そして二人は異世界へ
早く無双したいモフモフしたい旅がしたい
夢という長いトンネルを抜けると、そこは大自然であった。腰かけていた場所も、地面も、視界一帯の底が緑になっている。というか、どう見てもジャングルだ。
俺は毒だぜ! って明らかに主張してる変な青色のキノコとか見える。蔦とかもそこら中に巻きつきながら生い茂っている。苔とか雑草、落ち葉に覆われて、茶色の地面が露出しているところなんてほとんどない。俺の陳腐な語彙ではこの辺が限界だが、とりあえず一つだけ明らかに言えることがある。
ここは、間違っても朱鷺の部屋じゃねえ。当たり前か。
「――は?」
驚いて軽くのけ反ると、ゴチン! と背後の壁に当たる。いや、壁じゃない。目の前のそれは、観葉植物というにはあまりにも大きすぎた。大きく、重厚で、そして一室に入る大きさじゃなかった。それはまさに大樹だった。
……こんな観葉植物があってたまるか。つーか改めて辺りを見回してみると、寝ぼけてたってこともなく、やっぱりどう見ても屋外である。部屋のへの字もない。……いやいやいや。なんだこれは。どういう状況? 起きたらジャングルって何がどうなったらそんなことになるんだ。異世界トリップ? 寝言は寝て言え。……いや、待てよ?
ついでに頬をつねってみたけどあんまり痛くなかった。それらが意味するところは、
「……もう寝よう!」
結論。少し痛かったけど、これ夢だ。お休み。
「……起きて、にぃ。変なとこ、だよ」
ゆさゆさ、と。体が揺らされて寝にくい。十中八九朱鷺だ。夢の中でまで俺を起こしに来てくれるとは甲斐々々しいが、逆に現実じゃねーんだし眠たいから寝かせてほしい。
「……アマゾンの原生林、みたいなところだよ、にぃ」
「朱鷺。これは夢で、お前も夢だ。異世界トリップものの夢なんだよ。でも俺は睡眠を優先する。お休み」
「……夢じゃない。お腹も減る」
「そういや腹減ったな。夢の中のお前に言ってもしょうがねーけど、朝飯よろしくなー」
あ、いい感じに眠気が回ってくる。ひと眠りした後、ちょうどよく朝飯はできてるだろう。それまでは休んでよう、あんまりよく眠れなかったし。……ふわあああああ。
「……にぃ、聞いてる?」
「あー聞いてる聞いてる、飯は和食がいい」
「……にぃ、起きてよ」
「起きる起きる。だから飯出来たら起こして」
「……にぃ?」
「……」
「……に・ぃ?」
「……zzz」
「……っ!」
「ほぐおっ!? と、朱鷺いきなり何を……痛い痛いビンタは普通に痛いってちょっと繰り返すな繰り返すな、往復ビンタは5回までってポケモ○では相場が決まって……やめろ兄ちゃんの財布を奪おうとするなどうしてそこだけポ○モン仕様なんだおかしいだろ! 起きる! 起きるから止めてくれ朱鷺! バッカ右ひじはそっちには曲がらないからなああっ!」
……なだめてはみたものの、ややお冠だった妹の猛攻は止まらず。この後めちゃくちゃボコボコにされた。すげー痛てぇ。
★
「異世界と言えば!」
「……魔法」
「異世界と言えば!」
「……使い魔」
「異世界と言えば!」
「……エルフ、獣人、魔族っ娘」
「使い魔をモフモフしたいか? 美味いものいっぱい食べたいか? 世界を旅してまわりたいか?」
「……ん」
「よろしいならば作戦会議だ!」
「……おー」
このように。朱鷺に大ダメージで文字通り叩き起こされたあと、今後の方針を立てることになった。折檻の痛みが洒落になってなかった時点で、もうかなりこっちが現実なんじゃねーかなと思い始めている。夢だとしたら笑うだけだな。
というわけで、最初に考えるのはもちろんのこと。
「さて、ここが本当に異世界だとすると。とりあえず全力で楽しむ方向で行こうと思うが。異存はないな?」
「……いいよ」
「よし。まずは異世界に来たら誰もが考える魔法の使用だが。ぶっちゃけどうなのか分からんから保留な」
「……ん」
というのも、俺たちは当然この世界の魔法の知識はゼロ。杖を振るうタイプなのか唱えるだけのタイプなのか、その使い方。そもそも魔法があるか、これらの何一つとして分かっていない。
そして文献を探ろうにもここは森の中、教本なんて当然ないし、よくあるご都合主義アイテムの魔水晶とかがあるはずもなく。あったとすると、大体ギルドか学園とかに行けばいいんだろうが、そもそも町がどっちにあるかも分かっていない。つまり保留。
「次に使い魔だが、どう考えても魔法を使用するのでこれも保留」
「……ん」
召喚魔法、論外。特に召喚には時期がどうのこうの関係する、という設定も散見されるから、今魔法が使えたとして、テキトーに行うのはあまり望ましくない。言うまでもないことだ、と朱鷺は首を首肯する。
「そして、エルフや獣人、魔族っ娘だが、人間と敵対してた場合魔法が使えないと多分詰むから保留」
「……ん」
これは文字通り。仮に人外種がいたとして、おそらく人間より弱いことはないだろう。どれくらいのレベルかはわからないが、少なくとも素手の俺たちよりは強いとみていい。となると、関係が悪い場合、自衛手段を持たずに接触するのは非常に具合が悪い。というか捕まって見せられないよ! な目に遭うのは目に見えている。
「つまり全てが保留だ。さて議題は片付いたな、よし寝よういでででででで冗談だって抓るな抓るな!」
「……にぃ、本気だった」
バレたか。
「……」
「分かった分かった、じゃあ町に向かいながら魔法についてでも考察しよう、南でいいな? ……だからそのゴミを見るような視線はやめてくれ」
蔑まれて喜ぶ趣味はないので、仕方なく真面目になると、朱鷺も視線の険は緩めてくれた。さっさと移動を開始する。今、何よりもまず優先するのは魔法の知識。街に何としてもたどり着かなくては。そんな状況で迷いもせずに南に向かうのは、進む度に不自然に切り株が姿を覗かせるからだ。
たぶん年輪の特性は現実と一緒で、それに沿って行けってことなんだと思う。案外街道の一つとして利用されてるのかもしれない。戦う力もないうちからいつまでもここにいるのは危険だし、さっさと町に向かおう。
しっかし、新たに増えた議題はなかなかに奥深い。ちゃんと考察しようとしたところで、そもそも俺たちは魔法の実物を見てすらいないからな。どうしたもんか……。
朱鷺が袖を引っ張ってくる。
「……にぃ、魔法、使ってみて。ばびゅーんって」
なあ朱鷺、お前話聞いてた?
「お前は何を言ってるんだ妹よ。百歩譲ってここが現実かつ異世界で魔法が存在していたとして、俺が魔法を使える理由にならんだろ」
存在するかすら現時点では何とも言えないし。単に文化圏が中世の、SA○みたいな異世界かもしれないじゃないか。それで、さも使えますよ、といった風に自信満々に呪文とか唱えて発動しなかったらもう自殺もんだ。というかばびゅーんってなんだ、俺を萌え殺す気か。
一瞬朱鷺は「?」と首を傾げたが、「……にぃ、見えてないんだ」と、何やらすぐに納得した様子。そして、
「……でも、試してみないと、先に進まない」
「そりゃ、そうだけど」
「……大丈夫だよ、にぃ」
「……と、き?」
ふわり、と笑った。それは、俺の陳腐な語彙力では表しきれない、話に聞く聖母のような微笑みで。俺が感じていた不安とかを全部ぶっとばしていく。……まさか、使えるのか、魔法が。それをこの短期間で、既に確信したのかこの妹は。というか、もう使ったりしちゃったんだろうか。
その笑みが何を意味するのかは分からない、が。まあなんにせよ、この超優秀な妹のコンピューターが出した演算結果なら、試してみる価値は十二分にある。少なくとも、そう思えた。
「……出来るのか?」
「……それは、にぃ次第」
「分かった、やってみよう。行くぞ、朱鷺」
「……ん」
「よし」
朱鷺から充分に距離を取ってから、少しだけ思考する。魔法と言えば呪文のイメージも強いが、この手の異世界ものではむしろ名前のみで発動しているものが多い。そして、この世界の魔法名は知らないってこともある。結局、試してみるのは某RPGの呪文にした。
「……ふう」
具体的に何をすればいいのかはわからない。だから、想像するのは呪文の形。んで、気合入れて腕を突き出す!
「はああああっ! メ○ああああああっ!」
……。
…………。
………………。
しかし MP が 足りない?
「○ラ! メ○ミ! メラ○ーマ!」
……。
「ファ○ガ! サン○ガ! マハジ○ダイン! マハブ○ダイン! メ・ギ・ド・○・オ・ン!」
……。
…………。
………………。
「出ねえじゃねーか妹よ!?」
「……出るとは、言ってない」
堂々と呪文名なんて唱えておきながら、何にも起こらなかった。顔から火を噴くような恥ずかしさってこんな感じなんだなとか頭の隅で思いつつ。結局羞恥を隠しきれずに詰め寄ると、可愛さ余って憎たらしいほどグッとサムズアップしてくる妹。
「……大丈夫。にぃ、可愛かった。それに、森で○ラは、ダメ」
「出来ないこと前提だったのかよ!」
なんだったんださっきまでの俺の無駄な自信は……数十秒前に戻ってぶん殴りたい。この年にもなってこの類のトラウマ負うことになるとは思わなかったっつーの! ぐああああ恥ずかしいいい!
ニコニコと、地面を転げまわる俺を楽しげに見ていた朱鷺だったが。少しだけ雰囲気を正して、手を差し伸べてくる。まだ恥ずかしいが、いつまでも転がってる趣味はない。その手を掴んで改めて座りなおすと、朱鷺もちょこん、と座った。で、
「……これで、分かった。にぃ、見てて」
「……何が分かったって? おい朱鷺、どうし――?」
問いかける俺をやんわりと目線でなだめて、朱鷺はまるでこの指とまれ、とでも言いたげな雰囲気で右手の人差し指をピンと張り、
「『――お願い』」
――そして、風が凪いだ。
「――!」
息を飲む。葉っぱとか土埃のおかげで見えるが、これは風だ。心地よいくらいの風が、吹いている。湯船に浸かって人差し指回転させるとできるようなやつが、結構大きくなった感じ。それが朱鷺の人差し指の上で展開してる。当たり前だが朱鷺は超能力者じゃない。つまりこれは魔法である。……魔法だ!
「え、ちょ、え、なんで朱鷺魔法使えんの? というか使えんならなんでさっきトラウマ作る前に教えてくれなかったんだ? おい朱鷺!」
「……にぃ、面白かった」
「確信犯かよこんチクショウ!」
「……」
多分誤用の方の意味。妹からの扱いに涙が出そうだ。ただ、朱鷺がなんにも考えずにこんなことをしたとは思えん。というかなんか考察してる感じだったし、極めつけにはあの発言。
「んで、朱鷺。分かったって言ってたけど、魔法発生の条件はなんなんだ?」
「……精霊に、お願いするだけ。今のは、緑の子たち」
茶色の子も多いらしい。赤の子水の子も見えてるよ、少ないけど、と続ける。
「……ほう?」
当然のこと、とでも言うかのように、朱鷺は言ってのけるが。精霊。精霊と来たか。色がついてるってのはなんとも王道。しかし、お願いしてる、ってことは。使役する立場ではあるけど、朱鷺は自分の力で魔法を使ってるわけじゃないってことなのか?
よく分からんが、とにかく、朱鷺が魔法を既に使えるのが望外の幸運だ。これで俺たちが取れる選択肢が広がるし。ま、現時点では俺の魔法を使う手掛かりにはなっていないのが困りどころだが……。というか俺、魔法使えないなんてことないよね?
「……そこにも、樹にも、朱鷺にも、にぃにもついてるよ? キラキラ、光ってる」
「マジでか」
「……にぃのは、透明な子だけど」
とのことなので見回してはみるが、樹は樹にしか見えないし、朱鷺は朱鷺にしか見えない。でも俺にも精霊はいるって言うし、使えないってことはなさそう、か?
にしても精霊が見えるってのはやっぱり朱鷺のユニーク魔法の線が強いな。俺には精霊なんて見えてないってのは、つまり朱鷺と同じ魔法は使えないと見ていい。透明な精霊ってのも気になるところだが……考察がまとまらない。ああ、くそ。俺にも見えればいいのに。
「朱鷺は、最初から見えてたのか?」
「……ん、起きたときから」
「そっか」
朱鷺のそれは、先天的なものって考えるのが妥当だな。……ホント、俺の魔法ってなんなんだよ。
「……はあ。『回れ』、なんちゃって」
朱鷺の真似をしつつ。何となく、冗談のつもりでやると。
「……!」
「うおっ!?」
立てた人差し指から、朱鷺のと同じように風が吹く。
「……にぃ、それ、朱鷺の……」
「あ、あぁ。お前の魔法……だよな?」
意味はわからないが、見よう見まねで何故か出来ちゃったらしい。精霊が見えてるわけでもないのに、だ。ただ、さっきは同じように呪文名を唱えて、やはり何も起きていないわけで。メ○と朱鷺の魔法の違い、というと……アレか、俺の魔法ってもしかして、
『コピー魔法?』
目の前で行われた魔法のコピーをする力なのかもしれない。
「朱鷺」
「……ん」
言うが早いか、朱鷺は「……おねがい」と、両の掌に野球ボールくらいの水の球と、杭のような土の槍を作る。続いて、
「『出てこい』」
と、唱えてみる。やはり同じように俺の掌には水の球、土の槍が出現するわけで。……これは、確定っぽい。
「コピー、ねえ」
「……すごいチート」
心からそう思うよ。朱鷺もそうだが、どうやら俺も大概なチート能力らしい。
★
「さて。俺たちが魔法を使えるってのが確定したから、実は増えた選択肢を吟味して。今後の具体的な方針を立てよう」
「……その心は、ずばり」
『今すぐ街に行くか、行かないか』
「この場に残るメリットは人知れず魔法の修業が出来ること。町に行ったなら先人に教わりたくなるのが人情だけど。朱鷺の魔法がユニーク魔法だったりした時当てになるのか怪しいもんだし、変な知識で伸びが阻害されたり、騒がれたり。両方とも困るよな。その分最初から人に教わってなければそれを知られないし、面倒も起きない」
俺たちの目的はあくまで『楽しむこと』。その障害になりそうなものは最初から除外する方向で考えるべきだ。国に縛られるなんてもってのほかだな。幸いにして朱鷺はもう魔法を使える、俺は見るだけが条件っぽい。つまり俺たちだけで修行することも不可能じゃないってのも理由の一つ。
精霊らしきものが見える時点で、多分朱鷺はユニーク寄りだと思うし、俺のコピーなんて間違いないだろう。もし教えを受けるとして、先人に教わるのはある程度力の扱いを覚えてからの方が隠しやすくていい。
「あと、デメリットは単純に危険かな。強い魔物が出ないとも限らない」
試しにさっきの土槍を樹に向かって打ったが、余裕で貫通できる威力だった。そこら辺の雑魚に負けることはないと思うけど。一応の懸念である。
「……町に行くメリットは、この世界の常識。ご飯。ギルドで、身分保障。デメリットは、にぃの言う通り。あと、『凝り固まった常識』は、いらない」
同じく簡潔にまとめる朱鷺。メリットの、特に飯は魅力的なんだが、デメリットが大きいから即答できないんだよな。というのも、世界はRPGのように簡単じゃない。魔王が現れた、一方的に人が殺される、勇者よ魔王を倒してくれ。こんなに善悪がはっきりすることはまずないと言っていいだろう。
つまり、仮に魔族とかがいて、対立していたとすると、当然理由があるはずだ。そしてそれは、片方の陣営の話だけでは決して十全に理解することはできないし。何より、今から常識を詰め込もうってのに偏見を常識として知ってしまっては意味がない。それを判断できるだけの客観的な知見がほしい。
さて。これを踏まえた上で、どうするか。本来は簡単には選んではいけない重要な話なんだが。全然俺たちに危機感はない。そもそも街へ向かう、以外の選択肢があるだけ幸せなことだしな。
それに……こいつがいれば、何だって出来る。俺はそう思ってる。精霊魔法(仮称)とかは関係なく、純粋に信じてる。だから、例えどんな選択肢を選んだって。朱鷺が傍にいてくれれば、大丈夫だ。
「いっせーの、で選ぼう。意見が分かれたら話し合いだけど、多分、分かれねーだろ」
「……ん。多分、そうだと思う」
「じゃ、行くぞ。……いっせーのーで!」
『修行!』
「よっし! そうと決まれば水の確保と飯の調達、寝床探しだ。毒性の判断とか、お前の精霊で出来るか?」
「……だいじょぶ」
「じゃあ俺は、寝床探しつつ食えそーなもの片っ端から持ってくるから、朱鷺はその確認と水の生成頼むぞ。それが終わったら修行あるのみ、いいな?」
「……ん、にぃ、気を付けて」
「おう」
こうして、俺たちの異世界トリップは野宿と修行から始まる運びになった。朱鷺の力もそうだが、つくづく王道だな。