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甘い甘い、

鞄からリボンで飾られた小箱を取り出したひなは、それを私に差し出す途中でおもむろに動きを止めた。

「ひな?」

焦れて呼び掛けても返事をしない。そして引っ込めてしまった。その上自分でそれを開け……って、どういうことですか陽菜乃さん。

「え、ちょっとひなぁ、なんで」

「ん」

言葉にならない返事をしたひなは、アラザンや粉砂糖、カラフルなプリントで飾られた小さなチョコレートの中から真っ赤な一つをつまみ上げて口にくわえた。えええ。

「なんでお預け、」

最後まで言い終わる前に、ひなは私を抱き寄せていた。口がチョコレートでふさがれる。それが私の口の中に押し込まれた拍子にひなの舌が私の舌に少しだけ触れた。一瞬押し当てられた柔らかな唇の感触に、体の芯が熱くなる。

「ハッピーバレンタイン」

一度離れたひなの吐息が耳に触れて低い囁きが鼓膜を震わせる。体を離したひなは私を見て満足げに微笑んだ。……こういうときは変に色っぽいんだから、ずるい。

「顔が赤いよ、りん」

ひなの低い声で名前を呼ばれるのは慣れない。それも、ひなはたまにしか私を名前で呼ばないから。例えばこうやって私の部屋で二人きりのときとかにしか。

耳まで熱くなった顔をうつむけて、溶けかけたチョコレートを噛む。フランボワーズだった。甘酸っぱい味にあの鮮やかな赤色を思い出す。伏し目がちに、ひなが唇にくわえた、赤。

「……ひな、」

「ん」

「フランボワーズ、酸っぱい。……甘くして?」

瞬間ひなの目の色が変わった。大きくなった妖しい笑みもぎらつく瞳もまるで肉食動物みたいな、私の大好きな表情。

普段はクールなのに豹変する顔は、ひなの獲物である私しか知らない。

そしてひなは私に食らいついた。


彼女が初めて私に対して言ったのは「おはよう」だったのを、私はまだ覚えている。

入学したての頃だ。たまたま彼女と下駄箱で居合わせた私は、深い考えもなくあいさつした。その時まで会話したことはなかったけど、クラスメイトならそれが普通だ。身構えることなんて何もない。

そこで彼女は驚いたように振り向いて、照れたようにほんの少し笑って、言った。

「おはよう」

その、声。

背筋が震えた。クラスの自己紹介で一度は聞いていたはずなのに、私に向けられたというだけですごい破壊力だった。柔らかいアルト。

それきり、目が彼女を追うようになってしまった。

存在を知ってしまえば彼女は目立つ人だった。どちらかというと、悪目立ちの方で。

女子の中で唯一のネクタイ(うちの高校はリボンかネクタイか選べるけど大抵の人はリボンを選ぶ)。表情に乏しい。人とあまり話さない。友達作りに必死な新入生の間で、もう諦めたかのようにいつも一人でいた。

順当に友達ができて、居場所もできた私とはたくさんのことが違う彼女に、私はもう惹かれていた。そして同時にうろたえた。

「普通」になると決めていた。

もう、間違いたくなかった。

なのに、でもやっぱり、抑えきれなくて。

会いたい。声を聞きたい。笑顔を見たい。それを私に向けてほしい。あの声で名前を呼ばれたら、あの指で触れられたら、どんなに幸せだろう。

心が浮き立つ。それとともに沈んでいく。

きっと嫌われる。今でさえ遠い場所にいる人なのに、知られたらもう笑ってもらえない。あの人は言いふらしはしないだろうけど、避けられてしまう。

失敗した記憶はまだ生々しい。ずきずきと、痛い。そこにまた傷口を重ねる、なんて。

そう思ったのに、バレンタインは毎年やってくる。そして私も踊らされる。

義理チョコか友チョコかわからないお菓子をいくつもいくつも交換して、私はその日上の空だった。放課後が迫るのが、怖かった。けど時間は容赦なく過ぎて、玉砕の期限がやってくる。

お菓子と手紙を彼女の下駄箱に入れてしまっていた。その上、教室で待っていてほしいと書いてしまっていた。

彼女はそれを無視しなかった。

いなければいいと半ば思っていたのに、下校時刻ぎりぎりまで、薄暗い教室にいてくれた。

そして、教室に入った私に無表情に言った。

「これ、何のどっきりなの?」

うつむく暇もなかった。

視界が歪んで、こぼれ落ちる。

痛い。

胸が痛い。比喩ではないと知った、二度目。

濡れた頬が冷えていく。

視界が陰った。何かと思って涙を払おうとすると、ふと、その冷えが止まった。頬に布の感触が当たる。

「……花園さん」

目の前から彼女の声がした。

「本気、だったの?」

嗚咽が洩れそうで返事ができなかった。ただ、断罪を待つことしか。

玉砕するはずだった私は、結局、砕かれなかった。

「私、女だけど、いいの?」

「…………え?」

「花園さんが勘違いしてないなら、私はそれでいいけど」

ようやく取り戻した視界で、ハンカチを手にした彼女は気まずそうに目を逸らしていた。

「私、恋とかよくわかんないけど、……それでいいなら」

今度こそ。

涙が止まらなかった。

りん、と呼ばれたのは、その日が最初。

照れて照れてかみかみで、それでもその声は予想していたよりもずっと、優しかった。


一年後の今日。

押し倒されて唇に頬に首にキス攻めされて息も絶え絶えという状態になるなんて夢にも思わなかった。

我に返って何度も謝るひなに、私はようやくバレンタインのお菓子を渡せた。

あのときと同じトリュフ。

ひなは気づくかな。

果たしてひなは、袋を覗きこんで小さく笑った。

あなたの笑顔が、幸せ。


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