第52話 修羅を欺く不純なバフ
「キャーー! 流石玲香さん! かっこよすぎです!! 望愛さんも加恋さんも、凄すぎます……っ!!」
試合終了を告げるブザーが響き渡った瞬間、わたしは貴賓室のふかふかのソファから飛び上がり両手を叩いた。モニターの中で、本田さんと玲香さんが熱い握手を交わしている。あのかつての確執を乗り越え、加恋さんと望愛さんが完璧な阿吽の呼吸で地中からの奇襲を決め、最後は玲香さんが綺麗にフィニッシュを飾る。その完璧すぎる三位一体の勝利に、わたしの胸はこれ以上ないほどの感動で震えていた。
けれど。
「あ、あはは……。……あ、あの、あまり、面白くない、ですよね……?」
興奮のあまり我を忘れて叫んでしまったものの、静まり返った室内でわたしの声だけが虚しく響き渡り、すぐに我に返った。恐る恐る隣を振り返ると、そこにはスノーメビウスCEO・氷室帝人さんが、いつもの感情を一切排した無表情のまま、組んだ脚の上に指を置いて鎮座していた。その覇王のような威圧感に気圧され、わたしはしおしおとソファに座り直し、恥ずかしさで身を縮こまらせた。
「そんなことはない」
不意に、重厚なバリトンボイスが静寂を切り裂いた。
「え?」
聞き返すと、帝人さんはそれ以上何も答えず、ただアリーナの熱狂を見つめていた。短い沈黙が流れた後、彼がぽつりと口を開く。
「玲香があのような配信をしていることは……正直、驚いたよ」
「えっと……あのような配信とは、具体的にどういう……?」
お腹の奥が、嫌な予感でキュッと縮む。確信はあった。けれど、それを自らの口で認めるのはあまりにも心臓に悪すぎるため、わたしはあえて聞きづらい部分を確認するように、消え入りそうな声で尋ねた。
「百合配信のことだ」
――お、お義父さんの口から、直球でその単語が出たぁぁぁ!!!!
「う、うぐぅっ……!」
脳内がパニックで真っ白になり、喉が変な音を立てて詰まった。ああ、神様、仏様、今すぐ床に穴を開けてわたしを第三層の砂漠まで落としてください。恋人の、それも日本を牛耳る超一流企業のダンディすぎるお父様から、真顔で百合配信というワードを突きつけられるこの破壊的なまでの羞恥心。もしかして、玲香さんにシーカーを辞めろと強要していたのも、実の娘が世界中に向けて女の子とベタベタいちゃつく破廉恥な動画を垂れ流していることが原因だったんじゃ……。
「す、すみませんっ……! その、娘さんの尊厳を貶めるような、破廉恥で不道徳な配信にわたしなんかが巻き込んでしまって……!」
わたしはソファの上で、今にも頭を床に擦り付けんばかりの勢いでペコペコと謝罪した。けれど、そんなわたしの狂乱をよそに、帝人さんはふっと視線を和らげ、どこか遠い記憶をなぞるように目を細めた。
「玲香があんなに楽しそうにしているのを……私は、初めて見た」
「え……?」
動きが止まる。帝人さんの横顔を見つめると、そのアクアマリンの瞳に、ほんの一瞬だけ、冷徹な仮面の裏にある父親としての不器用な慈愛が灯ったように見えた。
「私はあの子に、何でも完璧にこなすことだけを求めてきた。あの子もそれによく応えたが、その表情から、笑顔が消えていくのを見て見ぬふりをしてきた。いや、どう接すればいいか分からなかったのだ。実の娘だというのに……」
帝人さんは静かにそう語ると、わたしの顔を、その真っ直ぐな瞳で見据えた。
「だから……感謝しているよ。桜優奈さん。あの子に生きがいを与えてくれたのは、他でもない君だ」
「帝人さん……」
胸の奥が、じわりと温かい熱で満たされていく。この人は、玲香さんのことが大嫌いだったんじゃない。ただ、不器用すぎて、どうやって娘と向き合えばいいのか分からなかっただけなのだ。わたしが何かを言いかけようとした、その瞬間。
『――ハロー、世界中のシーカーの皆さん! いよいよ準決勝第二試合も終わり、残すは泣いても笑っても最後の一戦! 決勝戦の開始が間もなく迫っているよ!』
アリーナのスピーカーから、寧琉ちゃんのノリノリなアナウンスが響き渡り、貴賓室のガラスをビリビリと震わせた。
「あ、あの! すみません、わたし、最後に玲香さん達を応援してきます!」
「ああ。……行ってきなさい」
帝人さんの静かな後押しを受け、わたしは貴賓室を飛び出し、選手控室へと向けて全速力で廊下を走り出した。
◇◇◇
「みんな、お疲れ様です……っ!!」
バタン、と控室の重厚なドアを開けると、そこには、最終決戦を前にして、極限の緊張感に包まれていた三人がいた。わたしの登場に、玲香さんと望愛さんが一瞬にして表情を和らげる。
「優奈……! 無事に戻ってきてくれたんだね。お父様に、何か言われなかったかい?」
「大丈夫ですよ! お義父さん、玲香さんの百合配信、ちゃんと温かく見守ってくれていましたから!」
「なっ……!? お、お父様が、あれを……っ!?」
玲香さんが顔を真っ赤にして絶句する。そんな玲香さんの様子を望愛さんがフッと嬉しそうに見つめる中、わたしは真剣な顔で三人の前に立った。
「玲香さん、望愛さん、それから加恋さん。……決勝戦の前に、わたしの魔力を、みんなに渡させてください」
本田さんとの戦いで、あえてわたしのスキルを使わなかったのは、すべてこの決勝戦のための賭けだった。本田さんの戦いで玲香さん達の「通常スペックの戦い」を見せることで、明楽さんの油断を誘うことができる。そして、明楽さんが玲香さん達の実力を見くびったその一瞬の隙に、あらかじめ満たしておいた「最大容量以上の魔力」を爆発させ、不意を突く。それが、わたし達が考えた禁断の奇策だった。
「さぁ、いつでもいい。君の魔力を私の中に満たして」
「ええ……。私も、優奈さんの魔力で、お腹の奥までポカポカになりたいわ」
「は、はい!」
わたしはまず、玲香さんと望愛さんの手を強く握り締め、念じるようにスキルを発動した。
「魔力譲渡……っ!」
ドクン、ドクンと激しい鼓動が駆け巡り、わたしの手のひらから、桜色の濃密な魔力が二人のアストラル体内へと流れ込んでいく。
「あ……んっ……」
「はぁ……、すごく、熱い……っ」
慣れているはずの二人から、脳が蕩けるような甘い艶っぽい吐息が漏れ、室内の空気が一気に一変する。二人の身体が内側から桜色のオーラで発光し、魔力出力が通常の二倍、三倍へとパンパンに膨れ上がっていく。そして。
「……う、うわ。やっぱりこれ、エフェクトとか声がマジでエロすぎるんだけど。絶対バグっしょ」
ベンチの端で、白銀のショットガンを抱えながら、顔を引きつらせている加恋さんに、わたしは真っ直ぐに向き直った。
「……次は、加恋さんの番ですよ」
「はぁ!? ちょっと、冗談きついんだけど! 前も言ったじゃん、あたしはあんな破廉恥なギフトは絶対にお断り――」
「加恋さん」
わたしは一歩踏み込み、彼女の細い肩をがっしりと掴んだ。
「さっきの明楽さんの蹂躙、見ましたよね? あの怪物に、わたしの魔力なしで、三人で無事に生き残れると思いますか? ……加恋さんには、日和ちゃんが、待っているんですよね」
「っ……!!」
加恋さんの体が、目に見えて強張った。そのオレンジの瞳が、激しい葛藤と、妹を救わなければならないという強い使命感に激しく揺れ動く。加恋さんは艶やかな金髪をクシャクシャと掻きむしり、泣き出しそうな、それでいて全てを諦めたような表情で、観念したように両手を挙げた。
「ああ、もう! わかったわよ! 背に腹は代えられないってやつ! ……ほら、さっさとやりなさいよ! ただし、本当に手ぇ繋ぐだけだからね! エッチなことしたら、ショットガンで蜂の巣にするから!」
「えへへ、ありがとうございます。……それじゃあ、失礼します」
わたしは一歩距離を詰め、加恋さんの白くて細い、震える両手を優しく包み込んだ。そして、目を閉じて深く念じる。
「魔力譲渡」
瞬間、カッとまばゆい桜色の光が、加恋さんの全身を包み込んだ。
「ひゃうぅぅっ!?」
加恋さんの口から、これまでに聞いたことのない、ギャル聖女の仮面をかなぐり捨てた可愛い悲鳴が漏れた。光の粒子が、彼女の修道服の隙間から肌へ直接吸い込まれていく。
「あ……、あ、何これ……! 身体の奥が……とろとろに、熱く、なって……頭が、ぐにゃぐにゃ、するぅ……っ!」
加恋さんの橙色の瞳が激しく潤み、頬は夕焼けのように真っ赤に染まっていく。普段の傲慢な態度からは想像もつかないほど弱々しく、そして信じられないほど色っぽく悶えながら、彼女はわたしの手を強く握り返してきた。
「っ……は、はしたない……。あたし、女の子同士で……こんなっ……」
「ふふ、ね? 加恋さん、言ったでしょう。すごく気持ちよくて、頭が狂いそうになるって」
望愛さんが隣で誇らしげな微笑みを浮かべて加恋さんを見つめている。
「玲香さん、わたし、信じていますから。……絶対に勝つって」
「当然さ。恋人の信頼を、裏切るわけがないだろう。……安心して、貴賓室から私達の勝利を見ていておくれ」
「はい!」
転送ゲートがネオンブルーの輝きを放ち始める。
「……さぁ、いこうか、二人とも」
「ええ……。不純物は、すべて切り裂いてあげる」
「おっけー。さっさと明楽センパイの鼻を明かしてやろうじゃん!」
玲香さん、望愛さん、そして顔を真っ赤にしてよろめきながらもショットガンを構え直した加恋さん。三人は、桜色の不純な魔力をその身にみなぎらせ、本当の決戦のステージへと、誇らしげに光の中へと消えていくのだった。
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