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 水脈を開放、あるいは封鎖する際の式典に使用する場所は宮殿の建つ崖下にある。


 四、五十人は余裕で入れそうな、低い手摺りが付いた石畳の広場。湖にせり出した岩盤の上に造られており、下を覗き込むと、水面から二階分ほどの高さがあった。

 手摺り前に設置された祭壇には、様々な供物が盛り付けられている。


(これだけで満足するのかしら? 水竜は)


 果物ばかり並んだ祭壇を眺めつつ、ふと小首を傾げる。雑食だとは聞いていたが、葡萄だとか林檎だとかをむしゃむしゃ食べる姿が想像できない。見た感じ、どちらかと言えばがっつり肉食、しかも丸かじりが似合いそうな牙と顎の持ち主だった。

 なんてったって竜だし。

 昔々生贄を捧げてたっていうのも、あながち眉唾な話ではない気がしていた。


「もうじき月が昇る。一番にテラナ公国の水脈を開放するはずだから。もう少し待っててね、マシェリ」

「はい」


 こくりと頷き、マシェリは少し肩を窄めた。湖から吹く風は強い上に結構冷たい。式典という事もあり、白いドレスの上に何も羽織ってこなかったのは失敗だった。


「何だか寒そうだね。これを着ておくといいよ」


 ふわ、と肩に掛けられたのは、フランジア帝国の国色、蒼色の外套。


「ありがとうございます。……綺麗ですわよね、この色」

「気に入ってもらえて嬉しいよ。これと同じ色のドレス、もう予約しちゃったから」

「……ドレスの予約?」

「うん。二年後に婚姻の儀で着るやつ」


 にこにこ笑顔でのたまう皇子様に、マシェリは思わず頰を引きつらせた。


「……それは、少しばかり気が早すぎませんか?」

「そう? 何ごとも早いに越した事はないと思うけど」


 グレンがマシェリの肩を抱き寄せる。

 苦笑いを浮かべたマシェリの頰は、夕焼けのせいかほんのり赤く染まっていた。


 日が沈みはじめた頃、ビビアンと軍服姿の騎士が二人、崖の階段を降りてくるのが見えた。一人は森で一緒だったサリエルで、遅れて降りてきたもう一人が、グレン曰く皇帝側近のルディらしい。

 だが今回も顔は確認できなかった。鼻から下が、何故かビビアンとお揃いのフェイスべールで覆われていたのである。

 マシェリは、思わず眉を寄せた。


「……ルディ様は、どうして顔を隠してらっしゃるの?」

「式典の時はいつもああなんだ。終われば外すよ」


 正装用なのだろうか? 分からないが、とりあえずはホッとした。せっかく式典後にルディと会う約束をしていたのに、あのままだったら顔合わせの意味がない。


 貴賓席に着いたマシェリとグレンの前を、フェイスべール第一号のビビアンが横切って行った。手袋を着けた手で青い小箱を持ち、サリエルを引き連れている。

 祭壇の前に立つと小箱を置く。ビビアンの手元に、マシェリはふと違和感を覚えた。じっと目を凝らして凝視する。ーー手が、見えた。


 手首の先のない、透明な手が。


「……っ!」


 思わずマシェリが椅子から立ち上がると、幻のようにその手が消えた。ーーだが、安心はできない。

 あの手には見覚えがあった。控え室でマシェリを襲った、ルシンキ大公の分身である。


(でも彼は今、魔術を使って逃げ出せないよう結界を張った牢に投獄されているはず。なのに、一体どうやって!?)


『なん、デ。分かっタ』


 片言で話す声は、サリエルだ。ーー操られているのだ。あの時の近衛と同じように。


 マシェリの背筋に、冷や汗が伝う。


「どうかしたの? マシェリ」

「殿下、サリエルがルシンキ大公に操られているかもしれません。念のため、彼の捕縛を」

「ルシンキ大公が? 彼は確か、結界に閉じ込めてあるはずだが」

「ええ、それはわたくしも知っていますわ。ーーでも」


 マシェリは言葉を切った。

 こちらをニヤリと見たサリエルが、祭壇の台に置かれた青い小箱に手を伸ばしたのだ。


(まさか今回の狙いは蒼竜石? ーーあああもう、なんで気付かないんですの?ビビアンの鈍感!)


 祭壇を呑気に眺めるビビアンに、小声で悪態をつく。焦れたマシェリは、靴を脱ぐとサリエルに向かって、思い切り放り投げた。


『ーーがッ?』


 ゴン、と額にヒールが命中し、青い小箱がサリエルの手から落ちる。


「ビビアン! 後ろ!」

「はい⁉︎」


 マシェリの声に振り返ったビビアンが、やっとサリエルに気付く。床に落ちた、青い小箱にも。


 白いフェイスベールの上で、細い目が鋭く光った。


「……何をしているんです?」

『やっと、気付いタ、か。のろま、な宰相だ』


 小馬鹿にしたようなサリエルの言葉に、かちんときたのか、ビビアンの黒い顔から完全に表情が消えた。


「私を愚弄するとは……いい度胸をしてますねえ!」


 ビビアンが一歩踏み出すと、サリエルの腕に血しぶきが跳ねた。ーーいつの間に抜いたのか、手に短剣を握っている。


『きさ、ま』

「安心なさい、殺しはしません。生捕りにして、ルディの拷問をフルコースで受けてもらいます」


 くっくっくっ、とビビアンが楽しげに笑った。


(どんな脅し文句? でも、地味に効いてる! ルシンキ大公がーーサリエルの顔がどんよりしてる! どんだけ有名なのルディ様……っ。恐ろしすぎる)


 もしやフランジア帝国の影のボス? いやまさか、とマシェリが首を振ってる間にグレンが片手を上げ、護衛の近衛を呼び寄せる。


「君は城に逃げて。もしルシンキ大公がサリエルを操ってるなら、魔力で何をされるか分からないから」

「分かりましたわ。でも……殿下は?」

「僕は近衛の指揮をとる。だから」


 言いかけたグレンの、黒曜石の瞳がマシェリの背後をじっと見つめる。ハッとして振り返れば、蒼竜石が宙に浮いていた。

 夕日の光を浴び、美しく輝いている。


 その下で、サリエルが崩れ落ちるようにどさりと倒れた。グレンの指示で取り囲んだ近衛たちが、素早く縄をかける。


「待て!」


 湖の上に移動していく、蒼竜石を見上げてビビアンが叫ぶ。

 蒼竜石を握り締めているのは、輪郭のみしか見えない、透明な手だった。顔も、口もない『それ』が、低くくぐもった声でしゃべりだす。


『水脈、は。止めさせ、なイ』

「!何をーー」


 蒼竜石が弧を描き、湖へと落ちていく。

 見る間に霞んで消えていく手の指に、金色の指輪が光っていた。


(水脈の封鎖を阻止するためだけに、ここまでするだなんて……どこまで愚かなんですの。あのボンクラ大公!)


 怒りで頰を引きつらせながら手摺りに取り付く。

 身を乗り出して見れば、蒼竜石が落ちた湖面に大きな波紋が広がっていた。


(女は度胸よ、マシェリ ……!)


 ドレスの裾を縛り、手摺りに足をかける。ーー迷いはなかった。


「マシェリ、待って!」


 グレンが手を伸ばすより先に、マシェリは湖に飛び込んだ。勢いよく飛沫がはねる。

 ーー水が、思ったより冷たい。


 底知れぬ深さの水中に目を凝らす。だが夕暮れの日差しは弱く、僅かに見えた小さな光が蒼竜石かどうかも分からない。しかも伸ばした手からは遥かに遠く、指をかすめる事すら叶わなかった。

 やっぱり無謀だったのだろうか。思わず自嘲気味に笑った時は遅かった。水を吸い、重みを増したドレスのせいで、体が思うように動かない。


(足が……つって)


 体が沈む。


 徐々に暗くなる視界の端に、黒く巨大な影がこちらへ近づいてくるのが見えた。二つ並んだ丸くて蒼い光が、マシェリをじっと見つめている。


 ーー昨夜、殻の隙間ごしに見た時と同じように。


 力の失せた手に翡翠の鱗が触れる。マシェリは、目の前で蒼く輝く双眸に微笑んだ。


『水脈を開いて』


 それは単なる戯言だった。

 蒼竜石も持たず、皇族でもないマシェリの。


(でも、願うだけならタダだもの)


 大きな影がマシェリから遠ざかる。


 意識を手放しかけた時ーー手を、強く掴まれた。


 抱き寄せられ、一瞬目を見開く。軍服の詰襟に光る金のバッジ。水の中で、白いフェイスベールが揺れていた。


(ーーどうして、気付かなかったのだろう)


 よく知る騎士の名にマシェリの唇が動く。

 彼が、かすかに微笑んだ。







これにて完結となります。ただ、エピローグを投稿するかもしれないので完結表示にはしません。


最後までお読みいただき、有難うございました! m(_ _)m


◆ この【裏End編】は、去年ノベプラ様で25話まで連載していた「強気な令嬢は水竜皇子との婚約破棄をねらってます」の続きとして執筆した、未公開作品になります。小説家になろう様で公開した同作とは内容がまるで異なり、設定も多少の差異があります。改稿・推敲をほとんどやっておらず、完成度は低めですが、このままお蔵入りにしてしまうのはもったいないと思い、今回お試しで「parallel world」でのエンドという形をとってみました。

未公開とはいえ、新作とは言いがたい中途半端な作品です。無反応も覚悟の上でした。しかし意外にもブクマを付けてくださった方や★5評価をくださった方がいて、とても嬉しかったです。


改めて。読んでくださった皆様、本当に有難うございました!

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