第2話「可愛いを、作る。」
「美玲、今日も完璧だね」
大学へ向かう電車の中。
美玲はスマホの画面から顔を上げた。
隣に立っていた女の子が、美玲の髪を見ている。
「その巻き方、自分でやってるの?」
「うん」
「いいなあ。私、不器用だから全然できなくて」
「でも、その髪なら巻かないほうが可愛いよ」
「え?」
美玲は女の子の髪を見る。
肩より少し長い、真っ直ぐな黒髪。
「毛先だけ内側に入れればいいじゃん。前髪も今より少し薄くして」
「そうかな」
「絶対そっちのほうが似合う」
美玲は言い切った。
女の子が少し嬉しそうに髪を触る。
「今度やってみようかな」
「やってみなよ」
電車が駅に着いた。
扉が開く。
「ほら、行こう」
「うん」
ホームへ降りようとした、そのときだった。
後ろから降りてきた人と肩がぶつかった。
「きゃっ」 体がよろける。
「危ない」
倒れそうになった体を、誰かに抱きとめられた。
その瞬間、ふわっと、爽やかな柑橘と石けんのような清潔な香りがした。
その奥に、ほんのり木の香りが混じっている。
「大丈夫? 怪我ない?」
男の声だった。
「大丈夫です。すみません」
美玲は反射的に頭を下げる。
発車を知らせる音が鳴った。
ホームには次々と人が降りてくる。
「美玲、行くよー!」
先に降りていた女の子に呼ばれた。
「今行く!」
美玲は男の顔を見ることもなく、人の流れに紛れていった。
すれ違いざま、目に入ったのは―― 首から下げられた、黒いカメラ。
それが妙に印象に残った。
男はその場に残り、遠ざかっていく美玲の後ろ姿を見る。
さっき、一瞬だけ見えた顔。
綺麗に巻かれた髪。
整ったメイク。
よく似合っている服。
「……可愛い子」
小さく呟いた。
けれど、美玲の耳には届かなかった。
このとき美玲は、男の顔すら覚えていなかった。
改札を抜けると、ガラスに自分の姿が映る。
美玲は一度立ち止まった。
髪。
メイク。
服。
もちろん、よし。
今日もちゃんと可愛い。
満足して歩き出す。
別に毎朝、鏡の前で何時間も格闘しているわけではない。
自分の顔なら、もう分かっている。
どこを見せれば可愛くなるか。
どの色を使えば肌が綺麗に見えるか。
どんな服なら自分の体型に似合うか。
笑うなら、どの角度が一番いいか。
全部、知っている。
だから美玲にとって、
「私、可愛いから」
という言葉は、自慢でも冗談でもなかった。
ただの事実だった。
大学へ着くと、校舎の前に人だかりができていた。
その中心に、見慣れた長い髪がある。
「莉央」
美玲が声をかける。
「あ、美玲」
瀬戸莉央が振り返った。
今日の莉央は、黒のノースリーブにワイドパンツ。
明るい髪を高い位置でまとめている。
相変わらず目立つ。
「莉央、その髪いいじゃん」
「ほんと?」
「うん。その服なら下ろすより絶対そっち」
「珍しく普通に褒めた」
「私いつも褒めてるじゃん」
「余計な一言がついてくるの」
「そんなことないでしょ」
「あるよ」
莉央が笑った。
その横にいた女の子が二人を見比べる。
「いいなあ、二人とも」
「何が?」
美玲が聞く。
「可愛くて。私なんか何着ても普通だし」
美玲は女の子を見る。
白いブラウスにデニム。
確かに目立つ格好ではない。
「何着ても普通って、今まで何着たの?」
「え?」
「いや、普通に……こういうのとか」
「じゃあ分かんないじゃん」
「何が似合うか」
美玲は女の子の顔をじっと見る。
「ちょっと髪、耳にかけてみて」
「え? うん」
戸惑いながら、女の子が髪を耳にかける。
美玲は少し離れて見る。
「ほら」
「こっちのほうが可愛い」
「そう?」
「うん。顔全部隠すより出したほうがいい。あと、そのブラウスならデニムよりフレアスカートのほうが似合いそう」
女の子が自分の服を見る。
「でも私、スカート似合わないよ」
「なんでそう思うの?」
「なんとなく……」
「履いたことある?」
「あるよ、黒のロングスカート」
「それが似合わなかっただけじゃない?」
「え?」
美玲には、その考え方がよく分からない。
一つ似合わなかったから、自分には似合わない。
そんなの、もったいない。
「顔も髪も体型も違うんだから、似合うものだって人によって違うでしょ」
「……うん」
「だったら探せばいいじゃん」
美玲は笑った。
「可愛いは、作るものなんだから」
女の子が目を丸くする。
隣で莉央が、美玲を見ていた。
「美玲って、そういうとこあるよね」
「どういうとこ?」
「人のこと、めちゃくちゃ見てる」
「ヘアメイク専攻なんだから普通でしょ」
「まだ二年生だけどね」
「二年生でも分かるものは分かるの」
美玲は自分の髪を軽く整える。
莉央が笑った。
「さすが、自分を可愛いって言い切る女」
「だって可愛いし」
即答した。
女の子が吹き出す。
「ほんとに言うんだ」
「何がおかしいの?」
「普通、自分で言わなくない?」
「なんで?」
美玲は本気で分からなかった。
「自分で自分のこと可愛いって思って何が悪いの?」
二人が黙る。
「朝、髪が上手くいったら嬉しいじゃん。新しいリップ似合ったらテンション上がるじゃん」
「まあ、それは」
「だったら可愛いって思えばいいじゃん」
簡単な話だ。
誰かに一番だと認めてもらいたいわけじゃない。
誰かより可愛くなりたいわけでもない。
自分を鏡で見たときに、
今日の私、いいじゃん。
そう思えたら、それでいい。
「美玲は毎日楽しそうだね」
莉央が言った。
「楽しいよ?」
「羨ましい」
「まあね」
莉央がスマホを見る。
「莉央も楽しそうじゃん」
二人で笑って、大学へ向かった。
―――
美玲は教室の机に頬杖をついていた。
「……で、榊朔って誰?」
課題のグループ表を見ながら言う。
「俺」
後ろから声がした。
振り返ると、一人の男が立っている。
「榊朔。絵画専攻」
「あなたが榊くん?」
「そう」
「よろしくね」
美玲は笑顔で言った。
「よろしく」
朔もにこっと笑う。
――感じいいじゃん。
そして、その隣には――見たくもない顔。
藤堂海斗。
「……最悪」
「はぁ?」
美玲の眉が跳ね上がる。
「それ、こっちの台詞なんだけど」
「さっきも聞いた」
「何回でも言うわよ」
美玲はぷいと目を逸らした。




