ポッポッポッ :約6000文字 :SF :宇宙人
ついに宇宙時代の到来である。
沿道にあふれ返る群衆の中でおれは腕を組み、そんな感慨に浸っていた。
いや、どこかにはいると思っていた。この広大な宇宙で知的生命体が自分たちだけのはずがない。そんな考えは人間の思い上がりにすぎないと、おれはずっと思っていたのだ。
もっとも、さすがに自分が生きているうちにその姿をこの目で拝める日が来るとは夢にも思わなかった。
しかし、確かに来たのだ。
総理大臣が緊急記者会見を開き、宇宙人がこの星へやってくると発表したときは、ついに頭がおかしくなったのかと思った。あるいは、頭のおかしい有権者を取り込むための派手なパフォーマンスだろうと。
だが実態は違った。政府は彼らと以前から秘密裏に接触を続けていたらしい。慎重に交渉を重ね、訪問の日程を調整し、受け入れ準備を整えた末、ついに今日、この歓迎パレードが実現したのである。
宇宙人の大使はオープンカーに乗っているらしいが、人垣が幾重にも重なってその姿は見えそうにない。人々は背伸びをし、携帯電話を頭上に掲げ、なんとかその姿を撮ろうと必死になっていた。
おれを含め、このあたりにいる者たちは「こりゃ見えそうにないな」などとぼやき、半ばあきらめているようだったが、それでも手を振り旗を振り、歓声を惜しみなく送っていた。
聞いた話では、相手の文明水準は我々と圧倒的というほどの差があるわけではないらしい。テレビのコメンテーターによれば、数十年もすれば我々も追いつけるだろうとのこと。その予測がどれほど当てになるかはさておき、それでも数十年先を行く技術を持っているというだけで、十分すぎるほどの価値があった。
ゆえに政府のお偉方は、どうにかして他国より先に友好条約を結びたいらしい。経済効果、安全保障、技術提供――彼らと手を結べば、これまで夢物語だったことが現実となり、計り知れない利益が得られると、テレビでは祭りでも始まったかのように朝から晩までそんな話題ばかりが流れていた。
もっとも、おれのような一般人には関係のない話だ。こうして遠くから一目拝み、明日職場で話の種にする程度のいつものイベントにすぎない。
おっ、来たみたいだな。どれどれ……おっ、見えたぞ。あれが大使か。小さそうだ。あっ、今、目が合ったか? ははは、そんなわけないか。いやあ、いらっしゃーい!
気づけば、おれもまた周りに負けじと、めいっぱい背伸びをしながら、大きく手を振り続けていた。
◇ ◇ ◇
……なぜこうなったんだ。
夜。おれは一流ホテルの一室、その高級そうなソファの端に行儀よく膝を揃え、腰を下ろしていた。何度か背もたれに身体を預けようとしたものの、いつ“あの人”がやって来るかと思うと落ち着いてなどいられず、背筋はぴんと伸び切り、肩には力が入りっぱなしだった。
『あの、少々よろしいでしょうか』
『えっ』
大使を乗せた車列が通り過ぎると、周囲を包んでいた熱気は少しずつ引いていった。
まるで風が草原を撫でるように、人々の興奮は車列を追いかけるようにして横へと流れていき、その場には浮ついたざわめきだけが取り残された。
おれは遠ざかる歓声を耳にしながら、さて帰るかと踵を返した。
その瞬間だった。ふいに後ろから腕を掴まれた。
振り向くと、そこには黒いスーツ姿の男たちが立っていた。髪は一分の乱れもなく整えられており、固い表情でこちらを見つめている。その立ち姿には無駄がなく、近寄りがたい威圧感が漂っていて、一目で政府関係者だとわかった。
警備員か。何かやらかしたか。声が大きすぎたのか。だが、別に変なことは言っていないぞ。冤罪だ――そんな考えが頭をよぎり、おれは身構えた。すると、男の一人が真顔で静かに口を開いた。
『大使が、ぜひあなたにお会いしたいとおっしゃっています』
『えっ……え?』
意味がまったく飲み込めず、おれはただ呆然とした。
そして背中に手を添えられ、そのまま流されるように車に連れて行かれ、気がつけばホテルに到着していた。
部屋で自由に待つように言われたものの気分が落ち着かず、立ち上がって室内を歩き回ってはまた座り、また立ち上がっては歩き回り、テレビをつけては消し、窓際に行って外の景色を眺め、意味もなくカーテンを閉めてはまた開けた。
こんな広い部屋に泊まったことなど一度もなければ、大使のような重要人物を迎えた経験などあるはずもない。
何を話せばいいのか、どんな態度を取れば失礼にあたらないのか、まるで想像がつかなかった。ただ脇汗だけがとめどなく流れ、相手を不快にさせてはならないと、汗をティッシュで拭き取っては丸めてゴミ箱に捨てるという作業を何度も繰り返した。
やがて夜になったが緊張は少しも薄れず、おれは縮こまるようにしてソファに腰掛けたまま、その時が訪れるのをただ待ち続けた。
――コン、コン。
「は、はい!」
ふいのノックにおれは思わず跳ねるように立ち上がった。
ドアが開く音がした。来る――。
「あ、あ、ど、どうも……」
間違いない。あの宇宙大使だ。紺色のジャケットを着た女性。テレビやニュースで何度も映し出されていたあの顔だ。もう嫌というほど見た。大使という肩書きではあるが、実際には向こうの星の一国を統べる最高指導者らしい。むろん事前に使いの者を送り、外交準備は進めていたのだろうが、友好条約を結ぶために自ら異星へ足を運ぶとはなんという決断力だろう。向こうの国では絶大な支持を集めているに違いない。
今日だけでも首脳との会談や歓迎行事が続き、疲労は相当なものだろう。それにもかかわらず、大使は柔らかな笑みを浮かべ、おれの前まで歩み寄ると、すっと右手を差し出してきた。
おれは慌てて両手を差し出し、その右手を包み込むように握った。大使は握り返し、さらにもう一方の手を重ね、おれの手の甲をすりすりと撫でた。
「チンポ」
「えっ……?」
大使は顔を近づけ、おれの耳元でそっと囁いた。
今、こちらの言葉だったよな……? チ、チンポ……?
大使は顔を離すと、何事もなかったかのようににっこりと微笑み、ソファを手で示した。どうやら座れということらしい。
おれがぎこちなく腰を下ろすと、大使もすぐに隣に腰掛けた。膝が触れそうな距離だった。
「あ、あの……」
「チンポッポ。ンポッ」
「は!?」
おれは思わず身を引いた。しかし、大使は顔色一つ変えず、むしろ皺を深く寄せて笑みを濃くした。
なんだか、あの生物みたいな顔だ。いや、もちろんそんなことは口が裂けても言えないが、もしこれが向こうの星の標準的な顔だとしたら、ぞっとする……。
いや、そんなことより今のは何だ。聞き間違いなどではない。大使は確かにチンポと言った。いや、待て待て。そんなことありえないだろう。もしかすると、音が同じなだけで向こうの言葉であり、意味はまったく違うのかもしれない。
「あっ」
おれは小さく声を漏らした。そうだ。どういう理由でおれを呼んだのかは知らないが、そもそも言葉が通じないじゃないか。理由を尋ねるどころか、こちらの意思を伝えることすらできない。どうすればいいんだ……。
そう思った直後だった。
再びノックの音が響いた。続いてドアが開く音がして、部屋の角の向こうから、おれをここに連れてきた黒いスーツ姿の男が現れた。
男は大使に向かって丁寧に一礼した。大使も応じるように軽く会釈を返し、おれもつられて頭を下げた。
「■■■■■■■■」
「■■■■■■」
二人が何やら言葉を交わし始めた。おそらく大使の母国語なのだろう。おれにはまったく理解できない。音すらつかめなかった。
「あの、少しこちらへ」
「あ、はい」
男に呼ばれ、おれは逃げるような勢いで立ち上がった。
一瞬、ちらりと後ろを振り返ると、大使はソファに腰掛けたままおれを見つめていた。そして口角を大きく吊り上げ、身をぎゅっと縮め、小さく手を振った。もうあそこへ戻りたくないと、おれは心底思った。
「あのー、いったいどうしておれをここへ呼んだんですか?」
部屋の角を曲がり、玄関先まで来るなり、おれはたまらず問いかけた。
「ええ……私も細かなニュアンスまでは把握しておりませんが……」
男は困ったように眉を寄せた。
「大使が沿道であなたをお見かけになり、大変お気に召したそうでして」
「え? ……ああ、そういえば一瞬目が合ったような気はしましたけど」
あのほんの一瞬でおれを見初めたということか。おれは背が高いほうではあるが、それにしたってあれほどの群衆の中からよく見つけられたものだ。
しかし誇らしいという気持ちはまるで湧かず、むしろ得体の知れない嫌悪感のようなものが胸の奥でじわりと広がっていった。
「それで、あなたには今回の交流が成功するようご協力いただきたいのです」
「協力? そう言われても何をすれば……」
「ええ、まあ……大使のお望みどおりに動いていただければ、それで結構です」
「動く……それって……えっ!」
おれは思わず声を上げた。
角からそっと部屋の中を覗き込むと、大使がこちらに気づき、嬉しそうに身体をくねらせながら手を振った。
「……そういうことなんですか?」
「そういうことです」
男は声を落とし、重々しく頷いた。
「いや……いやいやいやいや」
おれは首を激しく横に振った。
「協力いただけない場合は、あなたを逮捕します」
「おお……」
男がおれの肩をがしっと掴んだ。指先が食い込むほどの強い力だった。
「我々も心苦しいのです。しかし、この交流が成功するかどうかは、あなたにかかっているのです……!」
男は顔を震わせ、唾がかかりそうな距離まで身を寄せてきた。
「もちろん、それに見合う報酬はお支払いします」
「見合うって……」
一市民の自由と一国の外交。それも相手が宇宙人となれば、天秤にかけるまでもない話なのだろう。
おれが呆然としていると、男は両手でおれの肩を二度バシバシと叩き、力強く頷いた。
「……いや、でも言葉が通じないですよ」
おれはやっとの思いで言葉を絞り出した。
「事が始まるまでは私もそばについていますから」
「そんな……」
おれは絶句した。この先に待っているものを想像すると、唾を飲み込むことすらできなかった。
「あの……会って早々、『チンポ』って言われたんですけど、あれはなんなんですか?」
「ああ……。おそらく、あちらの言語における挨拶や友好の表現なのでしょう。大使は今回、たびたび親密さをアピールしておられましたから」
男は困ったように眉を寄せ、唇を引き結んだ。
「はあ……」
納得できない、できるはずもない。しかし、ふと玄関ドアの向こうへ意識をやった瞬間、ひそひそと話し声が聞こえた。おそらく警備だろう。ドアの向こうで何人か待機しているようだった。
逃げ場はない。仮にうまく逃げられたところで、後日どんな目に遭わされるかわかったものではない。そう思うと、まるで脊髄に氷を当てられたような冷たい感覚が走った。
おれは呆然と、男に背中を押されるがまま部屋へ戻り、ソファに腰を下ろした。距離を空けたつもりだったのだが、大使はすぐさま体を寄せ、膝をぴたりとくっつけてきた。
男はソファの脇に控えるように立ち、こちらと目が合うと口角を上げ、小さく頷いた。おれは腹立たしく思った。
おれは小さく息を吐いて気持ちを落ち着かせると、意を決し、大使へ顔を向けた。
「あのー……」
「チンポチンポチンポッ」
「うわあ」
おれは思わず顔を歪めた。すると、間髪入れず男がおれの背中を軽く叩いた。表情を崩すな、笑えという意味だろう。おれは慌てて頬を引き上げ、ぎこちない笑顔を作った。
「■■■■■■■■」
「ええ、ええ」
「■■■■」
「ははは……」
「■■■■■■■■■■■■」
「あはは……」
何を話しているのか、さっぱりわからなかった。大使が何か言えば頷き、笑えばおれも笑う。ただそれだけを機械のように繰り返すしかなかった。
男は翻訳すると言っていたくせに、相槌と愛想笑いを浮かべるだけだった。もしかすると、本当はこいつもほとんど理解できていないのかもしれない。
「チンポチンチンポ、チンポッポッ」
「え、ええ……」
大使は時折、「チンポ」と口にしては目尻を下げ、実に満足そうな笑みを浮かべた。
やがて膝の上で鞄を開き、中から黒いファイルを取り出した。丁寧な手つきで開くと、中には一枚の写真が収められていた。おそらく向こうの星の人物なのだろう。だが写真の大きさが合っていないらしく、斜めにずれていた。
「■■■■■■」
「えー、その方は大使が大変尊敬しておられる人物だそうです」
男が身を屈め、ようやく小声で説明した。
「へえ……。先生とかですか? それともお父さんとか?」
おれは男を見上げて尋ねた。
「そこまではちょっと……」
「チンポッポする」
「……で、これはどういう意味なんですか?」
「それもちょっと……あ、ただ私たちの言葉に置き換えるなら、もしかすると――あっ」
男が小さく声を漏らした、その瞬間だった。
下半身を起点に、ぞわりと全身が粟立った。大使が、おれの膝にそっと手を置いたのだ。
おれは反射的に大使に目を向けたあと、すぐに助けを求めるように男を見上げた。男は穏やかに微笑むだけで何も言わず、すっと踵を返し、そのまま玄関のほうへ歩いていった。
「あ、ちょっと――」
「チン……ポッ」
耳元で。
吐息を含んだ柔らかな声が囁かれた。
「チンポッポッポッポポポポ」
膝の上を大使の指先がゆっくりと滑っていく。もう片方の手は肩へ伸び、おれの腕を上から下へと繰り返し優しく撫でる。そのたびに、おれの身体はますます石のように硬直していった。
ただし、アソコだけは萎んだままだった。
「チンポッポッポッポポポポポポッポッポッポポポポポポポポチンポッポポポポポポポポポポポポポポポポポパオポポポポチンポッポすんごいたくさんチンポッポポポポポ」
意味不明な音の濁流が耳に流れ込み、脳をずっぷりと浸した。
不思議だった。その響きはどこか懐かしく、幼い頃に耳にした童謡のようだった。
◇ ◇ ◇
……なぜ、こうなったんだ。
あれから数か月後、おれは彼らの星にいた。
おれの星で歓迎パレードが行われたときと同じように、こちらでも盛大な式典が催された。おれは大使と並んでオープンカーに乗せられ、沿道を埋め尽くす群衆の歓声を浴びながら、街中をゆっくりと進んだ。
その後、巨大な建物に連れてこられた。どうやら記者会見場らしい。
おれは大使の隣に立ち、大勢の報道関係者の前で引きつった笑顔を作っていた。
『ご覧ください。彼、■■元総理にそっくりでしょう!』
あれから幾度も彼らの言葉を浴びたおかげで、音だけならだいたい拾えるようになっていた。だが、その意味までは相変わらずわからなかった。
『わたくしが、あちらの言葉で“友好”を意味する音や歌で親睦を深め、こうして地球までお越しいただいたのです。うふふっ!』
ただ……おれも男だ。
『当初はこのようにここへお招きする予定ではなく、映像だけを国民の皆様にお見せするつもりでしたが……』
大使がおれに視線を向けてきた。
あの夜、おれが覚悟を決め、ソファの上で彼女を押し倒したときと同じ、ねっとりとした熱い眼差しを。
彼女がそっとおれの手を握ってきた。嬉しそうに微笑みながら、指を一本一本絡めてくる。
おれは小さく微笑み返し、静かにその手を握り返した。
その瞬間、無数のフラッシュが一斉に焚かれ、会場には歓喜とも戸惑いともつかないどよめきが広がった。しかし、その喧騒さえも、おれの耳にはまるで遠い世界の出来事のようにしか聞こえなかった。




