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1 目覚め

 空が赤くなって、夢から覚めた。


「んんん……」

 

 ベッドの上でもぞもぞと身体を動かす。自分の長い黒髪が手に絡まるのを適当に振り解いて、窓枠に手をかけ空を見る。

 一面に広がる赤。見たことのない空模様の中を、大きな鳥や有翼種の魔物が忙しなく飛んでいく。彼らの鳴き声は弱々しくて、まるで何かに怯えているようだった。


 2階の自室からそれを眺めていると、一際大きな存在が上を通って影ができた。

 空の支配者であるドラゴンだ。悠然としているはずのその姿が、今はどこか頼りなく見える。彼もまた、縄張りを手放して旅立っていく。最強の種ですら怯える何かが、刻一刻と迫っている。


「これが、世界の終わり……」


 読みかけのまま枕元に放り投げた本を見る。この本に出てきた「世界の終わり」は、まさにこんな感じだっただろうか。


「……まあ、そんなわけないけど」


 ベッドから降りて、テーブルの前に座る。1人部屋の真ん中に位置する楕円形のテーブル。その上には、両腕を広げた分くらいの広さのミルクパズルがある。もうほとんどできていて、残りは数ピースだけだ。


 私にとって、それは物心ついた時からの暇潰しだった。途方もなく複雑なこのパズルに向かい合っているとき、変わらない日常の退屈を忘れていられた。


「ご」


 真っ白なピースを手に取って、あるべき場所にゆっくりとはめる。何となく、残っている空白を数えながら埋めてみる。


「よん」


 幾度となく繰り返してきたこの感触は、もうすぐ終わる。


「さん」


 このパズルは、きっと私の人生を表していた。


「に」


 先が見えないまま何も無い自分を組み上げるのがやっとで、完成しても真っ白。あてのない空っぽだけが彩っている。


「いち」


 別にそれがすごく悲しいわけではない。今の生活に不満はない。ただ、そういうものだと思っていた。


 ……思っていたのだが。

 ピースを積んでいた場所から最後の1ピースを取るはずだった手が、虚しく空を切る。


「……足りない」


 完成するはずだったミルクパズル。その最後の空白は、空虚にただ存在している。


 机の下を見ても、ベッドの下を見ても、その1ピースは見つからない。


「はぁ……」


 小さくため息を吐いた時、階下から自分を呼ぶ声がした。


「アヤちゃん、ご飯できたよ」


 母の声だった。この家には私と母しかいないので、それは想定通りの出来事だった。

 下に降りてダイニングのテーブルに向かうと、そこには2人分のシチューとパンが用意されていた。


「いただきます」

 

 軽く両手を合わせてから食べ始める。いつも通りの味がした。


 淡々と食べ進めながら、ちらりと母の方を見る。そちらは全然食事が進んでいなかった。私が食器を動かす音だけが響く。

 何となく気まずくなって、母の様子の原因だろう話題を出してみることにした。


「……空、赤いね」

「……そうね。何も起こらないといいけれど……」

「……」


 赤い空は明らかに異常で、決して縄張りを明け渡さないとされるドラゴンすら飛んでいったし……世界が終わるほどではないにしろ、たぶん何も起こらないことは無いと思う。ただきっと母が心配しているのは、そんな広くて遠い世界のことではなく、ごく身近な、この家の中の私たちの身に何かが起こるか、なのだろう。


 母の端正に整った顔立ちは陰りを帯びている。焦茶色の髪が所在なさげに垂れている。


「アヤちゃん……アヤちゃんは、私たちの大切な娘よ」

「? う、うん……ありがと」


 突然言われたので返答に困ってしまった。母の愛を疑ったことはないが、なんだか今生の別れみたいな悲壮感を乗せている。こっちまで悲しい気分が移ってくる。

 


 とはいえ、母のその暗い表情は、もはや見慣れてしまったところもある。私の母は昔から心配性で過保護なきらいがあった。


 去年までは寝るとき毎日ベッドで寝かしつけられていたし、子供向けの本以外すぐに没収されていた。それに今でも、私が家の外に出ることは固く禁じられている。

 ……いや、まあ、外に出ちゃいけないのを納得はしている。この家の周りは危険な魔物や人間に有害な物質を撒き散らす植物が多いからだ。本来はとても人が住めるような場所ではないのだが、それには父の職業が関係している。


 父は世界中の悪い人を懲らしめる仕事をしている。そのため悪い人やその仲間から恨まれることが多いのだという。そんな人たちから母と私が狙われないために、敢えて危険な場所に居を構えたらしい。

 しかし実際は、父自体がこの家に帰ってくることが少なかった。たまに帰ってきたときは、いつも私に謝っていた。「悪い奴は世界中にいるから、遠いところを回ってばかりだ。……中々帰れなくて、ごめんな」そういう父の言葉に、私は何と返せば良いのか分からなかった。

 

 悪い人はどうして悪いことをするのだろう。悪い人がいなければ、父はもっと家にいられるし、こんなところに住まなくても良くなるのに。


「……ごちそうさま」


 シチューとパンを食べ終わり、食器を洗う。誰に言われたわけでもないが、数年前から自分の分は自分で洗うようにしている。

 

 部屋に戻る前に母の方を見ると、相変わらず食事が進んでいない。まだ半分以上が残っている。もうシチューは冷めてしまっているだろう。


「そんなに心配しなくても……きっと大丈夫だよ。ほら、お父さんも、もうすぐ帰ってくるんでしょ」

「……え、ええ。そうね……」


 母の顔は晴れず、どこか上の空のようでもある。


「ドラゴンが逃げるくらいだし、きっと悪い人も……その、大人しくなるよ」


 私は退屈な日々を変えたいのか、平穏な日常が続いてほしいのか、どっちなのだろう。我ながら無責任な気休めだなと思いながら、そそくさと部屋に戻ることにした。


 自室のベッドに寝転がり、今まで読んだ本の背表紙を眺める。天体の研究に関する本、人族から魔物まで様々な種族を解説した本、魔法と魔術が飛躍的に発展した時代を記した本。子供向けの本を卒業したので、この家の前の持ち主が残していった本を書庫から勝手に持ち出していた。大人向けの本は面白い。科学は人間の賢さを、歴史は人間の愚かさを教えてくれる。


 本棚に当てもなく手を伸ばし、すぐに止める。そういえば枕元に放置した本があった。


 その本のタイトルは「世界の救い方」。気の触れた男が綴った、思考と実験の掃き溜めのような日記だった。犠牲なくして成功なしと語る男が行う実験は、結果が伴わないまま犠牲だけが肥大化していく。


 昨日はその本を半分くらい読んで寝てしまっていた。前書きには世界の終わりに立ち向かうための方法を追究しただの書いてあったが、その方法が見つかる気配を全く感じない。


 真面目に読む気も無くなっていたので、雑にパラパラとページをめくってみた。すると、最初は丁寧に書かれていた文字がどんどん汚くなり、読めなくなり、ついにはぐちゃぐちゃの線だけになっていく。筆圧を込めすぎてページを突き破っている箇所もある。そして残り4分の1ほどのページになると、全て白紙になっていた。


「なんだそれ……」


 途中で諦めたのなら最初にそう書いてほしい。時間を無駄にした気分だ。


 本棚の空いているスペースへと適当に仕舞う。


「はぁ……」


 ベッドで横になり、広がる自分の長い黒髪を弄る。真っ直ぐに暗いそれは夜空のようで、結構お気に入りだ。


 ……それはそれとして、特にやることがない。


「暇だな……」


 未だに赤い空を見上げる。


 もし本当に世界が終わるとしたら、そのときは何が起こるのだろう。

 天変地異か、魔物の暴走か、あるいは魔法による不可逆的な何かか。


「世界が終わるなら……いっそめちゃくちゃなのがいいよね」


 未完成のミルクパズルを見る。


 これまでの真っ白な人生を塗り潰すような、そんな鮮烈で色濃い動乱。そういうことが起きたら、今みたいな停滞するだけの日々より楽しいだろうと思う。


「……なんて」


 楽しそうだけど、母に心配はかけたくないな。

 

 自嘲気味に笑みを浮かべながら、浮かんできた眠気に身を任せ、ふわりと意識を手放すのだった。

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