盗まれたスカイツリー
--手術の2日前。
この日は手術前に、男が千郷に会える最後の日だった。
「泥棒さん、手術する前に……また何か話を聞かせてほしいな」
「あぁ、もちろん。今日はとっておきの話をしてあげるよ」
男はそう言うと笑顔で千郷のほうを見ながら話を始めた。
「これは、スイスにあるヴンダー美術館にある彫刻"考えてるようだけど、『何も考えてない人』を盗んだ時の話でね。彫刻は大きくて盗むのが大変なので、その時はフランスの『デスタン・ぺルソン』という怪盗団と一緒に盗むことにしたんだ――。デスタン・ぺルソンは3人組で、1人はリーダー格の男プリン3世、もう1人は巨漢で怪力のパズゥータ、もう1人は頭の切れる頭脳派の女カフェモカ――。僕はこの3人と一緒に計画を練ったうえで、彫刻をトラックに載せて運び出すことにしてね。ところが、そのトラックが盗難車でね。それを美術館のすぐそばに留めていたために、警察に怪しまれてしまい、俺達は捕まる寸前という状態になってしまった。ところがその時、奇跡が起きたんだ」
「奇跡?」
千郷は目を丸く大きくして尋ねる。
「あぁ、信じられない事に、その美術館のすぐ隣にある山で雪崩れが起きて、美術館のすぐ横を通り過ぎたんだ。そのため、美術館の中は轟音と激しい揺れに襲われた――。するとどうだろう。普段、地震などの経験がないスイス人の警官達はいっせいにパニックになり、美術館から逃げ出したんだ。でも、俺や怪盗団のみんなはそういった状況には強かった。俺は日本人だから地震に強いし、怪盗団の3人は百戦錬磨の怪盗達だし、その程度の事でパニックになるようなやつは居なかったからね――。俺達はまんまと彫刻"考えてるようだけど、何も考えてない人"を盗み出すことに成功した。後で聞いた話によると、その山で雪崩れが起きるのは実に120年ぶりの事だったそうだ。それはまさに、奇跡と呼んでも良いくらいの出来事だったと僕は思う」
そう言うと男は真っ直ぐ正面を見据えた後、千郷の顔を見つめて言った。
「だからね、千郷さん。今度の手術は必ず成功するよ。人生にはそんな奇跡みたいな事が起きるんだから、成功率が低い手術が無事成功するくらい、なんて事ないさ」
「うん、ありがとう」
「それでね、千郷さん。明日の午後7時には、東京タワーのほうを見ていてほしい」
「東京タワーのほうを?」
「うん。必ず、その時間にその方向を見てね」
「分かった。本当にスカイツリーを盗む気なの?」
「あぁ、もちろんさ」
「私、泥棒さんの事信じてるよ」
「あぁ。僕も、千郷さんの手術が成功するのを信じてるからな」
「ありがとう。私、頑張る……」
男は、その千郷の言葉を聞くとスッと右手を差し出した。千郷は一瞬なんだろうと思ったが、すぐに自分の右手を差し出すと、男は力強く千郷と握手をする。そして、千郷の顔を見つめると、笑顔で「頑張れよ」と言って病室の扉のほうへ体を向き直すと、左手を挙げて「じゃあな」というポーズをして、そのまま振り返らずに病室を後にした。
――手術前日の午後7時。
千郷は病室の窓から東京タワーのほうを見ていた。それまで、東京タワーと一緒に輝いていたスカイツリーの光がスーッと静かに消えていく。
「あっ……」
千郷が驚いて唖然として窓の外を見つめていると、トントンッというノックの音がして、看護師さんが病室のドアを開けた。
「千郷さんにメッセージが届いてるわよ。一緒にプレゼントも」
千郷の病室に入る看護師の手には奇麗なラベンダーの花束と、メッセージカードがあった
――カードにはこう書かれていた。
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スカイツリーはこの怪盗が見事に盗んでみせましたよ、千郷さん。
ただ、スカイツリーを好きな人も居ると思うので、10分経ったらみんなのもとにスカイツリーを返します。それまでの間、この東京タワーの光は千郷さんだけの物です。
あなたの好きな光を存分に堪能してください。
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それを読み、千郷は目を涙ぐませながら笑った。
「本当に盗んだんだ。凄い、凄いよ、泥棒さん……。私、頑張れる気がしてきたよ。ありがとう……ありがとう……」
「スカイツリーが消えるなんて……一体、どうやったのかしら」
看護師さんが不思議そうに言う。
「泥棒さんはね、何でもできるんだよ。今までも色々な物を盗んできたんだから……」
千郷の両頬は、零れ落ちた涙によってビショビショになっていた。しかし、千郷はそれを拭うのも忘れて、スカイツリーの光に邪魔されずに光る東京タワーの光をずっと見つめていた。
――スカイツリーの光が消えた次の日の夜。
午前中から続いていた千郷の手術が終わった。成功の確率は低かったものの、医師達の懸命な処置と千郷の強い精神力によって手術は無事成功したのだ。まだしばらくは入院生活を続け、通院はかなり長い時間続けなければいけないとの話だったが、千郷は病気を克服する事ができたのだった。
――手術から1週間後。
再び男が病室を訪れた。千郷はまだ思うように体を動かせなかったが、意識もハッキリしていて、話をする事もできた。
「泥棒さん、ありがとうね。泥棒さんのおかげで成功したよ」
「僕のおかげなんかじゃないよ。千郷さんが頑張ったからさ」
「泥棒さんのおかげで頑張れたんだよ」
「そう言ってもらえると、スカイツリーを盗んだ甲斐があるよ。なんせ、今まで盗んだ物の中で一番大きな物だったからね」
「泥棒さん、もう一つ大きな物を盗んだんだよ。分かる?」
「大きな物?」
「うん。私の心だよ」
千郷がそう言うと、男は恥ずかしくなったのか、千郷から目線をそらした。そして、何か言おうと口をもごもごしたり、鼻の下を指でこすってみたりしたが、結局しばらく何も言葉が出てこなかった。
千郷はそんな男の様子を見て微笑んでいる。
「泥棒さん。退院したら、またどこか連れて行って」
「……あっ、あぁ。もちろん、どこでも行きたいところに連れてってあげるさ」
「私、映画が観たいんだ」
「映画? どんな映画だい?」
「さくラベのリーダー、千田 香奈が主演してるやつ。今、人気なんだよ。知らない?」
「さくラベの映画か。僕はそういうのには疎いもんでね」
「あはは、そっか。香奈ちゃんが主演してる映画でね、『カナとお茶の女王』って言うの」
「そうか。それじゃ、その映画を観に行くとしようか」
「うん、楽しみにしてるね」
そう言って、千郷は自分の左腕を静かに動かすと、小指を突き出して 指きりを男に求めた。男は、恥ずかしそうにして、一瞬躊躇ったが、自分の左手をそっと差し出して、千郷と指きりをした。
「指きりげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます……指切った!」
千郷が楽しそうに歌うと、男はまた恥ずかしくなったのか、すぐに自分の手を千郷から離した。病室の窓からは、今日もスカイツリーと、その奥で静かに佇む東京タワーが見えている。
――それからまたしばらくしたある日。
千郷の病室を訪れようとしている男の姿があった。男の右手には、映画のチケットが2枚握り締められていた。そのチケットは男がどこかから盗んできた物なのか、それとも買ってきた物なのか。
その真相は千郷には分からないのだった。
最後までお読み頂きありがとうございます!
この作品はプロット等は作らず書き進めていたところ、当初はバッドエンドという形に落ち着いてしまいました。しかし、知り合いのアドバイスや、やはり明るいストーリーの話のほうが読んだ人の後味も良いのかなと思い、ハッピーエンドの形に変更しました。