21 聖母。ではない。(3)
ララはリュンナに案内されてとある一軒家にやって来た。
広場からは少し離れていて、北嶺山脈へと続く小高い丘にある。
眺めがいい場所だ。
あちこちに岩石が転がっていて、放牧用の草原なのだろう、牛や羊に混じって遠くに犬を連れた村人が見えた。
「ここです」
と言って、リュンナが家の扉を叩く。
出てきた若い女性と幾らか言葉を交わし、家へと招かれた。
ララも続く。
「あの、えっと――ラ、ララリウム様。はじめまして……。」
ララが家に入るなり、家の住人である女性が深く頭を下げた。
「あた――私はミュラといいます」
ミュラは栗毛の髪をした年の若い女性だ。
目の色も髪と同系統の明るい茶色で、普段ならくるくるとして可愛らしいのだが、今は不安に揺れている。
「ララだよ」
おびえた風のミュラに、ララは気安げに話しかけた。
「え、ええ。存じております――ほ、本来なら主人が出迎えるべきところを私のような者が出迎えるということは非礼かと思いますが、主人はどうしても都合がつかなくこの場にはいません。ですので――ひ、日を改めてご挨拶に伺いたいと――」
「はあ?」
つっかえながら言葉を紡ぐミュラと、その言葉に首をかしげるララ。
リュンナが言った。
「ミュラ。ララ様は寛大なお方です。非礼だとは思っておりませんよ。――ね?」
「おうとも」
「……はあ」
ミュラは微笑みを引っかけたような困惑の表情で頷いた。
「ところでミュラ。あなた、去年子供を授かりましたよね?」
リュンナがミュラの肩に手を置きながら尋ねた。
「ええ。いま一歳半です」
「お乳はまだでるかしら」
「一応でますけど――」
と、ミュラはララに抱かれた赤ん坊に目を向けた。
大きく頷く。
「あ。この子にですか?」
「そう。分けてもらえる?」
「いいですよ」
ミュラはニコリと笑い、ララから赤ん坊を受け取った。
「名前はなんて言うんですか?」
「ホルンだよ。ホルンフェスト」
「――かっこいい名前。男の子なんですね」
ミュラはホルンを抱いて窓際にある椅子に座り、服をまくりあげてホルンに母乳を与え始めた。
「二本しか腕がないのに、器用に抱くなあ」
「変な所に感心するのですね」
「そう? でもさ、落っこちないようするのに腕二本じゃ足りなくない? 抱いたままで食事とかできないし。八本くらい欲しくない?」
「……私は特に、不便を感じたことはありませんけれど」
リュンナは部屋にあった空いている椅子に座りながら言う。
ララも隣に座った。
頬を触手に乗せて、頬杖をついている様な恰好でホルンとミュラを眺める。
「……」
先ほどまでララの腕の中にいたホルンが今はミュラの胸に吸いついている。
散々グズっていたのに、今では静かなものだ。
時折足と腕を振る様な仕草をするが、それは別段不機嫌だからではないだろう。
ミュラはそんなホルンを微笑みながらあやしつづける。
「……」
その光景が、ララには良く理解できなかった。
なんだろう?
とても、かけがえのないようなモノに思えるけれど――
――この世のものとは思えないほど不快な気分にさせられる。
「……」
「ララ様?」
リュンナはララの異変に気がついた。
ララは先ほどから微動だにせずにホルンとミュラをじっと見ている。
普段なら落ち着きのないララが、集中している。
「ララさ――」
リュンナがもう一度声をかけようとした時、
「返せっ! 返せ、この泥棒!!」
ララが突然爆発した。
叫びながら触手を振う。
「え――」
「――ッ!」
硬直するミュラと、身をちぢこませるリュンナ。
すさまじい勢いで振るわれた触手は、しかしミュラからホルンを攫っただけで終わった。
ララは、本当はこの家ごとミュラを吹き飛ばすつもりだった。
なのになぜか出来なかった。
ララにとって、ミュラはハッキリ殺したいほどにおぞましい存在だ。宿敵と言っていいレーバに抱くそれよりも、強い憎しみを感じる。
しかしそれと同時にララが決して及ばない存在でもあるのだ。
それを感じ取った本能が、一時の激情を圧倒した。
つまり、ララは竦んでしまった。
ただの人間に。
「あほ! 死ね!」
呆然とするリュンナとミュラにそう吐き捨て、ララはホルンを抱えて逃げた。