙を逃さない。
再び男へ蹴りを叩き込む。
鎧から、鈍い衝撃音と電撃音が同時に響いた。
だが――サンドラは追撃を止め、そのまま後方へ飛び退いた。
「おいおい……かなりやられたな」
男は肩を回した。
「そろそろまずいか?けどよ――」
ゆっくり、サンドラへ向き直る。
サンドラは荒く息を吐いていた。
全身から汗が滴り落ちる。
「何故、追撃をやめた?これ以上ないチャンスだっただろ?」
「ちょ、ちょっと疲れちゃったから♪それに、そろそろ反撃されそうだったし♪」
サンドラは笑う。
だが、その笑顔は既に引き攣っていた。
膝はがくがくと震え、腕は力なく垂れ下がっている。
「あー……なるほどな」
男は小さく笑った。
「限界なのは、お前の方ってわけか……ただ、それだけじゃないだろ?」
男はサンドラを見つめる。
サンドラは、いつまで経っても新しいぬいぐるみを取り出そうとしなかった。
「お前の“残機”は四つってわけか……まぁ、よく頑張ったよ」
そう言って、男は手を打ち鳴らした。
ガチッ―― ガチッ――
金属同士がぶつかるような音が、静まり返った廊下へ反響する。
「はぁ……はぁ……うっ……!」
サンドラの膝が崩れた。
全身から噴き出した汗が、床へぼたぼたと落ちていく。
「んじゃ、頑張ったご褒美に――苦しまないように逝かせてやるよ」
男は、ゆっくりサンドラへ歩き出した。
ガチッ―― ガチッ――
金属音が、再び廊下へ響く。
「ぐっ……!」
サンドラは膝をついたまま、男を睨みつけた。
だが、男は構わない。
ゆっくりと距離を詰めていき――
「サンドラ!!」
突如。
廊下へ、声が響き渡った。
男が振り返る。
「“持ってきた”!!」
リリーが、何かを抱えてこちらへ走ってきていた。
* * *
「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」
「聞きたいこと?」
サンドラは男から目を離さない。
「“お喋り”してる時間はないんだけど♪」
「わかってる」
私は首を振った。
「テディちゃん……“一つじゃない”よね?」
「まぁね♪」
「それ、どうやって作ってるの?」
「どうって……」
サンドラは困惑したようにこちらを見る。
「普通に、自分で縫ってるけど?」
「つまり、"材料"を使って作ったもの。魔力由来じゃない」
「え、ええ……あのさぁ――」
私は人差し指を口元へ立て、サンドラの言葉を遮った。
「もう一つ。術式の対象になるのは、“自分で縫ったぬいぐるみ”だけ?」
サンドラの眉がぴくりと動いた。
「いや♪ちょくちょくアイリスに手伝って貰ってる♪」
私はそれを聞いて、口角を吊り上げた。
「なるほど……ならさ――」
* * *
「全く……『なるべく急いで』って言ったでしょ♪」
サンドラが、ふらふらと立ち上がる。
そして、懐からナイフを取り出した。
「おいおいおい!お前、逃げたんじゃねぇのかよ!?これじゃ悲鳴が上がっちまうじゃねぇかよ!」
男は頭を抱えた。
私は男と距離を取った位置で立ち止まる。
そして、両腕いっぱいに抱えていた“それ”を、床へ落とした。
「そうね」
私は静かに答える。
「今から悲鳴が上がることになる」
そう言って、足元の“それ”へ触れた。
「あんたのね!!」
「あ?」
次の瞬間。
足元の袋の中から、“生地と綿と糸”が飛び出した。
それらは男へ向かって、一斉に飛んでいく。
「な、なんだこりゃ!?」
男は咄嗟に振り払おうとした。
だが……
生地も、綿も、糸も。 まるで意思を持っているみたいに、するすると男の身体をすり抜けていく。
そして――男を包み込むように、"合体"し始めた。
「あなた、一つ読み違いをしてたんだよ♪」
サンドラは笑みを浮かべた。
「よ、読み違いだと……?」
「そ♪あなた、“お前の残機は四つ”って言ってたけど――」
サンドラはナイフを構えた。
「私の残機は“五つ”なの♪そして、最後の一つは――」
男を包み込んでいた“それ”が完成する。
巨大なクマのぬいぐるみ。
男はその中へ閉じ込められたまま、宙に浮かび、手足をぱたぱたと動かしていた。
「“お前”だよ♪」
サンドラはにやりと笑った。
「ま、まさか……待て!」
次の瞬間。
サンドラは、躊躇なくナイフを自らの心臓へ突き立てた。
「がっ――!?」
クマのぬいぐるみの胸に、風穴が空く。
ばちばちと電撃が走り、 ぬいぐるみが激しく震えた。
男はしばらく痙攣していたが――
やがて、魂が抜けたように崩れ落ちた。
「ふぅ……」
私は額の汗を拭った。
そして、遠くに転がるトーマス先生の死体を見る。
血。
静まり返った廊下。
焼け焦げたぬいぐるみ。
私はゆっくり男へ視線を戻した。
「これで――“公平”だね」
静かに、そう呟いた。




