10話 船中
「ふはっははは!ほんで文無しかよ」
酒場にルーカスの馬鹿笑いが響く。戦場でも意思を通すための大声は、しかし同類が巻き起こす喧騒の中でテーブルに座る面々にしかとどかない。
「正確には文無しじゃない。だがあと3日もすれば資金が尽きる」
「阿呆じゃないのアンタ」
ヨシノの答えにジェーンが呆れたようにつぶやいた。ヨシノが起こした騒ぎは、結局その場で賠償金を支払うことで決着が着いた。即金で払うのを盾にかなりの額を値切り、魔術師の少女にあのゴーレムらしき自販機を譲った金を足しても、有り金の9割近くを持っていかれた。魔術に使う諸々は流動性が低いが恐ろしく高い物が多いことを考えれば健闘したほうだろう。
アイテムボックスに入っている資産から見ればはした金もいいところだが、それを切り崩すのはまだ早いように思えた。結論は無難に働いて稼ぐということで、その相談をこの街で数少ない知り合いにしているのである。
「あ、えっと、それでしたら仕事があるか聞いてみましょうか?」
「できるだけ大金が手に入り、かつ効率のいいものにしてくれ」
ハミルトンの好意に遠慮なく乗っかるヨシノ。とにかく金なのだ。どこでも。
その虫のいい話にルーカスが乗っかった。
「じゃあやるこたぁ一つだな。冒険しようぜ?」
冒険者という職業は自然に出来たものではない。中央集権国家である帝国において武装した自由組織が存在するのは本来有り得ないことである。それが職業として認知されたのは、約500年前、帝国の拡大期に遡る。
当時荒野にも接していない中小国であった帝国は、その勢力を伸ばす中で属国も増えていた。当然そこには騎士も傭兵も存在したが、各国の小競り合いに使われていたこれらの武装集団は縮小されることとなる。
課題となったのは彼らの処遇である。土地持ちの貴族ならばそのまま支配させることもできた。しかし、好き好んで戦争に行くような貴族は金に困っている部類のものたちで、仕事が無くなれば一族郎党が盗賊化する恐れがあった。
時の皇帝ペドロスが出した結論は、彼らに魔獣や魔物の相手をさせることであった。それまであった騎士団、傭兵団を統合し、指揮系統を流用して一つの組合を作り出したのである。
これによりそれまで明確に区分されていなかった対人と対魔物、魔獣の戦力が分業化されて、対人戦争に注力出来るようになった帝国はさらなる発展を遂げる。
しかし世の中には窮屈な組織にじんましんがでるような人種もいるわけで、一匹狼の傭兵や、帝国に追い出された賊などは自由を求めて未だ開拓されぬ荒野へと向かった。
これが南部と東部の冒険者の始まりであり、前身が別物のため、同じ冒険者と言ってもその性質は全く違う。周辺の警備が主となる南部に対し、東部の本質は冒険と開拓だ。
東部の輸送は河運が主役となる。陸路では宿場が無いため経費がかかりすぎるからだ。近年まで奴隷を利用した櫂船を用いていたが、人間を動力源にすると余計な荷物が増えるため、現在は魔導船が幅を利かせている。
荒野の陸路は退屈との戦いであるが、川より行くとなると事情が違ってくる。
水は生命の温床。荒野でもそれは変わらない。
白く泡立つ航跡に、黒い紐のようなものが群がる。船縁に紐が付くと、粘液が滴るそれは、するするとのた打ちながら甲板に乗り込もうとする。レム川で一般に見られる恐らく魚、紐鰻である。吸盤状の口を持ち、非常に粘度の高い体液であらゆるところに引っ付いては生き物の穴という穴に入る、一部の職業人に人気の高い生態を持つ。
この嫌らしい小魚を筆頭に、人の手より大きなハサミを持つ海老や、何かの触手まで、めったに無いごちそうにありつかんと殺到して川の水が沸騰したかと見紛うばかりである。
叩き潰すにも死骸がこびりつけば船足も遅くなる。柄の長い大ぶりのヘラでこそぎ落とすしかない。
「おい!こっちに上がってきたじゃねえか何やってんだ!」
「るせぇ!んなこまいもんそっちでなんとかしろ!大物が来たんだよ!」
穏やかな流れは怒声に包まれ、前方に現れた触手と牙のついた口を持つ巨大な沢蟹の怪物を槍で突く。甲殻でよろわれているとはいえ、鋼ならば突き刺さりそうなものだが、生命の驚異か魔の技か、穂先の方が火花を散らせて削れ飛んだ。
人の胴体2つまとめて両断できそうなハサミが、船を叩き割ろうと振り上げられる。舵手が必死で舵を切るが、誰かがそれをとどめた。ヨシノである。
「もう少しそのままでいろ」
「何いってんだてめ……」
ふわり、と舳先から虚空に歩き出すように跳ぶ。本能で危機を察知したか、蟹の化物が目標を変更してハサミを真横に振るった。ハサミの部分だけでもヨシノより巨大なそれが、残像を伴って迫る。原形も残りそうにない一撃がヨシノの真下を通過した。
ぶうんと豪快なスイング音が響くが、当たらなければどうということはないのがこの世の摂理である。
目測を誤った訳ではない。関節が重力に負けて曲がっていた。テスカの魔術により硬度を失ったキチン質の鎧が、熱されたチョコレートのように屈曲している。妨げられることなく自由落下を始めたヨシノが、背中の柄を掴む。
剣を振るった。と気づいた者はひどく限られていた。その場のほとんどの人間が注視していたにもかかわらず、あまりの自然な動きに何を行ったのか理解が及ばない。その剣閃というべきものはか細く、音も風も残さずに、そこを剣が通った事実を覆い隠しているようであった。
結果だけが明瞭にあった。城壁のごとき甲殻は、濡れて光る表面より滑らかに分かたれ、赤い肉を大気に晒す。ヨシノがその巨体を蹴って船に跳び乗ると、ようやく体液を噴出しながら川底に沈んだ。
「しぶとい。物理防御のみ。毒使用を提案」
「よしきた」
懐から金属の缶を取り出す。先の自販機との戦いで得た、高濃度塩素水とプリントされた飲ませる気皆無の飲料のプルタブを開ける。
プシッと音を立てて刺激臭が吹き出した。前方に投擲すると、数百m先に着水しなぜか爆発。うなじに鳥肌が立つ量の奇形の水棲生物が浮かんできた。
「うぉっしゃあああ!死にくさったぁ!」
「ドブに落ちろ生肉がー!」
「すげーな兄ちゃんどう斬ったんだ!?見えなかったぞ」
「まだまだあるから湧いてきたら投げろ。中身をこぼすな」
大規模な環境破壊に歓喜の声を上げる冒険者達に、ヨシノは適当な指示を出して船倉に下りた。
東部に住む生物は、一部の例外を除いて規則正しい生活を送る。魔物は生命活動に惹かれるようにして出現し、活発であるほど個体数も大きさも比例して多く、大きくなる。
特に戦いともなれば出現確率は大幅に上がるので、人も魚も視界のきかない夜は静かになる。魔物は高等な生物をより強く指向するが、基本好き嫌いはない。
そんな訳で生存競争も一旦小休止を挟み、見張りを残して眠りにつく。だが若者というのは夜になるほど元気になる生き物である。
特に十代半ばのハミルトンは、襲撃者を鮮やかに切り捨てた剣技に興奮と興味を隠せないでいた。声変わりの終わっていない高い声を自覚してか、必要以上に抑えた声色でヨシノに質問を投げかける。
「あ、あの、先ほどの剣はどこから取り出したのでしょうか?あんな大剣、背中につけているようには見えないのですが」
核心からではなく外堀を埋めていくような話し方が何か堂には入っている。木製の床がゆっくり揺れて、下手な弦楽器のようなきしみをあげた。壁に体を預けて少し考えるそぶりを見せたヨシノだが、あっさり種明かしをした。
「ここから出しただけだ」
マントの裏から出したのは、直径20cm、長さ80cmほどの金属の円筒だった。黒く艶のない本体に銀で彫金が施されている。蔦を意匠化したアラベスクが神秘的な印象を与えるが、そこに継ぎ目といったものは見当たらない。どうやって作ったのか一点の瑕疵もない完璧な円柱である。
とてもでないが鞘には見えない。なによりあの大剣が入るサイズではない。
「さ、触ってみてもいいですか?」
好奇心に吸い寄せられるように伸びた指が、傷だらけの礫岩のような手に払い落とされた。
「よしておけ、恐らく魔剣の類いだ。指が吹っ飛ぶぞ」
「うえっ!?」
珍しく口を開いたアンブロジウスの警告に、素直に反応した腕が引っ込む。
「錬金術師の罠はえげつないかんな。酸ぶっかけたりガス吸わせたり、顔面変形して女の子にもてなくなんぞ」
「ひぇっ」
尻餅をつきながら器用に後ずさる。すぐに山積みしてある荷物にぶつかった。
「安心しろ、そんな趣味の悪い罠は付けていない。きっちり死ぬものだけだ」
「ごめんなさいでしたー!」
繊細そうな栗毛に埃が付くのも構わず、かび臭い船板に額をこすりつけ始めた。ルーカスが笑い、ジェーンが右しか見えない眉を吊り上げる。アンブロジウスは興味を失ったのか瞑想に戻った。
「触らなければ何事もない。人に一瞬でも預けていい物でもないしな」
「厳格だね、故郷でもそうだったのかい?」
アネーシャが頭の上の三角耳を小さく動かしながら、面白がって聞いてきた。
沈黙と緊張感がない交ぜになって肌を刺す。
「……それは仕事に必要な情報なのか?」
「いいや?ただ気になっただけさ。誰にだってあるだろう?そういうこと」
ヨシノは表情を変えない。瞳の奥が重みを増しただけだ。アネーシャも青灰色の目を少し見開いて微笑む。ジェーンがたしなめようとするが、もう手遅れかと体を張って止める方針に転換した。
脛に傷を持つものの多い冒険者にとって、昔話を求められることは、不愉快以前に敵対行動と見なされてもおかしくない。
そんなことは百も承知で聞いているのだ。アネーシャという女は獣人故か、鉄火場の緊張感を好むどうしようもない性向があった。
普段は常識人なだけに、たまの退屈しのぎに誰かを挑発してはパーティーを尻拭いに奔走させる。
だが今回はパーティーにとってはありがたいことに、挑発した者にとっては拍子抜けなことに、決定的な事態には至らなかった。
「……昔からこうだったよ。変人扱いはされたがな」
あっさり引いたその態度にアネーシャは鼻白み、ジェーンとハミルトンは胸をなで下ろした。
今度はルーカスが興味を持ってか話に入ってきた。
「ほう、そんじゃあ家業は何やってたんだい?あ、ちなみに俺んちは森のくず拾いだけどさ」
「別に、ただの農家だ。それなりに大きくはあったが、村一番ってとこだな」
「なんだ、富農かぁ。思ったよりありきたりだな。つまんないの」
「あんたは、面白さ優先で、人を突っつきまわすんじゃありません」
「はいはい、気をつけるよ」
ジェーンが眼帯がずれそうなほど眉をしかめて凄む。美人なだけにかなりの迫力だが、同じ美人には効果が薄いのかアネーシャに反省の色は窺えない。
しかし、あからさまにしないまでも意外だったのは皆同じであった。富農の息子が土地や水利を守るため武術を学び、長じてそれを飯の種にするというのは世の常と言っていいほどよくある話で、帝国の騎士階級も元をたどれば地方の農村の豪族が多い。
どうもこのまともに程遠い男の出自としてはしっくりこない。かといってでたらめを言うほど口が回りそうにもない。
「そんで次男坊で追い出されて独り立ちかい?」
「いや、長男だ。一人息子だよ」
「ほほう、そりゃまた何でこんなところに?別にお尋ね者って訳でも無さそうだが」
ここで話を打ち切っても特に怪しまれはしなかっただろう。既に出会って直ぐの者に話すにはほど遠い内容だ。
思い出を語り始めたのは単純にヨシノの弱さだ。俺は戦士と粋がった所で、また戦いの中では鋼の心を維持出来ても、日常を根元から覆す事態の連続はヨシノの精神を大きく揺るがせていた。
むしろ己に語りかけるように話し始める。
「うちの村の畑を開いたのは爺さんなんだが、ガキの頃賊が入ってな」
地方で軍人崩れや政府システムの支配から外れた番外民が犯罪を起こすのは社会問題となっており、当然対策として村も武装していた。
堅牢な守りに規律の緩い集団が突撃したとしても返り討ちにあうだけの筈だった。だが偶然遊びに出ていたヨシノが、運良く囲いを突破した強盗に人質に取られたのだ。
慌てる村民に気を良くした強盗は身の代金と逃げる足を要求。
代表者として出たヨシノの祖父は。
迷わず強盗を射殺した。
子供の負けん気で涙をこらえ、真っ直ぐ前を見ていたヨシノは祖父の顔を覚えている。
万が一当たっても仕方ないと覚悟した顔だった。村の有力者として一人の孫を諦めた眼差しだった。 ヨシノは一番ではなかったのだ。
「まあ、普通じゃないかな。自分の人生をかけた財産とまた生まれる子供だったら前者を選ぶでしょ」
「ちょっとあんたまた」
「その通りだ。要するにガキのわがままだよ。それから……そう、言うなれば愛の為に旅しているのさ」
ヨシノの言葉に全員が固まった。
愛。この鉄面皮の、澱んだ黒い瞳に情けの欠片も浮かさぬ男が、よりによって、愛!
ルーカスとアネーシャが爆笑し、ハミルトンが顔を背けて震えだす。ジェーンとアンブロジウスは何故か感心した様子だ。
周囲の迷惑も顧みない馬鹿笑いに、小さな影が割り込む。
「みいなさま、喉がお乾きでしょう。甘湯などいあがで」
木製のコップに八分目まで入れられたインスタント飲料を、緑の皺のよった手が運ぶ。先ほどまで川の水の上澄みを、魔道具で煮沸していたグアガである。
「無駄に気が利くなお前。藤吉郎かよ」
「トーキチ?」
「俺の国の気の利く奴の代表格だ」
「量少なし。なみなみ」
唐突に会話に入ったテスカが増量を要求する。なみなみと注がれたコップから一滴の湯も零すことなく一気に飲んだ。
「熱っ」
「そりゃ甘湯の素を溶かすには熱くしないといけないのよ。ほらテスカちゃん、ふーしてふー」
「ふー」
案外世話焼きなのか、ジェーンがテスカの保護者になっている。体も温まり、夜も深くなれば口数も減り、次第に寝息が聞こえ始める。
尚も壁に寄りかかったままのヨシノも朝に備えて眠りに落ちる。
あのまま成長すれば子供の我が儘で終わっただろう。心で折り合いも付いて、夢想は夢のままに消えていったに違いない。
だが技術は夢想に形と、見かけの意志を与えた。
自分を一番に思う無二の相棒を得て、かつてのヨシノは幸福に満ちていた。
その無二の相棒が、己の欲望の産物である事実に気付くまでは。
自分を一番に思う友達を、自分の為に造りだすのは果たして善なのかと、そう疑問に思った時。
その時からヨシノの目は鉛の如く重くなったのだ。
夢に落ちる。答えはまだ見つからない。




