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 開いた扉に皆が注目する。マシェリも顔を向けるが、その左手はグレンの右手にがっちり繋がれていた。


(このままじゃ、ナイフが持てないわね)


 ワゴンを引いて現れたラナを見て、ついメインディッシュに思いを馳せる。

 胸元に光るブローチ、白いレースのヘッドドレス。パーティー仕様の華やかなお仕着せ姿の侍女達が、乾杯用のグラスを配り始めた。


「失礼致します」


 マシェリの前に置かれたのは、薄桃色の果実水だった。ふわり、とグラスから甘い香りが漂う。


「グレン殿下。左手ではグラスを持つのに不便ではありませんか?」

「問題ないよ。何なら、君に飲ませてやる事だって出来る。――やってみせようか?マシェリ」


 にやにやしながら、左手のグラスをマシェリの鼻先に近付けて来る。


「かっ、乾杯前ですから! それに、わたくし一人で飲めますわ。グラスを戻して下さいませ」


 グラスを右手で押し戻し、ぴしゃりと言う。心底楽しげでご機嫌麗しいのは結構なのだが、こっちは貴婦人の皆様方からの嫉妬と殺意に満ち溢れた視線がぶすぶす刺さり、既に針山状態だ。まったくもって笑えない。


 皇帝陛下の短い演説の後、あちらこちらでグラスが交わされる。マシェリとグレンも、果実水のグラスをかちんと合わせた。


「今夜はベッドの右側を空けておくよ」


 彫りが深く、目や鼻の配置すら芸術の域にある美しい顔に、とろ甘の笑みをのせてグレンが言う。……だんだん、皇子様の皮を被ったただの色魔に見えてきた。


「そういう事は、まだ私達には早すぎますわ」

「それもそうだね。……僕はまだ、マシェリから愛の言葉を貰っていないし」


 グレンは、深いため息とともに甘い笑みを解いた。ふて腐れた様子で首元の留め具を一つ外すと、綺麗に撫でつけられた黒髪をくしゃりと掻き上げる。

 素材が良いと何をしても色っぽく、絵になってしまうものだ。グレンを扇越しに眺める貴婦人達のため息混じりの視線も、過剰に熱を帯びてくる。毒……いや、色香にあてられ失神者でも出る前に、ここらで何とかしなければ。


 賭けに近いが、手立てはある。マシェリは咳払いを一つすると、グレンのいじけたその横顔に、レースの手袋をはめた手を伸ばした。


 ちょん、と頬に指先が触れる。


「愛してますわ。殿下」

「……………。 えっ」


 マシェリにぱっと向けたグレンの顔が、みるみる真っ赤に染まっていく。――攻められるのに、たぶん弱い。賭けに勝った証である。


(襟首を掴まないで済んで良かった)


 色気がぶっ飛んだ十四歳の王子様に、マシェリは新緑色の瞳を細めてにっこりと微笑んだ。



 侍従が綺麗に掃除した床を、背の高い大臣がかつんかつんと歩いて行く。客達の前に立ったのは、先ほど最後の挨拶をつとめた、五人のうちで一番髪の毛量が多い大臣である。


「それでは只今より、グレン殿下とマシェリ嬢へ、各国大公並びに公女の皆様方から順にご挨拶をいただきます」


 張りのある声でメモも見ずにすらすらと告げる。どうやら、五人そろっての挨拶第二弾は断念したらしい。残り四人の大臣達は既にみな青色吐息で、ぐったりと椅子に腰掛けていた。

 そろそろ、世代交代の時期のような気もするが。だがもし前皇帝の崩御以前からの大臣ならば、当時殿下だった現皇帝としては辞めさせ辛いのかもしれない。

 ――それが政治的か、心情的なものかは分からないけれど。


 当の皇帝陛下は頬杖を付き、傍目には退屈そうな様子だったが、その視線は談笑を愉しむ客達にまんべんなく注がれていた。 


 会話の内容は分からなくとも、誰と誰が目を合わせ、話しているかくらいは分かる。それが、衣を色分けされた大公たちなら尚更だ。 


(獲物を探す鷹……に見えなくもない)


 背筋がぞくりと震えたマシェリは、肩をすくめ、空のグラスに視線を落とした。


 そこへ横から手が伸び、ひょいとグラスを持っていく。代わりのグラスを差し出して来たのは、ターシャだった。珍しく薄化粧を施し、結い髪に花を挿している。


「こちら、柑橘の果実水です。……それと、準備が整いましたのでお知らせに」

「ありがとう。ターシャ」

「いいえ。私も楽しみですから」


 ぺこりと頭を下げ、トレイを手に大広間の人波の中へ戻っていく。


「すごいね彼女。本当に準備できると思わなかったよ。こんな短時間で」


 マシェリのグラスを手にしたグレンが、感心したように言う。


「皆、優秀ですから。……というか、返して下さい。それ」

「いいじゃないか。僕達は夫婦になるんだから。僕のものは君のもの、君のものは僕のもの。――だろ?」


 それは言葉の使いどころを間違えている!そう言いたかったが、言う間もなく、全て飲み干されてしまった。……好きな果実水だったのに。


(きっとさっきの仕返しだわ……っ)


 ぷるぷるしながら睨むと、グラスを置いたグレンが唇の端で笑う。


「香りだけでも味見してみる?」


 マシェリの左手をぐいと引き、甘ったるい流し目でグレンがにじり寄ってくる。それをぎぎぎと右手で押さえつつ、マシェリがふと顔を上げると、真紅のコート姿のテラナ大公が少々気まずげに佇んでいた。


「取り込み中に申し訳ない。グレン殿下、マシェリ嬢。その……ご婚約おめでとう」

「あ、ありがとうございますっ。大公閣下」


 そういえば、出身国の大公が一番に挨拶に来るんだった。マシェリは慌てて椅子から立ち上がると、テラナ公国の礼法に則り挨拶をした。老齢のテラナ大公は、くるんと上向きにカールした髭を指先で摘みながら、唇の端をあげ、笑う。


「わしはとても嬉しいんだがな。……マシェリ嬢、貴女は皇太子殿下の妃になる女性(ひと)だ。次に挨拶に来る大公へは、フランジア帝国式の礼をした方が良い」

「……はい」


 マシェリは頰を染め、素直にこくんと頷いた。それを見たテラナ大公が驚いたように目を見張る。


「ちょっと、長いわよお父様。ほら、交代交代」


 真紅のドレスの裾を両手で掴みながら、カツカツと早足で歩いて来た女性が、テラナ大公をぐいと押し退けた。呆気に取られるマシェリの前に立ったのは、テラナ公国の第四公女、クロエである。

 クロエは薄茶色の髪に花飾りを留め直すと、ドレスの裾をつまみ、流れるような所作で礼をした。


「お二人とも、ご婚約おめでとうございます。――先月のお茶会以来ね、マシェリ。そのドレス良く似合っているわ。とても綺麗よ」


 両手を伸ばしてくるクロエに応じ、抱き締めあう。離れて見れば、つり目がちな紫色の瞳を細め、人懐っこい笑みを浮かべていた。


「ありがとうございます。クロエ殿下」

「ありがとう。しかしクロエ……君、お父上に対して少々厳し過ぎやしないか?」


 苦笑いのグレンに、クロエが「あらぁ」と口に手をあてつつニヤニヤと迫る。


「やけにお優しい事。まあ、マシェリを見つけて召し出したのはうちの父ですものねぇ。恩を感じてるわけだ。なるほどなるほど」

「笑い方がやらしいぞ。……まあ、否定はしないけど」


 しないのか。大真面目な顔で言うグレンに、怒るべきか喜ぶべきか。複雑なマシェリだった。


「はいはい、ごちそうさま。――さて、そろそろ行きましょうか? マシェリ」


 クロエは真紅のドレスの胸元に手を差し入れると、一枚の小さなカードを取り出した。ぱちん、とウィンクして、マシェリに手渡す。


「とても楽しみだわ」


 花柄の可愛らしいカードを開き、中を見る。マシェリはクロエにこくんと頷き、ウィンクを返した。


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