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不可逆性推理ゲーム  作者: せきね
6/7

真実と破滅の

「正解だ、と言いたいところなのだがね」

 不穏な切り出し方だ。隣に座る先輩がおもむろに顔を上げたのが視界の端に見えた。


「この事件、実はまだ解決していないのだよ。現在、この物語上の実業家の妻にあたる人物が容疑者として警察に拘束されている」


「……は?」

 どういうことだ?だって実業家の妻は……

「君の推理に穴は無い。が、現場ではそんな机上の空論よりももっと物質的な証拠が効力を持つようだね」


 そんな……

「私も君と同じ結論に至った。犯人は画家の息子だと考えている。が、現に警察に拘束されているのは実業家の妻なのだ。真実は定かではないが、もし今警察に拘束されている彼女が冤罪なら、彼女の人生はめちゃくちゃになるだろうね」

 真相は闇の中。

 なら何で教授は僕に問題を出したんだ?

 教授の考えが、他の人と一致するかどうかを確かめたかったから?


「話の中に何度か煙草を吸う人が描かれていたと思うが……彼らが決して室内で煙草を吸おうとしなかったのを覚えているかな?」

 思えば……確かに。

 実業家は雨だというのにわざわざ外に出て吸っていたし、小説家もしっかり下に降りてきて、換気扇のあるところで吸うようにしていたようだ。

「実業家の妻がつい最近妊娠したことが分かってね、それに皆が気を使っていたようだ。そんなおめでたい出来事があったばかりだというのに……」


沈黙が部屋を満たす。


「いや、すまないね。余計な事を言った。ゲームの事だが、これは桐生君の勝利とさせてもらうよ。ほら、チキンはここにある」

 言いながら教授は先輩にサイドメニューの入ったボックスを渡した。


 しかし。

 そんな結末があっていいのか?

 教授は僕たちに何をさせたかったんだ?

 ここまでの推理はあっているかもしれない。しかし現実はそうではなかったから不正解。

 そんな理不尽なゲームがあってたまるか。



 一つ、気になった事を口に出す。

「この事件って、本当に実際にあったものなんですか?」

「……どうしてそう思う?」

 訝しむというより、純粋に意見を聞きたいという訊き方だった。


「この事件の中核を担うトリックがなんというか……僕に親切な問題だったもので。ガウス加速器を知っている人は少なくないでしょうが、キュリー温度や可逆減磁、ジスプロシウムの添加で保磁力を上げることなどに関しては一般常識と言うには無理があるような気がします。うちは材料科学が専門ですから教授はもちろん、ここの学生ならほとんどの人が知っているとは思いますが……」


 僕じゃなきゃ解けなかったとまではいわないが、たまたま起きた事件が僕の学ぶ専門の知識をドンピシャで使っていたという偶然は考えづらいような気がするのだ。

 だからこんな事件が実際にあったと言われるより、これは教授が自身の知識を使ってゲームを作ってみただけだと言われた方が納得いく。


 しかし教授の主張は変わらないようだった。首を横に振ってため息交じりに言う。

「……最初に言った通りだ。この事件は、実際に起きた事件をもとにしている。登場人物など実際にあった事件と分からないようにあえて乖離させた要素はあるが、完全に私の創作という訳ではないよ」


 何か違和感がある。

 教授がこの仕掛けを思い付いたのでは無ければ、他に誰がいるというのだろう。

 それは犯人である画家の息子のはずだ。

 画家の息子はこの装置に必要な科学的な知識を持っていた?

 違和感の正体に悩む僕をよそに、教授は話を続ける。


「私はこの事件の話をついこの間友人から聞いてね。彼がまさに、この物語の事業家にあたる人なのだが……ものすごく落ち込んでいたよ。いや、落ち込んでいるなんて言葉では表せないだろうね。この世の終わりだとも言っていた。それはそうだろう。この事件が起きる前は幸せの絶頂にいたはずなのに、今では地の底に落とされてしまったのだからね。

 容疑者の妻は、事業家の会社の社長夫人でもある。会社の信用は落ちるだろうね。そしてそこで働いていた人間も、その家族も人生を狂わされるだろう。本人だけではないのだよ。彼女も、彼女のお腹の中の子も、このままではもうまともな人生は歩めないだろうね。幸せだったはずの家族の未来が、全て台無しになったんだ」


 時計の音が響く。

 僕は乾いた口で教授に尋ねた。

「教授は、画家の息子こそが犯人だという確信があるんですよね?」

 教授は頷く。


「なら、そのことを警察に話すべきなんじゃないですか」

 一度教授は頬に手をやり、考えるようにして言った。

「確かに、私が口を出さなければ犯人はこの先罪に問われることは無いだろう。まぁ、私のような素人が口を出したところで警察に一蹴されるだけかもしれないがね……」

 話が聞き入れられないかもしれないという懸念は分かる。警察という公的機関に素人がずかずかと足を踏み入れて適当な意見を言ったところであしらわれるだけだ。

 それでも。


「ともかく、私はそうすることが正しい事であるとはどうしても思えないのだ」

 教授は手元のピザに目を落したまま、呟くように言う。


「正しい事に決まってるじゃないですか。冤罪を防いで、殺人犯を捕まえる。これが間違っている事だなんて誰も思いませんよ」

「もちろんその通りだ。しかし、曲がりなりにも聖職者につく身として、それが果たして彼のためになるかを考える必要があると考えたのだ」

 

 犯人のためにならない?

「……自首を促すってことですか」

 

 しばしの沈黙の後、教授は口を開く。

「そこまで大それたことを要求するつもりは無い。私は多分、ただ彼に知って欲しいのだ。繰り返すが、私は彼にその後の行動を強要するつもりは毛頭ない。どうであろうと、私は彼に知っておいて欲しいのだ。君の行ったことは完璧ではなかった。見る人によってはピザを待つ時間で見破ることもできるような稚拙なものだったと。

 この成功体験を持ったまま生きていくのは彼にとって良い事ではない。君がこれから先、何か不都合があった時にこのことを思い出して同じ行動をとるというのは身の破滅に等しい。いつか割を食う日が来る。罪を償えとは言わない。ただ君は、この事を知っている必要がある」

熱っぽく、教授はただ焦点の合わない目でまくしたてる。


「君がなぜ自身の父親を殺したのかは分からない。そこに何かやむを得ない理由があったのかもしれない。もしかしたらそんなものは無く、ただ人を殺してみたかったからという単純な理由なのかもしれない。ただ、そんなものは関係が無いのだよ。君は人を殺し、その罪を無実の人間に擦り付けた。そしてこのままでは、多くの人が不幸になるだろう。私は何も、悪い事をしたら必ず自分に帰ってくるなんて古臭い説教をしたいわけでは無い。私はただ、君のその先を危ぶんでいるのだ。聖職者として、私は君に誤った道を進んで欲しくない。

 いや、これはエゴだ。私のエゴだ。教師が生徒に口出しをするのと同じで、我慢が出来ないのだ。君がこの先、私の愛する人間の命を奪うかもしれない。私は君に殺されるかもしれない。私はそれが怖くて仕方がない。それを止めることはできないかもしれない。しかし君の考えた計画は、完璧とは程遠い。君は完璧な殺人は犯したわけでは無いのだ。君は……」


「君は殺人に向いていない」

 その言葉が誰に向けられたものなのか、やっと分かった。

 目は相変わらずどこを向いているわけでも無かったが、それでもはっきりと分かる。

 違和感の正体はこれだったのか。

 実在の事件をわざわざ改変して分からないようにしていた意味。

 犯人が持つ専門的な知識。

 そして何より、あの頭の切れる先輩がずっと真相から離れた推理を行っていた理由。



「やめてください」

 消え入るようなかすれ声が聞こえた。

 見ると、先輩が目の前に置かれたサイドメニューの箱に目を落したままうつむいている。


「全てが……全てが上手くいってたんです」

 先輩は俯いたままぽつり、ぽつりと語りだした。

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