第4話 研究者と買い物
目的地に着いたらしく、タクシーが静かに停車した。わたし達がタクシーから降りると、無人の車は独りでに走り去っていく。AIが普及した現代では自動運転車が常識であり、むしろ人が運転する方が怖がられる時代だ。降りた場所は都心近くの閑静な住宅街だった。こんなところに研究施設があるのかな? 疑問に思うわたしの前で、玲香さんは何の変哲もない一軒家のインターフォンを鳴らした。
『……開いてるよ』
気だるげな女性の声。玲香さんは慣れた手つきでドアを開ける。一歩足を踏み入れると、そこは外観からは想像もつかない実験室そのものだった。壁を取り払った広い空間は真っ白に塗られ、いくつもの不明な機器が並び、低い駆動音を響かせている。空気はひんやりと冷たく、薬品とコーヒーの混ざったような匂いがした。
「やぁ、良く来たね。まさか、玲香がお友達を連れてくるなんて、明日は地球が氷漬けにでもなるのかな?」
鈴の鳴るような声で話しかけてきたのは、床に届きそうなほど長い髪の少女だった。眠たげな眼で、ニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべている。白衣の下はヨレヨレのワンピース一枚。裸足にスリッパという、かなり独特なスタイルだ。
「お前のそういうところ相変わらず不愉快だ」
玲香さんは露骨にしかめっ面をする。見た目は小学生くらい見えるけど、助手さんかな? わたしがそう考えていると、白衣の少女の視線がわたしを捉えた。
「自己紹介がまだだったね。僕は明石寧琉、ここで魔力関連の研究とか技術コンサルとか、まぁ、色々やってるしがない天才さ。よろしくね」
「わたしは桜優菜です。寧琉ちゃんはすごいね。こんな小さいのに、難しいことやってて」
わたしが感心して言うと、寧琉ちゃんはキョトンと固まり――次の瞬間、お腹を抱えて笑い出した。
「あははははははっ! 小さい! いやぁ、傑作だ!」
えっ、何か変なこと言っちゃった? わたしがオロオロしていると、玲香さんが心底呆れた顔で口を開いた。
「騙されるな優菜。そいつは二十五歳だ。ああやって見た目で油断した人を小馬鹿にするのが趣味なんだ」
「に、二十五歳!! す、すみません。大変失礼な態度で話してしまって」
わたしより、五歳も年上……。全然そんな風には見えない。
「いやいや、構わないよ。それと、小馬鹿にしてるなんて心外だなぁ。純粋に『ちゃん付け』で呼ばれたのが新鮮で嬉しかっただけさ。桜君にはこれからも『寧琉ちゃん』って呼んで欲しいな」
これは冗談なのかな。それとも、本当にそう望んでいるの? これは試されている……? わたしは「あはは……」といった曖昧な返事をするしかなかった。
「お前の茶番に付き合ってる暇はない。本題に入るぞ」
「はいはい。で、何の相談だい?」
玲香さんが、これまでの経緯――わたしのスキルで魔力が全回復したこと、そしてその後の「衝動」について説明する。
「ふむ、概ね内容は理解したよ。桜君のスキルが大幅な魔力供給を引き起こした原因と、玲香が桜君へ強制的な身体接触をしてしまう原因を知りたいのだね」
「そうだ」
「ちなみに、身体的接触というのは具体的に、どこまでしたんだい?」
寧琉ちゃんの瞳が、いやらしく光る。わたしと玲香さんはバッと顔を見合わせ、彼女は顔を真っ赤にした。言えるわけない。あんな濃厚な……。
「……言わないとダメか?」
「原因究明のためだ。詳細なデータが必要だよ」
「くっ……」
玲香さんは覚悟を決めたように、消え入りそうな声で紡いだ。
「……唇を、重ねた」
「ほう、どんな風に?」
「なっ、そこまで聞く必要があるのか!」
「あるさ。接触面積と時間の相関関係は重要だからね」
寧琉ちゃん、絶対楽しんでるよね? 玲香さんは羞恥に耐えるように目を閉じ、早口で言った。
「最初は……ついばむ感じで。途中から、その、舌で口の中を……味わうように……」
「おやおや、中々情熱的だねぇ。あの堅物な『氷の令嬢』が……。初めてのキスの味はどうだった?」
「お前! ふざけてるだろ!」
「すまない、すまない。つい出来心でね。でも原因は分かったよ」
「これだけで、もう分かったんですか!」
寧琉ちゃんがパチンと指を鳴らすと、空中にホログラムのディスプレイが表示された。
「僕は天才だからね。まず、魔力供給が跳ね上がった現象。これは『共鳴』効果で間違いない」
「れ、共鳴効果?」
聞き慣れない単語にわたしはオウム返ししてしまう。
「親和性の高い者同士でのみ発生する、魔力の増幅現象さ。発生確率は百万分の一以下。机上の空論だと思っていたけど、まさか生きている間に拝めるとはね」
百万分の一。その数字の重みに、玲香さんが息を呑むのが分かった。
「では、身体的接触の衝動は?」
「それも共鳴の副作用さ。桜君の魔力があまりに純粋すぎるため、それを受け取った玲香のアストラル細胞――魔力を司る細胞が活性化しすぎているんだ」
「活性化?」
「簡単に言えば、細胞がもっとそのエネルギーをよこせと飢餓状態になっている。だから本能レベルで、エネルギーの供給元である桜君を捕食……じゃなかった、摂取しようとしてしまうわけだ」
捕食って言いかけた!? わたしは思わず自分の体を抱きしめた。玲香さんに、細胞レベルで求められている……。なんだか、すごく背徳的な響きだ。
「つまり、私の意思が弱いわけではないのだな?」
「ああ。麻薬の禁断症状みたいなものだから、理性で抑えるのは酷だよ。解決策は一つ。定期的に桜君を摂取して、細胞を満足させてあげることだね」
寧琉ちゃんがニヤリと笑う。
「ちなみに、摂取方法はキスだけなのでしょうか?」
「恐らく、細胞の飢え具合によるね。軽度なら手を繋ぐだけでもいいかもね。重度なら……まあ、もっと深い接触が必要になるかも」
「いずれにせよ、これから色々試して確認するしかない。帰るぞ、優菜」
これ以上聞いていられないとばかりに、玲香さんが立ち上がった。耳まで赤い。
「待ちなよ。共鳴効果の確証を得たいから検査させて。そのくらいの対価は受け取ってもいいだろう?」
その後、簡単な検査を済ませ、わたし達は逃げるように研究所を後にした。
◇◇◇
アパートに帰ってきたわたしは、浴槽に膝を抱えてお湯に浸かっていた。濃密な一日だった……。玲香さんに出会って、初めて変異体と遭遇して、初めて死にかけて、初めてスキルが役に立って……、嬉しかった。そして、初めてのき、キスをして……。指で唇をなぞると、あの時の熱と、甘い痺れが蘇ってくる。
「~~~~!!」
鼻まで湯船に沈めて、ぶくぶくと泡を吐き出す。ダメだ。思い出したら、また心臓がうるさくなってきた。お風呂にいるとつい考えなくてもいいことも考えてしまう。勢いよく立ち上がってお風呂場を後にする。六畳一間の部屋には生活していく上で、最低限のモノしか置いていない。特段欲しいとも思わないし、生きていく上で問題ないしね。パジャマに着替えてから、ベッドへダイブ。
「はぁ……。落ち着く……」
お布団の感触を存分に堪能してから、スマートフォンを手に取る。SNSのトレンドにアークライトの文字があった。
『変異体強襲! 神崎率いる精鋭部隊、変異体を撃破するも深層攻略断念』
『アークライトインダストリー、魔力補給用の新薬開発に成功。実践投入は秒読みか!』
記事の中身は、神崎さんが指揮を執って変異体を撃退したことになっていた。玲香さんの名前は、ただの協力者として小さく載っているだけ。
「……なにこれ」
モヤモヤする。神崎さんは一目散に逃げたくせに、手柄だけは自分のものにするなんて。玲香さんが命がけで戦った事実が、捻じ曲げられているのが許せなかった。ピロリん、と通知音が鳴る。玲香さんからのメッセージだった。
『明日、空いているか? 必要なものを買いに行こう』
◇◇◇
翌日。待ち合わせ場所の表参道に向かうと、そこには既に玲香さんがいた。
「おはよう、優菜」
「お、おはようございます……!」
玲香さんは、今日もモデルのように完璧だった。シンプルな白のブラウスにロングスカート。変装のつもりかサングラスをかけているけれど、逆にオーラが溢れ出ていて目立っている。対して、わたしは着古した長袖にデニム。並んで歩くと、道行く人の視線が痛い。玲香さんと並んで歩いていると、嫌でも視線が集まっていることを意識してしまう。わたしの隣にはあの超有名人でトップモデルクラスの美貌を持つあの氷室玲香がいるのだ。彼女を知ってる知ってないに関わらず、道行く人全てが見ているといっても過言ではなかった。そうなると、必然的にわたしも見られるわけで。
「おい、さっきの氷室玲香じゃね?」
「ホンモノ!? やば! めっちゃ顔小さい!」
「てか、隣の地味な子だれ? マネージャー?」
「荷物持ちじゃね」
すみませんね。荷物持ちの女で……。玲香さんに釣り合っていないのは百も承知だよ。でも、声に出さなくてもいいじゃん。居心地の悪さに身を縮こまらせていると、高級ブティックが立ち並ぶ表参道エリアに到着する。
「えっと、今日はこれから何をするんです?」
「ここで君の装備品を揃えるよ」
さらっと玲香さんがそんなことを言う。
「ここで!? む、無理ですよー! そもそも、買えるお金もありませんし」
こんなオシャレの極致なところ、わたしが来ていい場所ではない。今すぐ避難したい気持ちでいっぱいなのに。ここで買い物をしろと言うのですか!
「お金なら私が払う。君は私のパートナーだ。身を守るための投資は惜しまない。それに、昨日のようなジャージ姿では流石に色々と問題だろう」
「た、たしかに……」
玲香さんの配信視聴者は彼女の美しい姿や華麗な戦いを期待している。そんなところに、ジャージ姿の芋女がいたら世界観が台無しだ。玲香さんのように顔とスタイルは良くなくても、服装はお金である程度取り繕えのるだ。玲香さんの隣に立つ者として、最低限見た目には気を遣う義務がある。
有無を言わさず連れてこられたのは、入り口にドアマンがいるような超高級ブティック。入り口付近にモデルさんがポーズを決めている宣材写真があった。写っているモデルは玲香さんだった……。ガラス張りの店舗に入ると、一目見ただけで高級品だと分かる品々が、良く分からないオブジェと一緒にディスプレイされている。店内にお客さんは誰一人いない。あまりにも場違いすぎて、もう帰りたい。
「お待ちしておりました氷室様。ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」
パンツスーツを着こなす女性スタッフさんが恭しくお辞儀をする。
「彼女の装備品を一式揃えたい。深層の環境に耐えうる機能性と、それから……彼女に似合う、最高に可愛いものを」
最後の一言、余計じゃないですか!? 店員さん達が目を輝かせて「かしこまりました」と言うと、次々と服を持ってくる。玲香さんがそれを見て、さらに要望を伝える。そんなやり取りを何度かしてわたしは着せ替え人形のように、試着室へ押し込まれた。
「これでいいのかな……」
試着すること数分後。わたしは恐る恐るカーテンを開けた。すぐ横にある鏡には白とピンクを基調にした衣装を纏う自分が写っていた。ふっくらして可愛らしい上着ピンクのインナーにミニスカート。生地にはモンスターの攻撃を防ぐ特殊繊維が使われているらしい。
「どう、ですか……?」
ミニスカートなんて初めて履いたからすごく恥ずかしい。下にペチパンツを履いてても、スカートの裾を抑えてしまう。玲香さんはポカンと口を開けて固まっていた。
「……玲香さん?」
「あ、すまない。その……」
玲香さんが口元に手を当て、小声で「素材は良いと思っていたが、まさかここまでとは……」と良く分からないことを言っている。え、似合ってない? 変かな? 不安になるわたしに、彼女は顔を赤らめ、絞り出すように言った。
「……似合いすぎだ。こんな姿で外を歩いたら、有象無象の虫が寄ってくるな……。装備はもっと地味なものにするべきだったか?」
「玲香さんが選んだんですよ!」
「ふふ、そうだったな。すまない、これを購入したいのだが」
店員さんを呼び寄せて、玲香さんが取り出したブラックカードが眩しい。こうしてわたしは、最強のSランク様に物理的にも経済的にも囲われることになったのだった。
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