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十四話目 神部さんは手も足もはやい

朝焼けの空の色は酷く寂しく、蛍光灯の明かりなど頼りにならないほど教室の中は暗く沈んでいた。

人間が扱う陽幸などとは比べものにならないほど、太陽の恩恵は雲に隠れながらも圧倒的な速さで闇を奪っていった。

王女の亡者、クリミナトレスは一瞬にして灰のようにちりぢりになり、そのまま消えてしまった。


長い夜が明けたことの安心感で緊張が解け始めてはいるのだが、昨夜の興奮が抜けきらない生徒達はみな放心状態で、眠るわけでもなく、起きるわけでもなく。ただ、椅子に深く腰掛けていた。

無理もない、昨晩だけで合計三体の亡者を相手にしたのだから。


疲れ切って意気消沈。そんな教室の中から、神部が一人で廊下に出た。

もう日は昇っているので彼女の身を心配する必要は無いのだが、気になった上向は後を追って廊下を覗く。

走っていた。

廊下に沿って走る姿が遙か向こうに見える。

目的地に向かって全力疾走という走り方ではなく、ジョギングで。それでも上向の知っているジョギングに比べるとスピードで言えば随分速かった。

グラウンド並みに広い中庭をぐるっと一周する廊下。石畳は足に負担がかかりそうだが、庭に比べれば整備されているランニングコースともなり得る。

そうこうしているうちにもう向こう側まで走っている。

追いかけたところで上向にはとても追いつけたものではない。

中庭に面したアーチの縁に手をかけて、半周してくるのを待った。

「朝のトレーニングですか」

まあなと返事は来る。けれど、足を止めることなくそのまま二周目に突入してしまう。

また、一周待った。

「どうです? 双子座になってから体が良く動いていますね」

そうだなと返事は来る。そして三週目に入る。

「前に、木を潰したんだけど、あれ、陽幸のせいだと、思うんだ」

息を切れ切れ、止まればいいのに走りながら話しかけてきた。遠くに行くので声が聞こえなくなってくる。

「だから、手じゃなくて、足に、陽幸を溜めれば」

もっと面白いことが出来る気がする。戻ってきた彼女は顔を真っ赤にして、胸を上下させながら荒い呼吸を繰り返した。

準備体操が終わった。ストレッチをした後、廊下で直線ルートを確保する。

「ちょっと試すぜ、見ててくれよな」

廊下の角で大声を出す。返事の代わりに上向は腕を振り上げた。

遠くの人影は、しゃがみ込む。白いひざが見える。片膝を付いてクラウチングスタートの姿勢を取った。

短いスカートが背中の上に見えた。とたん、姿が消える。

足音もなく、彼女はコンピュータ教室の脇を通り過ぎ、隣の準備室を通り過ぎた辺りで姿を見せた。

彼女を見ると非常に興奮している。目をキラキラさせて今起こったことを噛みしめている。

「すげーぞ先生。この距離をひとっ飛び。この距離!」

感動を共有したい神部は駆けつけてくる。

「手品でも見ている気分ですよ」

瞬間移動だと言われても文句のない走りだ。

拍手でも送りたいところだが、この手では音が出ない。

「上に飛んだら天井に届くかもな」

随分とはしゃいでいる。身長の三倍以上有りそうなのでさすがに難しいだろうとは思ったが、今の様子ならやりかねない。

「着地の心配もした方がいいのではないですか」

今まさにやろうとする神部は身を屈めたところで上向と顔を見合わせた。

「へーき、平気」

さらに深くかがみ込むと、姿を消した。

「神部!」

やりやがったあの娘。

おそるおそる天井を見上げる。相変わらずくらみそうな高さだ。

薄暗い天井の細工に隠れ、神部は無事にぶら下がっていた。腕の力で支えているようだ。

……スパッツだから問題ない。

「これ、すごくね?」

歓喜の声を上げる神部。

はいはい凄いですねと言葉では返すが、内心ひやひやしている。

そして、予想通りというか期待通りというか、バランスを崩した神部がそこにいた。

「先生、やばい。陽幸が足りねえんだ。腕が、力がはいらねえ」

陽幸が切れてしまった。双子座は陽幸を溜めても姿が変わらない。上向のように陽幸が減ればと少しずつ人の姿に戻るわけではないので、陽幸の溜まり具合を察知する事が難しい。

助けてくれと叫ばれても、やっと二足歩行が出来る今の上向では落下する神部を支える事など出来そうにない。

「もう少し耐えろ。今助ける」

叫びながら上向は教室へ飛び込んだ。


「安佛、陽幸は使えますか」

一番手前にいた安佛を呼び出す。神部が心配で視線は天井に向かいがちだ。

「あまりさ、使える自信ないっす」

気怠そうに椅子から立ち上がった。意図して使うことは出来なくとも、双子座状態なのは間違いない。

「何とかして使いましょう。神部が危険な状態です」

否応なしに腕を引いて連れ出した。

陽幸を扱うためのコツを掴んだ実感がないと言い訳をするが、同じ双子座の彼なら神部と同じ動きが出来るはずだと期待して連れてきた。

「神部が足に陽幸を溜めて天井へ飛びました。ですが、降りる前に人間に戻ったようです。このままでは無事に降りられません」

助けられるようなら援護はしたいが、ふらふらの二足歩行しかできない上向には体を張ってクッションにするという無謀な策しかない。一メートル程度ならともかく、五メートルより上から落下してくるとなると体当たりでは共倒れになりかねない。

安佛は酷く困惑した様子で天井を見上げる。

短く叫び声があがった。

先ほどよりも彼女の足が不安定に揺れている。

早く手を打たなければ、落下も時間の問題だ。

「神部はさ足に溜めたんだな」

安佛は覚悟を決めたように、スクワットを途中で止めたようなポーズでしゃがむ。

力んでいるのが顔に出ている。

「どうするつもりですか」

「飛び上がってさ、神部と一緒に降りてくる。神部の足の代わりにさ俺が着地するっす」

狙いを定めるように天井を見上げた。

「神部さ、出来る限りさ足閉じて止まってろよ」

安佛が大声で叫ぶ。

神部の足がばたばたと宙をかいた。

驚く間もなかった。

ついに、落下してしまった。

「何してるっすか」

突然の危機に焦った安佛は曲げていたひざを伸ばしてしまう。

「お前のせいだ、バカ」

泣き声のような声で罵倒が降ってくる。

「跳べ、安佛!」

上向の指示に今すべきことを思い出した安佛は呼び動作もそこそこに飛び上がった。

一般人よりは良く跳んだ。

事前に神部の跳躍を見ていなければ感嘆の声でも上げていただろう。

目的は高く跳ぶことではない、神部の回収だ。

上手く神部と合流したらしい。安佛の上昇は緩み、制止することなく落下が始まった。

そして、地上で待つ上向は着地場所を空ける。

両足を大きく開いた安佛は、腕に神部の足を抱え、着地のしびれに耐えた。首には神部の腕が回っている。

「ナイスキャッチでした」

上向は鳴らない拍手を送った。

着地に耐えた安佛もそうだが、神部もよくそのバランスを保った。

せっかく足を守ったのに頭を打った、では洒落にならない。

ほっとした様子で安佛は神部を放した。

神部は黙ったままだ。さっきまでの恐怖か恥ずかしさか、顔を真っ赤にしてそれを隠すようにうつむいている。

安佛は足を庇うようにその場で座り込んだ。

「悪かったな、助かった」

安佛の足下に立ち、顔を上げた神部がぶっきらぼうに答えた。

「なんか、こっちに来てからバカなことばっかやってるな」

握りしめた手を眺めながら、反省の色を見せる。

手の早い神部は亡者相手に色々とやらかしてきた。

「神部はさ、それで良い」

力無く笑う。

「先陣切ってくれる奴がいればさ、俺たちも新しいことが出来るからさ」

その通りですと、上向も同意した。

「結局、場木達を守ってくれているのもいつも君ですから」

雨の降りそうな曇り空は太陽を遠くに覆い隠していた。

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