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十八話目 鈍色の雨

こんな狭い教室の中であのような鋭利なものを振り回されては自力で避ける分には何とかなりそうだが、誰かを庇うようなマネは出来ない。

神部は冷静に判断をくだした。


仮面の若者は自分だけを見ていた。その双眸はただ次の動きを読もうと自分の一挙一動のみを捕らえる。こちらも同様に、仮面の若者しか目に入らない。余計なことを考えればすぐにあの切っ先が頭蓋を破りに来る。

ならば自分がおとりになるのは当然だと考えた。

敵から目を離さず、さながら熊に退治したときのように落ち着いて行動する。ひるんではいけない。

出口までの距離が分からないので、感覚がつかめるまでじりじりと足を後ろに下げた。

後ろがちに開いた手が扉の枠に触れる。

ここだ。

後ろに下がる必要は無くなった。後は頃合いを計るだけだ。

神部が動きを止めると、仮面の若者は動きを察し少しの動作で構えた。

若者の足が動く。一歩踏み出し、付き出すつもりだ。

今しかない。足に溜めた陽幸で踏ん張り、エビのように腰から教室の外へ逃げた。

とたん、左足の太腿に痛みが走る。

原因が何か分からない。でも、今動きを止めてしまうと、おとりとなって仮面の若者を外におびき寄せることが出来ない。

神部は痛む足を引きずるように、雨の中を駆けだした。

中庭を横切ろうと走る。バシャバシャと水しぶきが舞い、足音が響く。

けれど、教室の方からは雨の降る音の方が大きく、神部の足音すらかき消してしまう。これで場所は分からない。

鈍色の雨は体にまとわりつく。服が水を吸うせいか、どうしても動きが鈍くなる。

次の対峙に備えて、逃げ回る間は陽幸を溜めておこう。神部は極力陽幸の放出を弱めた。

それにしても酷い雨だ。随分な水量を降らせているにもかかわらず、一向に雲は出ていく気配がない。

おかげで神部の姿は見つかっていないようだが同様に仮面の若者が何所にいるのかも分からない。

太腿の痛みが悲鳴を上げる。

さすがに一度様子を見ようと、廊下の陰に身を隠し左足を見る。

ぬるりとした感触に、暗がりでも出血に気付いた。量はたいしたことじゃない。

おそるおそる手探りで痛みの元を探す。

スカートの下にはいた体操服の少し下。指先でなぞるとちょっとした円錐形のものを感じる。大きさは大したことがない。どうやら小指の先程度のトゲ状の物体が刺さっている。

動かすと皮膚が引っ張られるのでこれで間違いないだろう。出来れば抜きたいが、この暗闇では下手なことが出来ない。

カカカっと連続する音がした。薄明かりの中で足に刺さったトゲと同じ形状のものが石畳の廊下に転がっているのが複数見えた。

隠れていることが相手に知られている。

様子をうかがおうと少しでも顔を出せば、トゲの射撃に狙われてしまうだろう。

これでは仮面の若者と一対一で勝負が出来ない。

そう思って壁に背中を押し当てていると、その横顔に切っ先が突きつけられた。

「それで逃げ切ったおつもりか」

鉄色の仮面は少ない光を集めて反射する。逆に、視界を確保するための穴は何所までも闇に近かった。

冷めた声に体がすくむ。座り込んでしまったのがまずかった。

相手に見下ろされる。いや、見上げる事になるのが、精神的に非常に良くない。

畏怖の感情が高まり、体が震え出す。

「我が妹、亡者クリミナトレスの無念。その体で晴らさせてもらおう」

カタカタと歯が鳴り出す。目をグッとつぶった。

冷たい感触が頬に一点。

ピッと切り払われ、熱が上から下へ伝う。

「覚悟は出来たな」

歯を食いしばっても震えは止まらない。熱い涙が雨で冷え切った頬を伝う。

「神部えええ、どこっすかあああ」

耳を打った叫び声に目を見開いた。

安佛の声だ。派手に水しぶきの音をさせながら近づいてくる。あの足音は阿戸鳴の走り方か。

はっとなって、神部は今の状況を見た。

首の脇に細い切っ先がある。この剣はこれから神部の首をはねようとしている。

いや、はねるにはこの剣の強度では足りない。じわじわと血を奪われることになったのだろう。

今はこれを避けて体制を整えなければならない。幸い、仮面の若者は足音に気を取られている。

地面を蹴り、若者の後ろに回った。

剣を持つ手を押さえ、後ろ首に精一杯の握力で掴みかかった。

しかし、急所と睨んだ首にも鉄の甲冑が付いていた。男にしては長い髪で隠れていたが、随分と重装備だ。隙間に手を差し込めないこともないが、下手にすると鉄の関節でバキバキに折られてしまいそうだ。

また、神部は動けなくなった。懐に入って腕を掴んだ以上あの剣は怖くない。けれど、離れることはままならない。

「安佛、阿戸鳴。ここだ!」

一人ではどうにもならない。すかさずこちらに向かっているであろう仲間に助けを求めた。

足音はすぐ近くまで来た。

首に左腕を回し、右手で剣の動きを封じる。足は相手の腰に巻き付け、仮面の若者と一体化を図った。

「大丈夫だ、動きは押さえている」

「そんな事してどうすんだよ」

呆れたように阿戸鳴が走ってくる。その背中に安佛の姿もあった。

安佛は必死に手を伸ばし、そのまま阿戸鳴は走り抜ける。

「重っ」

安佛の手は神部と仮面の若者の間に滑り込み、そのまま持ち上げた。

三人分の体重がかかり、阿戸鳴が悲鳴を上げる。

「何でその王子さ、放さないのさ」

「放してどうすんだよ」

背中で口論を始める。

「普通押さえている間に仕留めろよ、つーかどこ触ってんだ」

腹の辺りを抱えるつもりで手を差し込んだものだから、安佛の手は今神部の下乳を持ち上げるように胸と若者の背中との間で挟まれている。

「首締めよりはさ、マシだと思うっす」

指摘されなくともずっと顔を真っ赤にしているが、安佛の顔は誰にも見えない位置だ。

「それにさ、そんなさ、残酷なことしなくてもさ、別に良いっしょ」

「お前らがしねえから、いつもオレがやってんだよ」

曲芸みたいな走りをしながら阿戸鳴はカーブを描いて中庭に出る。

ぶんと仮面の若者の下半身に遠心力が働く。割とされるがままの仮面の若者。表情は分からない。

「重いって、早く何とかしろよ」

「いったんさ、降ろす」

安佛はスピードを弱めるように指示を出す。

「ちょっと待て、立ち止まるのはマズい」

神部が叫び声を上げた。それと同時に、鈍色の雨に紛れて硬い雨が降ってくる。

神部が足に受けた、小さなトゲが襲ってきた。

安佛が飛来物に気付いた。

「阿戸鳴さ、今は走るっす」

「だから重いって」

「今は走る!」

理不尽だと言わんばかりにため息をつく。

しかし、阿戸鳴の足はだいぶ減速していた。

「痛え!」

阿戸鳴は叫び声を上げて立ち上がった。

前足をあげたものだから、安佛は必死に阿戸鳴の肩に捕まる。

今一番の曲芸状態だ。

「なにやってんだバカ」

重力に振り回された神部が罵る。仮面の若者はずっとされるがままだ。

「尻になんか刺さった」

涙声で痛みを訴える。

「そんなもんオレにも刺さってる」

何故か誇らしげにいいから走れと叱咤する。

「駄目、何か力が抜けて足腰立たねえ」

阿戸鳴はその場にへたり込んだ。

「この仮面野郎以外に外に何かいるんだ、走ってもらわなきゃ困る」

しっかりしろと叫ぶが阿戸鳴は駄目だと訴える。

訴えはけっして嘘ではなく、みるみる阿戸鳴は力を失っていく。それは姿が変わるほど大きな変化。

「もういい、安佛。さっさと手をそっから抜いて、陽幸を放て」

早くと急かされ、地に縮こまった阿戸鳴の後ろに立っていた安佛は仕方なく仮面の若者を自力で立たせる。

「大丈夫だ。オレが固定しているからお前にこの剣は当たらない」

そうは言っても、女子高生の力なんて期待は出来ない。いくら細い体とは言え仮面の若者を完全に押さえるなんて信じられない。

安佛はためらっていた。

「大丈夫だ、早く」

来いと叫ぶ。なんて男前なのか。安佛は感動するが、神部が男だったらこんな事でためらわなくても良かったのにと思うばかりでもある。

だんだん神部の事を信じてくる。朝に習得したばかりの陽幸キックを味わえ。

全身の力を足に溜めるイメージで、体を低くして、若者の腹に一撃与えようとした。

けれど思ったような効果は出ず、仮面の若者は無反応。神部に至ってはちゃんとやれと罵る。

「陽幸がさ、出ない」

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